週2回は燃えるゴミの回収日です。9時ごろに出かけるときに見ると、ゴミ置き場のゴミ袋が破られて、道路に散乱しています。
向こうの家の前のゴミ置き場はカラスが数羽とり囲んでいます。上空を見ると電線のあちこちにカラスが留まっています。見渡すとざっと10羽にはなります。
小1時間して自宅に戻ると、ゴミ回収の作業服を着た2人がいます。散乱したゴミをまとめて袋に詰め直しています。回収のパッカード車に先行してこの作業をしているのです。
「おはようございます」と作業員の1人に声をかけると、「カラスにやられちゃうんですよ」と返してきました。
ゴミ回収はいろいろな意味で大事です。街中の衛生状態と美観を保つために必要です。この週2回は一般ゴミ(燃えるゴミ)の日です。一般廃棄物というのでしょう。
週1回は資源ゴミの日です。プラスティック容器などの資源ゴミと紙類、ビン・缶類、ペットボトルの回収です。これらは産業廃棄物になるのでしょう。
月に2回は金属など資源ゴミ回収があり、さらに粗大ゴミは連絡してきてもらうことになります。これらもだいたい産業廃棄物になると思います。
江戸川区ではこのように分別していますが、自治体によりこの分別方法は違うと聞いています。
ゴミ(廃棄物)はうまく分別できれば、資源になるはずです。中学時代に「日本は資源を輸入し、製品に加工して輸出する」と習いました。大筋でこういう要素はいまもあると思います。
日本人はゴミ分別という細かなことを国民的な広がりで展開する特殊能力を持っています。輸入した資源を有効に活用する人間資源です。ゴミ回収の作業員はそこを担当しているわけです。
廃棄物処理業界で働くエンジくんによれば、この業界はまだ発展途上にあるようです(少なくとも江戸時代にこの業種は生まれていますが)。規模もいろいろで、働きらきやすいところもあるし、激しい競争状態のところもあるようです。成長産業といってもいいし、資源産業の1つと言えるかもしれません。
月別アーカイブ: 2016年11月
仕事の長さが短縮されると趣味との壁が低くなる
次が就業時間の長さに関係します。
ひきこもりから動き出し始めたばかりの人には、いきなり働くこと自体はお勧めではありません。もちろん一般論の範囲で例外はありますが…。
まずは外の空気というか、世の中の空気を、人の醸し出す雰囲気に慣れる期間が必要です。そのあとで短時間の仕事らしいものに取り組むのがお勧めです。といっても世の中にはそれにうまく適合する条件の場はできていないのも確かです。
居場所とかカフェなどの受け入れてくれそうな場を探さなくてはなりません。この探す過程こそが重要で、能率よくそういう場所がセットされていると期待すると、期待疲れになります。なかなか見つからないと思い、ゆっくり世の中をうろついてください。世の中の空気にこころとからだを慣らしていく時間です。大事な時間です。
こういう経過をたどって安定期に入った場合を見て感じることです。長期のひきこもりを経験している人には少なくとも週3日か週4日の就労が分かれ目になる人が多いように思います。
いろいろと飛ばしますが、そういう短時間で働ける条件を見つけましょう。ここでもう1点、続けたいことがあります。
私が18歳で働き始めたときは週6日が標準の就業日数でした。土曜日は半日就労で、実際は午後1時の退社が多かったと思います。現在は週5日が基準ですが、将来はさらに短く週3日とか週4日に向かうでしょう。
しかし、そういう時間のレベルとは違う質的な変化が生まれます。ひきこもり経験者は、意図しないままここを準備したのです。それは、仕事と趣味(あるいは遊び)の壁を低くしました。既にそういう人は世の中に多数いるはずです。趣味が仕事というか収入源になります。仕事をしている感覚はないのに生活自体が仕事のようになる人もいると思います。
仕事時間は苦痛であっても、それ以外の趣味の時間は何ら苦痛でなくなります。仕事以外は休息ではなく、趣味の時間が多くを占めるのです。
遠い将来に人の多くは苦役としての労働から解放されるでしょう。それにはAI(人工脳)の発展とともに、このような仕事と趣味の壁がなくなることが関係していると私は考えています。ひきこもりはそのあたりまで考える要素を提供してくれます。
仕事の内容の面から「働きづらさ」を話す
13日の働きづらさを話す会を終えた後もメンバーが多少入れ替わって、その手の話が続いていました。私はその場から離れたのですが、食事会も終わったころその内容を聞くことになりました。やはり働きづらさに戻ったようです。
少なくとも3つの面があります。仕事内容と仕事時間の長さ、それに人間関係です。
Nくんの例でいうと、子どもと一緒に遊んだりできるのが楽しい仕事です。けれどもスタッフのなかで年長になり、毎月の計画とつくり、関係者に連絡をとって場所を確保するなどの役割が回ってきます。そうすると職種が違ってきます。これが苦痛です。好きで始めたことなのに途中で中身が変わる…そういうのもあります。
世の一般の話ですが管理職につきたがらない人が増えたとよく聞きます。会社に入ったけれども予想した仕事内容が違い退社する話も聞きます。これらはつながっています。自分のしたいことははっきりしていて、関係はあるけれどもそれとこれとは違う感覚なのです。
