サイト掲載の基礎情報が7000ページを超えました

不登校情報センターのサイトの中心部分はWikiシステムで作成しています。
そしてWikiシステムの基礎ページ数が本日7000ページを超えました。
Wikiシステムはページを構造化(大分類・中分類・小分類など)するために「カテゴリページ」ができますが、それらを含むWikiシステムのページは全体で2万ページを超えています。
さらにいくつかのブログページが6000ページ程度、HTMLぺージもあってかなり巨大なサイトになりました。
公式のサイト制作は2004年からで、不登校・ひきこもり・発達障害などへの支援情報から始まりました。
巨大なサイトになったことによる探しにくさが生まれ、より探しやすくするのは課題です。
また学校や相談室などの支援機関に変動もあり、これらもより正確に把握しサイト上の表示する課題もあります。
そういう課題を持ちながらも多数の人がアクセスし、活用していただけます。
情報を集め、掲載するのはひきこもり経験のある当事者です。
彼らのおかげで私もこのサイト制作にかかわれるようになり感謝しています。
ご利用いただく方からのご意見もお聞きしたいのですが、めったにそれに出会わないのがちょっと残念です。

江戸川区議会議員への働きかけは一区切り

不登校情報センター事務所の移転対応策から始まる1か月弱の検討を踏まえて、今後の方向を江戸川区議会議員に説明をしてきました。
議員数人と話したのですが、問題の所在(複雑さや実践的な対応策)、行政として取り組むときの予測、私たちの20年の取り組みの到達点などを改めて実感することができました。

不登校情報センター事務所の移転という小さなレベルで扱わず、「江戸川区をひきこもりに取り組む見本的な自治体にしていこう」という気持ちで働きかけるだけの意味があると感じました。

推測では少なくとも江戸川区内には5000名を超える“ひきこもり状態”の人がいます。
これは厚生労働省の全国的な推測値を江戸川区に当てはめて考えた数値です。
不登校情報センターには、相談や体験発表会などのイベントに参加した江戸川区在住者の名簿は116名です(都内1500名、全国7000名の名簿の一部です)。

取り組み内容は、訪問活動(アウトリーチ)、相談、居場所ワーク(週3日の事務作業とHP制作=情報提供)、居場所(ゲーム交流会、パステルアート教室、就業を考える会、当事者が話し合う希望の会、絹リサイクルリメーク教室など)、2つの親の会(十代中心の不登校の会、30代・40代中心のひきこもりの会)、さらに他団体と協力する「かつしか子ども・若者応援ネットワーク」や「ひきこもり大学in下町」など多くあります。
一言で「アウトリーチから就業まで」の取り組みを20年かけて蓄積してきたのです。
これらの取り組みは小粒ではありますが、「江戸川区をひきこもりに取り組む見本的な自治体にしていこう」という働きかけとは矛盾しないものと思います。

これからの感想は、一緒に議員に話してきた藤原宏美さんと共有することが出来ます。
議員への働きかけを一区切りして、これからどう進むのかは2人で話し合うテーマです。
私なりの思うこと、藤原さんなりに思うこともあり、統合または分担して進める課題です。

文科省の夜間中学お勧めポスター

かつて小学館『中学教育』に「進路指導のはざまで」という連載を担当しました。
その2000年9月号に「私は中学校を卒業していないの?」というのを書きました。
不登校のまま中学校を卒業している人が十分な読み書きできないまま世に出ている、そういう人からの相談内容を書いたものです。
「義務教育から放置されている」状態を感じたのです。
あれからずいぶん時間が過ぎました。
昨夜、メーリングリスト「子どもの貧困ネットワーク」に、1つの投稿がありました。
文科省が夜間中学を進めるポスターをつくっている、駅近くでそれを見たという話です。
ついにそういう時代が来たのかという思いです。
私の「社会問題化する」予測はある意味で当たっていました。
しかし、まだ期待できるほどの状態にはなっていません。
世の中の大事なことが実現するには時間がかかること、諦めてはならないこと、いろいろな人がそれぞれの分野で取り組んでいる…を改めて知りました。

