社会における家事労働の位置(下)

ひらめきはここでした。日常にありふれており、そうであるだけにさして重要性に気づかないものがある。「主婦の家事労働」もそれではないか。それは慣習であり、自然にくり返され、疑われず、それでいてこれという定式的な価値判断からは外されています。
ある人の家事労働は、深く感謝されることもあります。ある夫は妻の家事労働を分担以上に手伝ってくれます。しかしそれはある種の珍しい事例ではあるにしても一般化された社会的共通認識とはされていません。特徴的なのはGDPにカウントされない生産活動であることです。GDPが考案されたのは、A.スミスからは相当に後の時代です。
A.スミスは土地から切り離された自由な労働者は、自分の労働力を商品として扱かわれる人と気づきました。家事労働については何かを気づくきっかけ、視点が見つけられるのでしょうか? 
それはむしろ逆に「自由のなさ」を特質としているのではないのか。労働力を商品化できる人の「土地からの自由」は、不運な状態であると思えたでしょう。財産からの自由が財産を持たないことであるように、土地からの自由は土地を持たないことなのですから。
それに対して、家事労働があること、「家事労働からの自由」がないことは、一家の主婦にとっては逆に幸運な状態にあると言えるのかもしれません。両者は感覚的には反対におかれていると思えます。そうであるから、家事労働については何かが見過ごされてきたとも言えるでしょう。これに関して早急に何か結論めいたことを言うわけにはいきません。今回はこの点はすすめません。

もう1つの問題意識にふれなくてはなりません。特定の時代の社会の性格は、そのときの商品(およびサービス)が、どのように行われていたかによって、——すなわち生産手段の所有関係とそれを関係する社会の構成要素を見ることによって理解できます。
これはA.スミスよりもK.マルクスにより深く研究されたものです。しかしマルクスは(むしろ盟友のF.エンゲルスは)もう1つの規定要因を指摘しました。それは家族関係です。人間の家族関係にも、変遷の歴史があります。現代の一夫一婦制の、とくに核家族化した状態は古代から連続しているのではなく、やはり近代の状態といえます。生産関係ほどには鮮明ではありませんが、所有・生産関係に対応して家族関係も変わります。両者が時期的にピタリと一致するのではないと思いますが、おおよそ相対するものとみられます。
家事労働もおそらくよりゆるやかに変化してきた歴史があると思います。家事労働を追求していくと、家族関係の変化につき当たるのではないか。そのように想定できそうです。
最後に『国富論』が、学生のために用意された書物でないことも安心材料です。この点も私にはこの本を買わせる誘因でした。私は家事労働とその周辺のあれこれを少しずつ書いてきました。まとまりがなく、というよりもまだ核心をとらえていないために、アピールする内容に欠けています。あれこれの面を考えてきたそれぞれを、その全体をまとめるのを優先しない、それでいいと思えるのです。

社会における家事労働の位置(上)

