さてNくんの心配です。この話の前にNくんは「前向きな気持ちになれない」とこぼしていました。「ライブ動画型交流サイトにはまって抜け出せなくなるのではないか。生身の声ではなく反応のコメントは文字なので空しくなる。特に生活リズムが崩れ、確立しないのではないか…なのに前向きに解決しようとする気持ちが出てこない」。
Nくんの心配とはこういう不安です。この心配の具体性を聞くにつけ、何をしたいのかは自分なりには意識しています。これは前向きの基盤です。しかし「ライブ動画型交流サイト」にとどまる範囲では、行動に結び付くレベルではありません。それでも無用という結論は出せません。
この状態で行動できない理由は行動エネルギーの不足、自己肯定感のレベルが低い点です。というよりも最近の彼の周囲に発生したことは、彼にダメージを与えるようなことでした。一時できた外出がなくなり、家族を含めて話し相手がいなくなりました。
その経験のなかで行動のエネルギーや自己肯定感情を落としていきました。やることもなく手にしていたスマートフォンで「ライブ動画型交流サイト」にぶつかったのです。ダメージの支えが二重底になっていたようなものです。内側の救済ネットからは落ちたが、もう一つ外側に別の救済ネットがあったといっていいでしょう。
この外側の救済ネットで一時的に気を紛らわせることができましたが、その後では不満足感につきあたりました。「これを続けて行っていいのか」と気づきました。不満足を漠然と感じても言葉で意識するレベルにはなりにくいものです。言葉にできたことこそ「前向きの気持ち」への転換点です。「前向きな気持ちになれない」と自分からこぼしていること自体がすでに、前向きに向かいつつあることの証拠です。
本当に前向きの状態でないときとは、言葉にはできないのです。言葉にできたからといって多くの場合どうするのかはわかりません。だらだらした状態が続くのです。
前向きな気持ちに行動するエネルギーを加える方法とは何か。人と会うことです。自分を受け入れてくれそうな人に会うことから進むのが手順です。対人関係のアレルギー(対人関係不安や対人恐怖など)を、楽な気持ちで会える人に会うなかで徐々に少なくするのです。アレルギーをなくしていく方法、またはストレスに強くなる方法がこれです。
(ライブ動画型交流サイト―3の2 つづく)
日別アーカイブ: 2015年12月11日
ネットによる引きこもりとの接点はすでにある
「最近やり始めたことで、これでいいのか心配なことがあります」とNくんが話し始めました。Nくんが始めたのは、ニコニコ動画(ニコ動)、ツイキャスと似ていて、スマートフォンを使い自分の姿を映しながら話していくタイプです。これにどういう名称がついているのかは知りませんが、ここでは勝手に「ライブ動画型交流サイト」と呼ぶことにします。
数日前から始めて既に十人を超える人が見るようになりました。見ている人は見ながらコメントを返し、それが画像に文字表示されていきます。長いときは10時間ぐらいそれをしたそうです。
独りでいると孤独感に陥るけれども、これをしていると見ている人からの反応がある。反応には「大丈夫?」という人から「ウツじゃないでしょう」とか、その一方で何のコメントもよこさない人といろいろでそれもまた発見です。これにはまって抜け出せなくなるのではないかというのが心配です。
「ライブ動画型交流サイト」を一段落したところでは、生身の声ではなく反応のコメントが文字だったので空しくなります。ここが基本的な心配ですが、他にも姿勢が固まってからだに悪いのではないか、目にも悪いのではないか、生活リズムが崩れ、確立しないのではないか…というあたりです。
私は、Nくんの心配に答えるよりも、まずどういう状況になるのかをよく聞きたいと思いました。長期に引きこもり外の人とつながりのない人とつながる手段にパソコン(インターネット)を使う方法に可能性があると書いたばかりです(12月7日の“文通ボランティア”の記事)。
Nくんの話は一部かもしれませんが、インターネットを使い引きこもっている人とつながりをつける形は始まっているのです。そのほとんどは自然発生的で、目的意識的なものはないのでしょう。Nくんの話では引きこもり的と思える人は少なからずいそうです。上から目線の指示的なものは弱そうです。
この状態でなら、引きこもっている人たちに親和感を持って参入できる方法はあるかも知れません。Nくんの心配とは別に有効性があると確信できます。1つの可能性を感じました。
Nくんの心配レベルの問題はあります。生活のなかでのバランスがとれるかどうかです。時間を決めてするのは結論的には間違いではないですが、個人の置かれた状態を放置したまま時間制限を決めても守れるものではありません。人間はそれほど意識的には生活できないのです。
「ライブ動画型交流サイト」にも段階というか種類がありそうなので調べる必要があります。「ライブ動画型交流サイト」のなかの対人コミュニケーションの要素によっては、終了後に空しさというか空虚さを超えるタイプもありませんか。そうなら自然な流れとして対人コミュニケーションにつながるかもしれません。
とはいえ、これは根拠不十分な楽観論です。もっと実態を見なくてはならないでしょう。それに即して意識的に活用すれば可能性は伸びてくると思います。
(ライブ動画型交流サイト―3の1 つづく)