感覚の鋭さや感度のよさが不登校の基本的な背景です

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中学3年生のPくんのお母さんが様子を話しました。それをめぐってしばらくあれこれ話し合います。ちょっと一段落した感じになったところで、私はこう話しました。

Pくんはこれまで闘って来たし、いまも闘っているんです。何にたいして闘っているのかというと風です。自然の風ではなく人から発せられるいろいろな感情や気分の風と闘っています。
多くの人はそういう風があるのを知らないように、やり過ごしたり、半分にして受けとめています。
しかし、Pくんはそのほとんどを受けとめてしまうんです。いろいろな人が発するいろいろな気持ちや気分をいっぱい受け止めてしまうんです。そういう感覚の鋭さや感度のよさがあります。
それを処理する力を付けようとしているけれども間に合わない。一生懸命に処理しようとしているけれども扱いきれない。フリーズに似ています。ここでちょっと休みたい、それがいまの不登校なんでしょう。
感覚の鋭さや感度のよさという言葉に隣にいたお母さんがちょっと反応して、「うちの子もそうでした。小さなころお医者さんからこの子の子育ては大変になるかもしれない」と言われたのです。
別のお母さんも「うちは保育園のころ同じようなことを言われました。でもそれって親はどうしたらいいのかはわからないのですよね」と続けます。
感覚の鋭さや感度のよさを持つことが不登校やひきこもりの背景にあるというのは、最も基本的な理由です。優れているために不便になっているのです。
この子どもたちにとってはその優れた能力を使いこなすための成長を遂げないと持て余してしまいます。そういう力をつけるために闘っているのです。そのために休憩を必要としているのです。
不登校の子どもを持つ親の会の場の状況です。この日の様子の一部を少し変えて報告しました。

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