高田馬場に行ったついでに古本のブックオフに寄り1冊を買いました。R.ハイルブローナー『入門経済思想史』(The Worldly Philosophers:八木甫・ほか訳,ちくま学芸文庫.2001)。文庫本とはいえ500ページを超えるし、古本とはいえ税込1000円を超えます。最初のあたりを拾い読みするうち何かがひらめき、買いました。
話は変わります。私が大阪市立大学経済学部(夜間)に入学したのは1964年、17歳のときです(8月で18歳)。大学には数年在籍したのですが、授業に出たのは全部で30時間もなかったでしょう。1年生の終わりに試験があり、ほとんどの教科は欠席でしたが、1つだけ試験を受けたのが佐藤金三郎先生の「経済原論」です。問題は「労働力の商品化」でした。B4大の紙1枚が回答用紙に配られ、学籍番号と名前を書き、回答という自分の意見を書きました。
問題は意外ではありませんでしたが、これが大学の試験かと妙に感心しました。ほぼ全員が勤労学生でしたので、佐藤先生は昼間の学生の回答とは違う何かを期待したかもしれません。どういう回答を書いたのかはちっとも思い出せませんが、何を書けばいいのか困るものではありませんでした。
『入門経済思想史』のはじめは、近代資本主義が労働力の商品化、それとならんで土地の商品化が表われはじめた時代を描き始めていました。大学時代には、当然のことですが、「労働力の商品化」の意味を、この本に書かれている視点からは見る目はありません。
著者は1776年にA.スミスが『国富論』(the Wealth of Nations) を書く以前の状態を描いています。現代なら学校を終えた人たちの多くは企業などに就職するのが当たり前です。しかしそれは大昔からそうではなかったし、イギリスだけでなく日本もまたそうでした。江戸時代には商店や職人などが丁稚(でっち)奉行する仕方は広がっていましたが、——それは後に賃金労働者になる萌芽的でありました——近代の労働者ではありませんでした。
「それまで何世紀ものあいだ、世界は伝統や命令という居心地のよいお定まりのやり方でうまくやってきた…。それが、こうした何も心配もない状態を放棄し、代わりにうさん臭くてわかりにくい市場システムとやらを受け入れ」(P29)たのです。物品が商品になるように労働力も商品になる時代がきたのです。
話をもう一度脱線させましょう。近代以前には、働く人(全成人といっていい)への給与のような支払いはありません。それらの人たち(多くは農民)から税を集める役割をしたのが国(くに)でした。農民は生産物の半分(地域や時代や生産物により違いはある)を、税として徴収されました。人々は残りで生活をしていたのです。国(国家)はなぜそれを徴収できるのか。ここでは省略しますが、単純に暴力・強制によるだけでは言い尽くせないとしておきます。
さて脱線から戻ります。一定の給与をもらってある事業所で生産的活動に従事する形の労働者は、以前にはいませんでした。それが可能になったのは、社会状態の発展によります。A.スミスはそれが最初に表われたイギリスでそれを目にしたのです。耕作地を追われ土地を持たない人が生まれました。その人たちを受け入れる生産事業所で働く場が開かれ、土地を持たない人(土地から自由な人)は自由な意志で働く場を求めました。そうすることで生計を得、生活条件をつくったのです。
この人たちは奴隷ではありません。奴隷にはそのような自由はありません。全人格ごと奴隷主の所有物でした。この人たちは誰かが領有する土地の従属物でもありません。すなわち農奴とも違いました。奴隷でもなく農奴でもない。全人格ごと所有されるのでもなく耕作地に縛られてもいません。土地からの自由と仕事先を選べる自由をもった、二重の自由を持つのが近代的労働者です。自分の労働力を雇用主に売る、労働力の商品化はこうして実現しました。佐藤金三郎先生の「労働力の商品化」設問への回答の主旨がこれです。
私はあの試験の回答をおおよその意味でこれを書いたはずです。しかし、今回この本でおやっと思うのは、回答した当時はこの社会状態に気づいていなかったと思えたことです。それは日常であり、特別の意味づけではなく、くり返され表われ、意識されていませんでした。A.スミスは、それを掘り起こして記述したのです。
ひらめきはここでした。日常にありふれており、そうであるだけにさして重要性に気づかないものがある。「主婦の家事労働」もそれではないか。それは慣習であり、自然にくり返され、疑われず、それでいてこれという定式的な価値判断からは外されています。

不登校情報センターの居場所時代(企画)