〔私は中学校を卒業していないの?〕http://www.futoko.info/…/Center:2000%E5%B9%B49%E6%9C%88%E3%…

〔文科省の夜間中学お勧めポスター〕http://www.futoko.info/…/%E6%96%87%E7%A7%91%E7%9C%81%E3%81%…

私は20代のころ町中の診療所で働いていました。
Aさんという人のいいおじさんが患者でした。ほとんど学校に行っておらず字が読めません。
自分の名前の入った診察券を大事にしていました。
今回もAさんを思い出しました。

手づくり本制作教室は、油断していて想定通りに進まず

西東京市でオンリーワンクリューという居場所を続けている鈴木剛さんが来ました。
鈴木さんは『ちいさな居場所 14年の軌跡』のA5版の本にする予定です。
何を作るかは聞いてはいませんでしたが、十分に対応できる範囲のものです。
A5版の本はこれまでに数点作っていましたし、今年正月に作った『ひきこもり国語辞典 改定新版』もそうでした。

鈴木さんは、A4版の版下になる予定の原稿を持って来ました。
これをA5版に縮小して本にします。
そうしたときの文字の大きさ、ホチキスで留めたときの見開きの具合、ノンブル(ページ番号)の位置、扉・中扉、奥付の付け方・直し方の説明あたりはまずまず。

問題はA4版を2枚並べてA3版の大きさにし、それをコピー機でB4版に縮小するところで発生したと思います。
A4版を2枚並べてA3版大にし、それををA4版に縮小します。
ところがこれをうまくできないのでB4版に縮小する中間工程を設けたのですが、この部分で苦心したことを忘れていました。
正月に『ひきこもり国語辞典 改定新版』を作ったとき、ここで二度手間をしたことを思い出しました。油断です。

工程はそのあとB4版のものをさらに縮小してA4版にします。
A4用紙をコピー機にセットするとき、横に置かなくてはならないのですが、そうするとうまく印刷されないことが多いのです。
「紙の向きが違う」という警告表示が出て同じ不具合印刷が繰り返されました。

結局、これが直せないまま終了。
全部はできないまでももう少しイメージはできる程度はできるとは思ったのですが残念。
月曜日にコピー印刷機メーカーのサービスマンに来てもらい直すことにしました。
このコピー機はFAX受信もできる複合機なのですが、FAX受信は支障のないはずです。
鈴木さんには、元原稿の直すところや扉などの追加をしてもらい、5月の連休中に本を制作します。

詩集『狂詩曲・続編』の作品数が100を超える

中崎シホさんの詩集『狂詩曲・続編』の掲載作品数が100を超えました。
2011年5月から掲載を始めて来月で6年です。
はじめは月1作品以上のを投稿した時期もあり、72か月で101作品になります。
先夜11時ころ見ましたところ、本日のアクセスは14件、累計は4500件ほどでした。
アクセスは決して多くはありませんが、私にとっても、不登校情報エンターのサイトにとっても貴重なページです。
中崎シホさんとのつながりは投稿誌『ひきコミ』からです。
詩作を続けていることを知り、作品を詩集にしませんかと提案してできたのが、詩集『狂詩曲』です。
完成は2010年4月、25作品を載せた手づくり詩集です。
詩集完成後も続編として発表し続けているのが、ブログの形での詩集『狂詩曲・続編』です。
詩について語るべきものは私にはありません。
表現することが大事であること、何であれ続けることが大事であると思っていますので、その意味で私は高く評価しています。
その蓄積のうえにどんなことが生まれるのかはわかりません。それは天からのお土産としておきます。
あればうれしいですがなくてもいいし、あると期待しないで過ごせるほうが幸せというものです。

ブログの場合は以前の作品を目にするのが難しくなります。
そこで全作品を一覧に並べ、直でリンクしてみようと考えました。
まとめて時間が取れませんので徐々にその作業をすすめます。
http://www.futoko.info/zzblogk/

パンフレットの作り方教室のつづき

8日・土曜日の午後にパンフレットの作り方教室をします。習いたいという人は提案の1名以外にはいません。
テキストの基本部分をつくりました。作り方教室での説明を参考に充実させていこうと思います。
作り方教室の参加者はいませんか。希望者は連絡ください。

パンフレットの作り方(仮テキスト)