かつては何かしたいことがあると、仕事を覚えながら周辺の人との関係を築いて(例えば3年後に退職して)本来したいことに向かう人が多かったと思います。それをすぐに手掛けようとしていると思えます。この辺は「違う話」と思う人もいるでしょう。
私なぞは古いタイプの人間で、周辺事情がわかった方がスムーズに本来のしたいことに向かえると思えます。しかし、それがベストではない、いやそれは無駄な時間の浪費になるとか、我慢できないということかもしれません。
特に管理職になるとまるで別の職種です。プロ野球を見ると現役の選手をやめた後、コーチや監督になるというのは、身体能力の面から理解できます。ですが身体能力に関係しない職種においては、管理職と一線の技術者や販売員や作業員では同じようにならないと思います。
時間つぶしに苦心するより気晴らしに働く手もある⁈
ツイッターを「ひきこもり周辺ニュース」名で再起動
昨日(11月14日)の夜、「松田武己」名のツイッターを「ひきこもり周辺ニュース」の名前にかえました。
新聞記事を多数蓄積しポータルサイト化してきた「ひきこもり周辺ニュース」から、注目すべきニュースを拡散していくためです。
これまでほとんど放置してきたツイッターの新しい活用方法です。
今後の動向を計測するために、この時点での数値カウントを記録しておきます。
ツイート 2270
フォロー 828
フォロワー 491
いいね 9
モーメント 0
外出の先になにがあるのか 〔独白調〕
2016年11月13日「大人の引きこもりを考える教室」(親の会)のテキスト
家から外に出たい気持ちは強いです。しかし、出ようとすると恐怖心がわき起こります。外出の準備をする、玄関に行く、ここまではできます。玄関先で家の周りの様子を探ります。近所の人の声がするかどうかです。玄関のドアを少し開けてみます。外に人影があるとどうしようかと迷います(この時はあきらめていいのです)。誰もいないと確認できれば大急ぎで飛び出し家から離れます。ここが最初の難関です。誰かに出会うとパニックです(家に戻るか脱兎のごとく離れるかで対応)。
家から出てどこに行くのでしょうか。これという行き先がないと外出は繰り返せません。行き先探しが大事になります。自分の場合はある公園です。人はあまり多くはなく静かなところでトイレがあります(使えるトイレがあるのは大事な要件です)。
他の人の例では、「図書館、書店(書店は減ってきています)、コンビニなど、少しは人の気配を感じながら、人とのコミュニケーションをとらなくてもいい場所」が多いようです。しかし、そういう場所はやがて不十分感がでます。
必要なのは“人”です。行きやすい“人のいる場所”ができると、外出しやすくなります。自分を受け入れられる感じがするところです。あまり話さない自分、静かにしている自分が認められる場所です。これがなかなか見つけられず苦労をします。
最近はカフェがはやりですが、混雑は苦手で行きたくはありません。単純にボーっとその空間を味わいたいのですが、不自然に思われるので本をもって行ったりします(本に集中できるわけでもありません=個人差あり?)。
これは「周囲に人がいる状態で人に影響されないでいられる練習」をしているのです。とにかく人がいると、特に顔を知っている人がいるとその人を気にして落ち着きません。これが他の人に影響されている自分です。その状態から抜け出さないと何もできそうにないのです。
自分のなかにこれというものがないので、周囲に自分を引き付けるものがないのかと探している自分の反応です(自分探しの自分)。もしごく単純な手作業があるとそれを繰り返しているだけでいいので楽にその場におれます。ただし、そういう場にうまく出会うことはほとんどありません。
そういう場所が見つかれば行き先にできます。それにより生活にリズムができると思います(毎日でなくても週単位や月単位)。家の外に行き先があるから外出が繰り返せるのです。そうでなければすべてを家の中で自分の意思で律して暮らすという芸当をしなくてはなりません。そんな芸当を数年も続けてきました。
手芸や工芸などの創作活動はそれができます。やっている人はいます。それを一人の状態で続けられるときはいいのですが、自分は「人のなかにいられる」ことも求めているのでその状態をズーッと続けることができません。
何かこれという興味・関心があり、それにより人とつながればいいと思うのですが興味・関心がまるで見つかりません。人に話すと「何でもいいから」という答えが返ってきますが、「その何でもの何って、何ですか」と聞き返したくなります。しかし問い返す気にもなりません。答えは自分のなかにあるのでしょう。B.ディランさんなら「答えは風のなかに舞っている」とでもいうのでしょうか。
振り返ると子どものころから、自分の興味・関心を自分で消してきた歴史です。遊びよりも勉強がいいと言われてきました。一人でいるのが好きだったので無理をして遊びを避けていたのではありません。だから一人が好きで友達がいないのを誰かのせいにするつもりはありません。
だけど勉強したからと言って自分の興味・関心には結びつかないのです。いまさら遊びが大事と言われても手遅れ感があります。