8月10日(土)、Ntくんが1か月ぶりに来ました。およそ2時間、ほぼずーっと話しました。これまでの情報センターで起きたエピソードについてです。彼とはこれまでもそういうエピソードを話す機会はありましたが、今回は網羅的に、たぶん十数人にまつわるエピソードを話しました。
Ntくんは約50歳とします。不登校情報センターの当事者の会(居場所)に固定的な場ができていた2000年以降のいろいろなエピソードをよく記憶しています。私の知らないことも多く、また知っていても彼の目から見た様子を話してくれます。
現在(2018年以降とします)の居場所は数人が個別に来るだけで、当事者同士で話し合う場ではありません。ただ1998年から2017年までの約20年近い間のひきこもり当事者中心の居場所は、きわめてまれなものであったと回想できます。
中国の宋代に『水許伝』という小説で描かれた梁山泊(りょうざんぱく)と少し似たところがあります(私の妄想?!)。豪傑英雄は1人もいませんが、多くの個性ある人がいました。整列した秩序立った集団ではありませんが、それぞれが自分の距離感をもちながら(しかしときどきそれを踏み外したりして)、互いに平穏な場をつくっていました。体験した経過も違い、若干の性的少数者も混じる男女で、年齢幅はかなり広い人たちがこの状態をつくりました。
私の役割は場の設定者でしたが、これという場の条件を定めてはいません。数人がアニメや映画を話題にし、自宅で描いた絵などをもってきて(遠慮がちに)見せてもいました。場の運営として特別のプログラムはありません。協力して参加した数人のカウンセラーさんが、学習会を開いたりしていましたが、参加は自由でした。
居場所の参加料金というのも、ときに会費制を謳ったこともありますが、払う払わないは各自任せという具合です。協力したカウンセラーさんには料金を設けたり、また定期的な学習塾にした人がいて塾料を設定した人もいました。有料パソコン教室を行った当事者もいましたが、会場費は無料でしたし、それで大盛況になるものでもありません。
「不登校情報センターを働ける場にしてほしい」という要望に応えて、DMやポスティングも行いましたが、そのほぼ全部の入金をその作業参加者に分けました。
資金面からみてこういう活動がどうして実現したのか? ほとんどが協力している学校など不登校やひきこもりの支援団体からのものでした。2001年~2005年の第一高等学院の時代には家賃は無料でしたが広いスペースでしたので光熱費がかかったので、他の場と費用負担は似たようなものでした。しかし、収入も支出もその活動量に比べると驚くほど小さかったことは確かです。私にとって1998年から2017年までの約20年間は、無政府的でありながら参加者の自主性によって平穏と安定が保たれていたおとぎ話のような時代であったと思えます。
こういう居場所であったから(ときには心理的な衝突もあったとしても)、各自がそれぞれ自分らしさを発揮したのではないかと思います。日本の各地でいろいろな居場所が試みられおり、私なりの感想を言える根拠になっています。不登校情報センターの居場所が最高のものというのではありません。それでも人間が自由になるときの姿を想定できると思えるのです。
Ntくんは、そのそれぞれの瞬間のことをよく覚えていて話してくれます。Ntくんと話したのは、この日は十人余でしたが、話していくごとに別の人の名前が浮かびます。それで、これからしばらくはこのあたりをテーマにして話しを続けていくことにしました。おそらく30人から50人の人が話題に挙がるでしょう。
個人名が出るので、発表はできないかもしれません。作業費の支払いなどは記録があり裏づけられるでしょうが、それらにもあまりこだわらないことになるでしょう。これまでもいくつかのテーマで発表したものもあります。3冊の本も発行しています。
『引きこもりと暮らす』(東京学参,2003年)、『ひきこもり 当事者と家族の出口』(五十田猛,子どもの未来社,2006年)、『ひきこもり国語辞典』(時事通信出版局,2021年)を発表し、それぞれ関係することが書かれています。それらとの厳密な照合も気にしないでいきます。
1つだけ確定的なのは全体の時期です。
1995年9月に不登校情報センターの名前は生まれました。当事者の居場所(集まり)はその後自然発生的に生まれましたが、事務所を固定した①大塚時代(1998年9月~2001年6月)、 ② 新小岩に移転した第一高等学院時代(2001年6月~2005年8月)、③ユートピアマンション時代(2005年8月~2013年8月)、 ④ 平井転居後のさくらコーポ時代(2013年8月~2018年8月)の4つの時期とします。
今度思い立ったことはNtくんの記憶をよびおこし、それによる私の記憶も引き出すことです。そうすることで「無政府的でありながら、参加者の自主性(自然なふる舞い)によって平穏と安定が保たれた、おとぎ話のような時代、場所」を見直そうと考えています。 