(1)版下制作(文字横組みの場合)
天地、上下に1.5㎜程度の空きスペースを設け1ページ単位の版下をつくる。
目次(ノンブル)を入れる(下段中央)、(奇数ページに上段に柱=章名を入れる)
*文字縦組みの場合は複雑。版下作成、数字表記の変更などもあります。
A3版&B4版で、見開き2ページ・裏表4ページになる版下を作成する。

(1)の補足(特別のページ)
*目次づくり
*奥付づくり
*扉、中扉とは何か
*表紙と裏表紙

(2)コピー印刷をする
両面コピーの仕方。。
2つ折りで4ページになるものを重ねていく。
カラーページを挟みたいとき=全ページカラーは高額になりお勧めできない。
表紙(厚手の紙)の印刷のばあい。

(3)帳合
折りは0.3mm以下のズレに抑える
1ページから最終ページまでを通してみる。

(4)製本
ホチキス留め かなり強力なホチキスが市販されています。
製本テープの扱い方=本の厚さを考慮すること。

夕食を少し持ち帰り小食に新スタイル

夕食は松乃屋平井店に行き、カキフライ定食にしました。
カキフライは5個ありましたが、そのうち2個は持ち帰りました。
ご飯とキャベツとカキ3個の夕食です。
みそ汁は初めから断っています。これで十分です。
偏食に加えて小食も新スタイルになりました。
半月ほど前から、この持ち帰りをしています。
トンカツならカットした5個のうち2個が持ち帰りです。
冷蔵庫に入れて、翌日の昼食などに回します。
これまでもずーっと1回の食事量は少ないです。
中学時代から食事量は少なく、おふくろは「胃が小さい」と言っていました。
Coco壱番カレー店や、パスタ店ではメニューにハーフ(半分)があり、私の定番です。
しかしトンカツの松乃屋ではハーフがなく、だいたいが食べ残しをしていました。
たぶん小食は私の健康法にもなっていると思います。
持ち帰りをすることで食べ残しというか、食べ散らしの終了がなくなりました。
そのうち持ち帰り専用の入れ物を用意することになりそうです。

ひきこもりの人も公からの連絡は容認しやすい

いじめを受け亡くなった中学生がいます。自殺なのか殺害なのか事故なのかは不詳です。
その中学生は学校に来ていなかったので(長期の不登校)、地域の教育委員会は長期欠席の生徒の「安否確認」が必要と判断しました。
そして不登校の生徒の自宅への訪問が始まりました。
欠席している生徒を直接に確認するのです。
虐待を疑われる子どもの安否確認をする児童相談所の方法に似ているかもしれません。
このなかで、これまでは誰とも会おうとしなかった中学生が訪ねてきた教育委員会の人と会ったのです。
所属の学校の担任とは違うのが生徒にとっては会いやすかったのかもしれません。
これは母親から聞いたことです。
しかし別の事情も考えられます。

生活保護を受け始めた親子がいます。
子どもはひきこもりで人と会うことを避けてきました。
ところが生活保護を受けるには、福祉課職員の面接(本人確認)が条件になっているといいます。
それを知った20代の娘さんは担当職員と顔を合わせて受け答えをしました。
これは生活保護の担当者から聞いたことです。
この例と上の中学生の例を合わせて考えると別の事情が浮かんできます。
公の制度、または親の意思や都合ではどうにもならないことは、受け入れやすいと考えられます。

例えば20歳になれば、本人宛に年金の説明や支払いの請求が来ます。
子どもがひきこもっていると、親が本人に伝えないまま代わりに払ったり、当面支払えない事情を返すことがあります。
こういうときは結果はどうするにしても、子どもに伝えて決めて返事をするようにしてはどうでしょうか。
年金制度は公のものであり、親の都合でどうこうすることはできません。
親が代わりに支払うにしても、当面の支払いの猶予を申請するにしても、本人の意思を確かめる機会になります。
親子の断絶状態を転換するチャンスにもなります。
私はひきこもっている本人宛の手紙を、親が見て子どもに渡す・渡さないを決めている事例を聞いています。
これはおかしいと思うでしょう。
年金や他の公の機関からのものも同様です。
子どもの年齢にもよるでしょうが、中学校年齢を超えたら本人宛のものは本人に渡して当然だと思います。
よほど心配のことがあれば一緒に見るとか一緒に考えるケースはあってもいいと思いますが、親だけが見て判断するのは行き過ぎになると考えるのです。
それは子どもを社会から切り離していくことです。
今現在そういうものがあれば、それを子ども本人に渡すことから、事態が進む可能性が開けます。
「ひきこもっている子どもとの接点を意図的につくる取り組み方法もあります」と昨日書きました。
この公の連絡をひきこもっている本人に渡す・伝えるというのがそれです。
「公の連絡」はもう少し幅広く考えてもいいと思います。
友達からの連絡、買い物をしたお店からの連絡などです。

