2月2日(金)になりました。
午前にBさんがきて、食事などの用意をして帰りました。
ところがそのあとでまた急激に痛みが出てきました。油断でしょうね。
入院をしようと決心をしました。Bさんには午後になってからまた来てもらい、入院の用意をします。
西村記念病院に電話をすると、すぐに入院できる部屋が取れるかどうかわからないといいます。
そのときはそのときと考え西村記念病院に行くことにします。
この日は作業に来ていたDくんに「松田、西村記念病院の入院」と書いた張り紙をしてもらいました。
再び救急車を頼みました。4日間に2度目の救急車です。
申し訳ないと思いつつここは調子のいいことを言っておれません。今回は10分ほどで来ました。
前回の整形外科医に診てもらいました。
医師からすれば激痛があるとはいえ、安静にしていれば痛みの治まるという見立てです。
再度MRIの検査をして、それを確認しました。
その間にどうやら入院できる部屋が確保されたようで、入院することになりました。
入院に当たり、胸部のレントゲン撮影、心電図検査、10㏄ほどの血液によるスクリーニング検査が必要でした。
人生はじめての入院生活です。私を含むすべてが高齢の4人部屋。
なんとオムツを付けることになりました。絶対安静に近い入院生活の開始です。
L.ハーンの『心―日本の内面生活の暗示と影響』を持ってきていました。
2日後には新渡戸稲造の『武士道』も持ってきてもらいました。
両方ともすでに読み終えていたのですが、読み直すにはいいと思ったからです。
ノートできないのが不便です。思いついた内容はまた別の機会に書きましょう。
4日の午後になると状態はかなり改善しています。
動いても激痛になることはなくなりました。
すでにオムツはやめてリハビリパンツというのに変わっていました。
これらにお世話になることはなく部屋のすぐ前、廊下を挟んだトイレに自力で向かいます。
翌3日作業療法士が来て、腹筋を強くすると脊椎の負担が軽減されるからと腹筋を強くする方法を教えてくれました。
そして歩行補助器をもってきました。これを使えば歩きやすいので、以後はトイレまではこれを使います。
杖を使ってトイレに行ったのは最初の夜間の1回だけです。
面会時間は午後の1時半から8時半まで。AさんとBさんが毎日(2~4日)来てくれました。
夕食が6時なので寝るまでの食べ物や天然水の補充などです。
薬を規則的に服用するので、その影響で口が乾く、便が出にくくなる感じです。便秘にはなりませんが。
食事は朝8時、昼12時、夕6時です。
私の食生活は時間的にはかなり規則的なのですが、同じ規則的でも間隔が狭く特に夜が早いです。
そこは違いましたが、食事はよかったと思います。
食事内容には発見がありました。これはページを変えて書きましょう。
4日の午後になって、担当の看護師に「明日退院したい」と告げました。
症状からして医師が毎日診察に来るようなものではありません。
「医師に相談します」と看護婦は答えました。4日の夜になって、退院OKが出ました。
これを既に帰っているBさんに連絡するために階下にある公衆電話まで歩行補助器を使って動き、5日の朝10時ごろに来てもらうように頼みました。
5日は月曜日です。
土日曜日は休みのソーシャルワーカーさんに来てもらい医療費などについて相談しました。
これまたいい勉強の機会です。
自治体により多少違う面もありますが、役立つ情報を教えてもらいました。
そして今回の医療費の計算もお願いしました。
医師が顔を見せましたが、診察というのではなくあいさつ程度といっていいでしょう。
それらを終えたころBさんが来ました。病院の車いすを借り、自宅まで押してもらいました。
近いということはこういう時は便利です。
自宅は乱雑のままですが、片付けるより休むのが優先です。
80%回復として無理を避けるつもりです。
6日に請求書の発送、7日に会報の作成と発送を終えました。
こうして徐々に通常の生活の戻りつつあります。
そのヒントが、健康に気を付ける方法と食生活の変更です。
これはページを変えてふれましょう。