孤独死をさける包括的体制の内容

8月3日(土)「かつしか進路フェア2024」が都立南葛飾高校で開かれました。参加高校は97校(資料参加のみが数校)。フェア参加者は葛飾区立の中学3年生と父母が中心ですが、他区からもやってきた人はいるようで、2000人は下らないでしょう。
私は全体の相談コーナーに「子ども若者応援ネットワーク」の一員として参加です。しかし主たる目的は別にあり、ここではそれを話します。
参加校のうち不登校生の受入れが多いと思える7~8校の相談担当者と話しました。一般相談者が途切れる隙間を利用したものです。各校の様子を知る意見交換です。「各校は不登校だった入学生に対してどのように対応しているのか」が私の関心の中心です。実際にはその枠からはみ出していろいろな状況を聞くことができました。
全日制のある高校は、入学生の過半が不登校の経験者です。ある通信制高校は不登校経験者が入学の多数を占めることを前提(?)として、週1日から週5日までのコースを設定し、コースを移動できるようにしています。生徒本人の関心の強いゲームなどをサークルにし、技術知識が取得できる内容をもり込みます。教科にするとレポート提出が必須になり、それがハードルになるのでサークルにしているとのことでした。そこから技術に関する資格取得を目標にし、登校日数を増やすコースに移行する…という具合です。
教科全体の構成は文部省の基準がありそれに沿うわけですが、各校でそれを意味づけています。私の見るところでは、対人コミュニケーションにつながること、自ら動いて実体験する方向になること、それにオンライン導入などコンピュータが生かすこと——こんな感じでしょうか。生徒の実情に沿い、各校の特色を生かす教育目標や方法にしていると思いました。
そのあとで気づきました。それらは対応方法であり制度ではありません。一般に高校や教育機関はそれ以上をできません。あまり強くは意識してはいませんでしたが、「だれ一人として取り残さない」ためには、これらの工夫、努力の次に制度が必要になるのではないか。
制度とは何か——前回の「孤独死をさける包括的体制」につながることです。進路フェアの帰路で制度として考えるべき3点が浮かんできました。
1つは、対人的接触を避ける気持ちの人の自尊心を尊重する方法が必要になること。次には虐待を受けている可能性のある子どもには「安否確認」の方法が取り入れられそうであり、それを発展的に生かすこと。もう一つ「子どもへの司法面接」の考え方を広げて用いられるのではないか。
自尊心を尊重するのは後回しにされそうですが、はじめに考え、全体を見たとき改めて確認する項目です。
安否確認とは、「対象者が安全な場所にいて無事なのかを確認することです」。行政としてのニュートラルな関わり方になると考えます。
「子どもへの司法面接」とは「虐待や性被害の目撃者・当事者となってしまった子どもから、正確な情報を引き出しつつ、子どもへの負担を最小限にするためには、いかにして聴き取りを行なえばよいのか?」を追求することです。これを青年期や中高年期のひきこもり状態の人に適応するには、かなり高度な熟達を要すると思いますが、その考え方を発展させることになるでしょう。
各人の自尊心を守ることと、安全確認、熟達した司法面接の方法が両立すれば、「一人として取り残さない」行き届いた制度に近づけるのではないか——そう感じたのです。これが「孤独死をさける包括的体制」の内容につながるのではないか、と。
学校・教育機関の役割と行政・司法的機関の役割分担を明確にできそうだと思いました。