手づくりパンフの作り方教室をします

私は、手作りのパンフレット(冊子)を作成しています。
全部で10点ばかりあります。
いちばん売れているのは『ひきこもり国語辞典』ですが、『中年ひきこもり』と『メンタルフレンド力』の3点が、先日の集会でよく売れました。
その制作のしかたを習いたいという人がいまして、今度の8日(土曜日)の午後に教える機会をつくることになりました。
正確な時間はまだ決めていませんが、もし希望者がいましたら一緒に教えたいと思いますので連絡のうえ来てください。
簡単なテキストをつくって説明しようと思います。工芸的な作業かもしれません。
場所は不登校情報センター、JR総武線・平井駅から5、6分のところです。
江戸川区平井3-23-5 桜コーポ101 松田武己
TEL 03-5875-3730
UNESCOによりますと、48ページまでをパンフレット、49ページ以上をブックといいます。
作り方は同じで、『ひきこもり国語辞典』は128ページありますし、3冊ともブック(書籍=本)になります。

「不運が転じた僥倖型ハプニング」を紹介します

ご夫婦で一緒に外出し、途中で別れてご主人一人が帰宅することになりました。
さて自宅にたどり着いたところで鍵を持っていないと気づきました。
自宅の2階にはしばらく顔を見ていない20代がいます。
やむなくその子に携帯で連絡をして鍵を開けてほしいと頼みました。
数か月、いや1年以上途切れている話しかけです(会話ともいえません)。
しばらくして玄関のドアが開き、しばらくぶりに子どもの顔を見ました。
ほんの一瞬のことです。これからのことはわかりませんが、ちょっとした出来事としてお聞きしました。
私はこれをハプニング型、もう少し分析的に言うと「不運が転じた僥倖型ハプニング」と考えます。
このタイプの別の例を挙げましょう。

(1)家業が倒産してこれからどうしようという状態になりました。
しばらくしたら20代のひきこもり中の息子が仕事探しを始めたらしく、いくつかの会社から郵便物が届くようになりました。
そのあと息子が懸命に坂道を自転車をこいで上っている姿を見ました。
「この子も自分なりにがんばっている」という思いで涙が止まらず、その場から動けなくなった。
ーこれは母親から聞いたことです。

(2)自宅近くで、交通事故が発生しました。
ちょうど2階の自室からこの事故の様子を見ていたひきこもりの男性がいます。
深く考えずに事故現場に行ったところ、現場検証に来た警察官に事故の様子を聞かれ、詳しく話しました。
久しぶりに人と話をする機会になり、それが自分が外出し、ひきこもりから抜け出る転換点になりました。
これは30代になった本人から聞いたことです。

(3)部屋で休んでいたら近所で火事が発生したようです。
外は怖いと思っていたのですがそのときは夢中で(たぶん自分に関心は集まらないという予感もして)、近所の火事の様子を見に行きました。
久しぶりの外出でしたが、気になったのは自分の外出用の靴が玄関になかったことです。
「全然外出していないので靴も片づけられていたか」というのが感想でした。
これも母親から聞いたことですが、親のほうも靴の話からこの事情を話してくれました。
こちらはこの外出以外の展開にはならなかったようです。

阪神淡路震災や東日本大震災の時の、ひきこもりの外出や行動もこれと類する例になると思います。
そういう大きなことではなくても日常的なことはときどき発生しているのです。
このタイプは不運や不幸に起因しているので、意図的な取り組みにはしづらいことです。
まずい事態の時には事態を転換するチャンスが隠れているかもしれません。そう考えて対処方法を考えましょう。
ひきこもっている子どもとの接点を意図的につくる取り組み方法もあります。
粘りと工夫とユーモアが必要と思いますが、次にそれも紹介します。