発達障害についての試論――不登校・ひきこもり親の会でのテキスト

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人は動物の1種であり、現存する動物はすべて進化の途上にあります。人も同じです。進化の途上にあるといっても、時々刻々の変化は見えません。見えるのは子どもが成長する、成人が老化する、負傷が治っていく様子です。これらの変化は生物の進化よりもはるかに速いから見えやすいのです。それらに比べると進化は目立ちませんが、ゆっくりと確実に進んでいます。
ガラパゴスのイグアナの進化は数十年単位で観察され、記録されています(海イグアナと陸イグアナ、混合イグアナ:省略)。
日本人の身長・体型なども、胴長短足からこの数十年に相当スマートになっています。生活する町や商品は昔と比べるとかなりセンスがよくなっています。これらは文化水準に依存しますが、それでも進化を反映しています。
進化はその生物が生息する環境に大きく左右されます。人の場合はその環境に占める社会的・文化的条件が他の動物以上に重要に大きく作用します。

進化は、動物として環境適用に向かって一直線に進むのではありません。いわば手探りでジグザクの経路を通りながら進みます。言い換えるとあるときは不十分で中途半端であり、別のときは行きすぎて調整を必要とします。それらの総体が進化であり、他方では個人差(個体差)が生まれます。
人は大きな歴史的な流れの中で、工業的な生産社会から情報社会に移行する過程にあります。全体として時代に適合する進化に向かいますが地域差、世代差、個人差もともないます。
発達障害といわれるものは、このまだら模様の進化の過程で表われます。いつの時代でもこのような個体差はありましたが、情報社会に移行する時代では身体科学も進歩しており、また個人が尊重される社会環境になっているので、この過程は詳しく観察されます。本人も周囲もいろいろな程度で意識できます。
どの部分がどう変化するのか、変化の様態や速度は一人ひとり違うのですが、ある程度共通する種類に分類されました。一つはアスペルガー症候群(障害)といい、別のものを学習障害といい、さらに注意欠陥・多動性障害といいます。アスペルガー症候群は数年前に自閉症スペクトラムという分け方に収められました。その他たとえば吃音(どもり)やトゥレット症候群も発達障害の1つとして認められています。

ここから発達障害を私自身の経験から話を挟みます。
私が発達障害の1つ、アスペルガー症候群の程度の低いもの(いまではそれは自閉症スペクトラムに入ります)と自覚したのは、10年前のことです。
*アスペルガー症候群と表現するのは私の場合は強すぎる(?)ので、アスペルガー気質としますが、いずれにしても自閉症スペクトラムには入ります。
10年前に臨床心理士のKさんが、アスペルガー症候群の話をしていました。聞いている私はそれが自分の子ども時代の経験に共通していると知りました。子どものなかにいて「超然としている」というのが、なぜか印象的でした。
子ども時代の私は、アスペルガー気質を日常的に表わしていたと思います。小学2年生のとき「変わっている」とか変人と言われていた記憶があります。しかしまた人間関係ではその状態を自分なりに感じて対応していた面もあります。中学生のとき同級生から「タケミくんは公平だ」と言われて気づいたことです。情緒的な好き嫌いがよく理解できなかったのでしょう。嬉しい・悲しいという感じ方も薄かったと思います。そういう感情的情緒的な基準による人との関係ができないので、意識して「公平に」を基準にしたと思います。学級内で弱いとか強いとかよくつかめず、誰にたいしても「公平に」しよう…と。
以下いろいろなエピソードがありますが、省略(または口頭発言)します。

ひきこもりになる人の中心は感覚の鋭さと感受性の並外れた強さが関係しています。そのために対人関係、社会関係に不都合が出ます。大雑把な言い方ですが、ひきこもりはこの置かれた状態における自己存在策、自己防衛策です。
感覚の鋭さと感受性の並外れた強さが、このようにな表現になるのは今日の日本人、特に青少年の置かれた社会的状態によります。このような社会的・文化的環境における対応・反応の1つがひきこもり状態です。
これも進化を模索する過程の一つです。ひきこもりは極端ですが、これほどではないにしても多くの日本人はいろいろな出来事に繊細に反応しています。その成果がセンスのある高度な生活環境の実現です。
日本社会の状態にこれとは別の反応もあります。発達障害的な反応、特にアスペルガー気質の反応がその1つになります。巷にあふれる感情の交錯やいろいろな出来事を感情処断によりやり過ごしていきます。これもまた置かれた状態に対応する過程です。(個人的な実感ではアスペルガー気質は周囲の状況に鈍感か過敏の両極に振れやすい、というのが真相と理解します)。
ここでは社会状態への反応という面から進化を考えましたが、進化を促す理由や進化を表わす姿はそれだけではないようです。
身体面では、重労働不適の人の増大、身長が伸びる、手先が細かい作業に向いている、美男美女が多くなっている…関係ないと思えるものもあるでしょうが必ずしもそうとも言いきれません。
人は社会的に生きるだけではなく、自然的にも生きます。性科学の山本直英先生は説明できない身体表現には生存のための戦略、子孫維持に関係するものがあるといいます。そういう点から見るとなるほどと思えるものはあります。

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