「ひきこもりの人の見方が甘い」に答える

ある人から松田さんはしばしば、ひきこもりのことを「無害な善人」のように書きますが「そうとも言えないのではないでしょうか」と言われました。それへの私の答えです。
私の言い分をそう受けとるのはもっともなことだと思います。もちろん全員を文字通り「無害な善人」と考えているわけではありません。少なくとも否定的な表現は使わない、できれば肯定的な面を前面に出したい、と考えています。
1人の人間はいろんな面をもちます。私は人を「社会的な面と、非社会的な面がある」ととらえます。身体条件(身長、容姿など)や性格などは非社会的な面の代表例です。
社会問題として考えるとき私が重視するのは人間の社会的な面です。社会的にハンディを持つ人、その代表は身心にハンディをもつ障害者です。当然なことですがその中にはいい人もいるし、どうかと思う人もいます。しかし、これらの人は置かれた状態に対応するため、多くの苦心がさけられなかったと思うのです。それは素直な人間の成長を助けたかもしれないし、その成長を壊したかもしれません。それがどう表れるのかは個人の特質やどうにもならない環境かもしれません。この前半の心身の障害をもつ個人、それが社会的な人間の面です。
子どもはどうでしょうか。一般に自分の力では自分を守ること、対処することはできません。子どもにも苦心はあるでしょうが、しかし未来があります。子どもであることが(ハンディがある人)、社会的人間の面です。
高齢者はどうでしょうか? これはとくに一律には見られません。経験だけでなく資産・経済力、あるいは社会的存在で同じ高齢者といっても格差は大きいです。一律に「社会的にハンディを持つ人」ではないでしょうが、それでも多くは心身のハンディをもち、ハンディをもつ社会的人間は多いと思います。
女性はどうでしょうか? 男性優位社会において一般にはハンディのある社会的人間ですが、高齢者と同じく個人差が大きくあります。社会的人間が、その人個人の振る舞いに表われる性格に影響する前段の状態にあるとみるのです。
さて「ひきこもり」は社会的人間の面でみるとどうでしょうか? 一部例外はありますし、そして個人差(家族の状態などに左右される)はありますが、全体としてハンディを持つ社会的人間に属すると考えられます。
これらのハンディを持つ社会的人間は、他にもいろいろいます。差別を受けやすい職業につく人、経済的な困窮の人などです。
私はこれらハンディを持つ社会的人間に対しては、その非社会的な面(といっても個人差は大きいのですが)の振る舞い、言動、性格などを「甘く」とらえます。それでいいと思っています。もちろん程度もありますし、限界もあります。ハンディを持つことによる、ゆがみ、焦りから受け入れ難い事態を招くこともあるでしょう。その程度や限界を超えるものには批判的でありますが、一方では同情することも多いのです。
ひきこもり当事者間がうまくいかない例がよくあります。たぶんここに原因の一端があります。何かを断念したが故の反発心も見えるではありませんか。私が全てのひきこもりを「無害な善人」としているとは思えませんが、できればそうであることを願ってさえいます。そうなってほしいのです。個人関係では率直に伝えることもありますが、一般に表現するときは社会的なストレスを受けた人たちとして「無害な善人」のように書くことは多いと自認しています。

孤独死をさける包括的体制が必要

コロナ禍以前は親の依頼を受ける形でひきこもりへの訪問を重ねていました。訪問を始める前にある手続きを定式化しました。5~6項目の選択肢を提示し、どれがいいのかを当のひきこもりに選んでもらうのです。パソコン教室に行き技術・知識を身につける。ハローワークに行き働く場を探す。定期的に相談者に来てもらう……など親と私が相談して選択項目を考えます。別に[ ]の空白を設け、自分ではこうしたいという意志表示できる項目を設けます。これら合計で 5~6項目の選択肢になります。
この結果の多くは「定期的に相談者に来てもらう」が選ばれます。実際は選んだというよりは「残った」といえばいいでしょうが、それでもそれに〇を付けたのはひきこもり当事者です。
こうすることでひきこもりへの訪問をしやすくなります。ところがある母親がこの[ ]枠をつくれないといいます。30歳近いひきこもりとはこれまで「そうなったら死ぬ」というやりとりをくり返してきたのです。母親は[ ]にそう記入されるおそれを感じたのです。
不登校情報センターの居場所に来ている人にも、問い詰められて「そうなれば死ぬ」と答えた人が数人いたので、私にも推測できることでした。
この例はもう20年近い前のことです。しかしおそれていたことは現実になっていると推察できることが報じられました。様子は少し違いますが、産経新聞2024年7月22日付の1面トップ記事です。
2018年~2020年の3年間に東京23区で742名の若者が孤独死していたと報じられました。東京都監察医務院は「自殺や死因不詳などの異常死のうち自宅で死亡した1人暮らしの人」を孤独死としています。報道によると10代~30代以下の該当者は1145人おり、そのうち742人が孤独死になります。
30~39歳402人、20~29歳325人、15~19歳15人、15歳以下該当なしです。不登校情報センターの居場所に通っていた人にも、2005年~2010年に少し似たことがあります。Okくん、Hyくん、Shくんでいずれも30代男性です。彼らは家族と同居または近い所に住んでいたので自殺ではありますが孤独死ではありません。Ttさんは20代の女性で家族と離れた一人暮らしで亡くなりました。彼女は監察医務院のいう孤独死に該当するでしょう。自殺かどうかは判断しづらいですが服薬とアルコールを併飲しており「そうなってもいい」気持ちではないでしょうか。
これらの人はいずれもすばらしい力をもつ人です。事態を深く洞察する力をもっているが故に、しかしそこから抜け出す道を探し当てられずに別の道を選んだのではないか。本当にすばらしい感性と知性をもつ人たちを、社会は失ってしまったと思えるのです。
この事態から監察医務院の報告は、より広がっている深刻な事態の「家族から離れている人」たちに限定して数値化しているとも言えるのです。事態はより広く考えてしかるべきなのです。
産経新聞の記事は、これをひきこもりのセルフネグレクト(自己放任)の見出しをつけ、社会面で紹介しています。私はひきこもり経験者の一部がそうなる可能性が高いと懸念していますが、ひきこもりに限られた事態ではないとも考えます。
産経はその要因をセルフネグレクトとし、セルフネグレクトを自己放任としています。ミニ解説ではセルフネグレクトを「不衛生な環境での生活や必要な医療・介護サービスを拒否するなど心身の健康維持ができない状態」(2023年厚生労働白書)としていますが、少し違和感があります。日本語の自己放任にも納得できない感じがします。社会への絶望、人生への諦めなど気持ちの説明がないからです。
この記事の論点としてコメントする岸恵美子さん(東邦大看護学部教授)は言います。「国は既存の制度の対象になりにくい事例も包括的に対応する重層的支援体制整備事業でセルフネグレクトに対応する方向だ」。そして「相談対応だけでは命や人権に関わる深刻な事例が起こりえる。定義が不明なため自治体の調査にもばらつきがあり、法制度化しないと命は救えない」と結んでいます。
制度の内容にはふみ込んで説明していませんが、状況は難しい形で広がっています。とらえる軸は複数想定され、程度も幅広いです。それを定式化する作業です。具体的には先のOkくん以下4人とも、家にとじこもったままのひきこもりではありません。居場所に通い、ある人は働き始めるなかで何かにぶつかりました。人や社会との間合いをとり始めたからこそ直面する苦悩であり、苦闘です。社会的背景が大きく変わるなかで、個人の努力・自己責任に任せる(自己責任)では無策です。
それらを制度的に包括する内容を盛り込むことになるでしょう。事態は法制度化して国と自治体で手を差し出さなくてはならないところにきているという岸さんには私も同じ意見です。