それに対しては、経験することでしかわからない、経験を重ねなさいという答えが返ってきました。勉強も経験の一つですが、この場合は自分のからだを動かし、人と接触し、自分の頭を使うという形の経験です。
子ども時代なら遊びですが、20代や30代になるとそう単純ではありません。最近はなるべく映画や美術館などにかぎらず、集会的な普通の人が話をしている場に行きます。もし自分にも話せそうなら話しても不自然ではない場所に出かけてみようと考えて、行動しています。高い壁がありますが少しずつの試みです。それでも家から外に出る一瞬のドキドキ感はまだ残っています。
もう周りの人間は就職とか仕事に就く話を勧めなくなりました。さしあたりは楽になっています。しかしそれに代わるものが必要でしょうが、それが何なのかはわかりません。いまのところはリズムのある生活を確立することが目標です。その生活が充実すれば自分が理解でき、人との関係ができるかもしれません。その先に友人的な人ができるかもしれません。
そういう人との関係のなかで自分がわかるのではないでしょうか。勉強しても私にはそれは抽象的なレベルにとどまり、本物の自分は理解できません。生きた人間と接触しコミュニケーションをとれることが自分にはリアルな世界です。いえ、そこはあまりにもリアルすぎる世界でまだそこに入っていくかどうかを戸惑っているのが現状です。そのあたりをわかってください。
いくつかの居場所の集まりについて(11月)
昨日(12日)のゲーム交流会は4名参加と少なかったのですが、少ないなりにおもしろいゲームはあるものです。三田くんによるとそれでももう1、2人多いとさらにいいようです。
今日(13日)は「大人の引きこもりを考える教室」(親の会)のあと、「働きづらさを考える会」を予定していますが、これは誰が参加するのかまるでわかりません。そのあと夜には食事会をするようで、こちらは数名の参加予定です。
15日の午後は「廃棄物業界の現場で働くエンジの話を聞く会」を予定していますが、こちらの参加申し込みはまだありません。誰かが聞きに来るよう期待しています。
11月のパステルアート教室は26日に変更しています。
新ポータル名を「ひきこもり周辺ニュース」に短縮します
通常の事務作業として、新聞記事を探し「ひきこもり・不登校周辺ニュース」に保存する作業をしました。そうしながら「ひきこもりニュース通信員」企画と照合してみました。
メンバーからこれまでの経験も出され、作業の方向が明瞭になりました。
いくつかを紹介します。
第1はこのサイト(準ポータルサイト)の名称を、「ひきこもり周辺ニュース」に短縮します。
第2は、記事の出典は元記事とします。見つけた記事の出典先で、その先の追求はしません。そういう訳でメーリングリスト「なくせ!子どもの貧困全国ネットワーク」を示す「子どもの貧困」表記は削除し元記事の新聞名だけにします。
第3は、広報紙の記事を扱うことです。これは自治体が発行するもので、かなり貴重です。これにより地方紙を含む新聞、業界紙、機関紙、広報紙から情報記事を集めます。集め方にいくつかの提案がありました。
第4は、この集めた記事を広く拡散する方法も意見が出ました。イメージできますので具体化を考えます。
第5は、集めた記事を分類する方法です。より多く記事を集める方向は出たけれども、こちらは不十分です。これも少しずつ進めます。
自分がどう見られていたか示す『新英和大辞典』
「置かれた環境でできることを誠実に務める」を書いたとき、私が職場を辞めるとき、退職の日まで職場委員を普段通りにしていたことを思い出しました。
1974年3月、10年間働いた大阪市立大学医学部付属病院の外来事務を担当する医事課を退職しました。職場の同僚は30人ぐらいで、その送別会の時に研究社『新英和大辞典』(第4版45刷)を贈られました。以来40年余、箱ケースは壊れましたがこの分厚い1冊をときどき引っ張り出しては参照しています。
外来事務は大所帯であり、職場委員(これは職制上の役割ではなく職員組合の基礎単位)を任され、何かにつけてこういう役回りがくるのは中学生以来の“習性”みたいです。
仕事は特別に好きでも嫌いでもなく、しかし、そこに楽しみを見つけるのが得意であったと思います。遠い記憶を引き寄せてみると…。スモン病が噂になれば担当した内科のカルテでそれを探し、眼科担当のときは保険担当医と目の話(話題材料に事欠かない自分の目)をしてもらい、腰痛と思い整形外科を自ら受診したときは学生に囲まれて「やせ型体型の腰痛の教材」にされ、職員組合の副委員長が外科医で……とそれぞれの場面で本来業務以外の勉強やら発見をさせてもらいました。
仕事の合間などによく本を読んでいて、時には英語の本も交じっていました(英語が普通にわかるのではないのに)。新聞記事をこまめに収集していて、特にアフリカ関係が多かったので奇妙に思われていたはずです。
こういう私の日常から「タケミさんはカシコイのかバカなのかわからないことがあります!」と1年後輩のK・Tくんに喝破されました。退職のときの『新英和大辞典』を開くたびに、同僚たちが私をどのように見ていたのかをこの辞書が示しているように感じるのです。どう見ていたか、判断していたか、あなどれないと自戒するのです。