Hasina escape to India.

江戸川区には外国人が、とくにアジア系の人が多い。
店の定員にはベトナム、ミャンマー、バングラデシュ、中国…などの出身者もいて顔見知りになっている人もいる。
先ほどは店で食事代を払うときバングラデシュの出身の若者が担当し、支払いは私だけになった。
〝Hasina escape to India、it‘s good“というと、彼は首をかしげて「日本語はよくわからない」という。〝It‘s English〟と言ってもう一度ゆっくりと〝Hasina escape to India、it‘s good“というと、彼は笑顔を見せた。ちょっと驚いてもいた。「ひどかったからね」と日本語で答えた。この若者も喜んでいると確認できた。バングラデシュの出身であることは前に聞いていた。
Hasinaはバングラデシュの首相で、実名のつづりはわからない。

家事と仕事の両立視点から家事労働を考える

太田聰一・橘木俊昭(著)『労働経済学入門[新版]』(有斐閣.2012)を読みました。労働経済学の視点から家事労働を考えようとしたのです。本の後半は、女性の労働、若者の労働、高齢者の労働を個別に挙げています。とくに第8章「女性を働きやすくする」は、家事労働を考える上で、かなり参考になります。
「多くの労働経済学の教科書では、女性労働は章を設けて論じられていない。…本書では女性労働の問題をこの章に集中して考察することにしたい」(P159)とあります。そして女性労働の特徴を4点あげています。
《① 「夫は仕事、妻は家事」という意識が社会に根強く(性別役割分担の意識)、それが女性の労働供給に影響を与えている。
② 結婚や育児のために女性が労働市場から退出して、非労働力となることが多い。
③ 企業において女性への処遇に差別がある。たとえば、男女間で大きな賃金格差があったり、女性の管理職が男性に比べて少ないなどの問題がある。
④ 女性に非正規労働(パートタイム労働者、派遣労働者、契約社員)の人が多い。
これらは相互に密接に関連しながら、女性の労働問題全体を形づくっている》(P159-160)

「女性労働率(勤労可能な世代のうち、労働力となっている割合)……戦争前や戦争直後の数年は60%を超えていた」——農業が主産業(家業)であった時代では、女性は家事と家業の兼業であったのです。
「高度成長期頃から低下し、40%台になった。しかし1970年代半ばあたりから反転し上昇し始め、1991~92年のバブル経済のピーク時に50.7%を記録し、その後はやや低下している。…25-59歳の女性の労働力率は傾向的に上昇している」(P160)。
高度成長期以降は家計が豊かになり、「妻は専業主婦として家事と育児に特化できる」…「夫は仕事、妻は家事」という分業が最も際立ったのがこの時期。

「夫は外で働き妻は家を守る」考え方の賛否(%):大きく変化している。
1972年
男性 賛成 52.3% どちらかといえば賛成 31.5% ⇒合計 83.8%
女性  賛成 48.8% どちらかといえば賛成 34.4%⇒合計 83.2%
2009年
男性 賛成 11.9% どちらかといえば賛成 34.0% ⇒合計 45.9%
女性 賛成  9.5% どちらかといえば賛成 27.8%⇒合計 37.3%

結婚時に退職した女性が再就職に向かう理由(バブル経済崩壊後)
① 就職経験がある。
② 夫の所得だけでは家計に余裕がない(子どもの教育費や住宅ローンの返済)。
③ 高学歴化に伴う就職志向の高まり。
④ 経済のサービス産業化により女性の就職機会が拡大(働く環境の整備)。
⑤ 外食産業や電化製品の普及で家事負担が軽減。
これらの結果、家事・育児の負担の多い女性は「仕事と家庭をどう両立させる」かが問題になる。これが少子化問題の背景になっている。

家事・育児と女性の就業の関係〈片働き・共働きの推移〉
共働き世帯数の増加 (5割増加)
1980年 800万強世帯 ⇒ 2010年 1200万弱世帯
雇用者の共働き世帯 (2倍に近い増加)
1980年 600万世帯 ⇒ 2010年 1100万世帯
男性雇用者と無業の妻の世帯 (かなり減少)
1980年 1100万世帯 ⇒ 2010年 800万世帯

共働き世帯における女性の就業方法(パートタイム労働者数)
1980年 28% ⇒ 2010年50%前後(約1100万人)
この理由は「家事、育児負担が女性に重いことから、短時間勤務が家庭との両立を図るのに好都合。…雇用側にとっても、パートタイム労働者の雇用には、多くの場合は社会保険料の事業主負担部分を支払う必要がない」。

男女共同参画社会——1999年「男女共同参画社会基本法」の制定。
仕事と子育て(+介護)の両立支援策、女性のチャレンジ支援策が実施される。
育児・介護休業法(子どもが1歳になるまでの休業を認め、3歳までは勤務時間の短縮を講じる。
休業期間中の所得は、雇用保険から休業労働分の40%、1歳2カ月までは育児休業できる(男女とも)。
育児休業取得率(2009年)は女性85.6%、男性1.72%。
*現状は法の目的からほど遠いところにある。

ワーク・ライフ・バランス
2007年12月、政府は「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」と「仕事と生活の調和推進のための行動指針」を策定。「背景には、多くの労働者が長時間労働などのために仕事と家庭のバランスが崩れている状況では、いくら家庭面だけを整備しても、実効性が伴わないという考え方がある」(P175)
となって、この章は終わります。

女性労働の位置、内容、現状と問題点などがそれなりに整理されているのが第8章です。感想としては迫力不足。迫力で問題を解決できるとは思えませんが、現状を見たうえで転換する方向を想定できないと、現状認識も迷停する感じがしました。
具体的イメージとしては、子育て手当を子育てに関わる家事労働と評価し、子ども用の費用+子育てに関わる家事労働と見立てるのはどうでしょうか。
介護手当は知りませんが、身体不自由な人への障害者手当を参考に考えます。それを参考にすると、介護を受ける側の生存権と介護に関わる家事労働になります。
その他の家事労働を「家庭を維持、存続させるための家事労働と認める」考え方はどうでしょうか。
私の考えることはいささか飛躍が過ぎるでしょう。それでも少子化が進行し、社会の持続可能性がさらに動揺する事態では、何らかの対応を政府・自治体は考えざるを得ないでしょう。その際には飛躍した考え方も求められるのではないでしょうか。すでにその時期になっているのではないですか?
仮に政府と自治体が対応を進めるとしても、一度に大きく前進する見込みはありません。各人・各家族がそれぞれの存続策を考えるしかありません。そのとき大きな負担になるのは子育てとともに高齢者介護だと思います。核家族化した延長で、家庭内介護はきわめて難しいでしょう。先に私が共同家族(合同家族)の発想を述べたのはその意味もあります。
政府・自治体などの制度面からの手が伸びる速度と規模内容に対するのと、住民、国民の間で自然発生的に広がる家族形態の変化。この二つがどのように交錯して進むのかを注目していきます。

協同居住/共同家族を想定する論拠

私は核家族化した現在の家族(両親と子どもの二世代、それに祖父母を含む三世代の一部を含む)では、家族の世代継承機能が発揮できなくなっている困難打開の方法として、協同居住から共同家族(合同家族)を想定してみました。

このようなことは、実際に生まれている状況を集め、その現実を評価分析して展開してしかるべきであろうと思います。その意味でこの論議の進め方が多分にフライングになっていることを認めます。

以前のことです。ある視覚障害の男女が結婚し、子どもが産まれました。二人を応援する主婦たちによる子どもの養育を交代で手助けするグループができました。別の例では、ある夫婦には子どもが3人いました。子どもの1人は夫の元妻が産んだ子どもでした。元妻がどういう経過でいなくなったのか(死別なのか離婚なのか)はわかりません。こういうわずかな実例を聞いている程度です。

私が共同家族を推測するのは、現在の核家族化した状態では、子育てから介護までを含めた世代継承の役割をもつのが難しくなっている現状を起点に大胆に想定したものです。このわずかな2例をもって、論拠とするつもりはありません。ただ想定できる範囲ではそうなると思うのです。それを家族形態の新しい姿とするには、フライイングになるというのはその意味です。

おそらく社会にはもっと多様な例が生まれていると思います。家族関係に深くかかわる人、困難な人と関わる行政の担当者、家族問題の研究者などはそれを目にして、日々個別事情の改善、解決をめざしていると思います。そういう方面に目を向ける余力は私にはありません。

ただ日ごろ何らかの接触のある人たち(主にひきこもりの経験者)、特に家族と切り離され、実際に親戚縁者のいない独身者の状態のなかに、それに関わるようなことがあると考える材料にしました。

大胆に協力居住/共同家族の形成を想定

会報「ひきこもり周辺だより」(2024年8月1日、88号)
先月の会報に「就労・結婚そして地域共生社会」を書きました。結婚に向かう男性側の思いの低下を、ひきこもり経験者の言葉を参考に「仕事に就けないのが基本原因」としました。今回はその続きになります。
「結婚することに何が期待できるのか、特に感じるものがない」と話した人は30代男性です。「大人になることは苦労と負担ばかりが多くなって大人になりたくない」と語ったのも30代男性です。この2人はひきこもり、半ひきこもり経験者ですが、この状態・気分はひきこもり経験者だけではなく、男女とも大きく増えています。やや飛躍しますが、核家族した家庭は負担の大きさが見えて、家族をつくる意欲が低下しているのです。
家庭を主に分担してき女性は社会進出し(就業増加)、男女の経済的基盤が変わり、家族を必要とする精神文化も揺れ動いています。経済生活面の変化が、家族を考える精神文化が根本的に変わるには長い期間を要します。その変化がある程度進んできたのが現在でしょう。
もう一歩深く見るとすれば、男女間のうち経済面で主な役割を持つと想定されている男性側の就業条件が停滞・悪化している点も認めなくてはなりません。
それらの1つの結果が人口減、少子化の進行です。女性の生涯出生率が全国で1.20、東京都で0.99…という大都市と地方との格差を考えると、東京(大都市)の過密さ、住宅条件を含む生活条件が女性の出生率に影響していると考えなくてはなりません。それはほぼ結婚へ向かう意欲とか意識を低下させてきた結果と考えられます。少なくともこのままでは社会は存続が危ぶまれます。それは地方からすでに始まっています。
このような時間的(社会状況が時間経過で変わること)、地域的状態は全体的なことです。それが各人のいろいろな個別事情を通して表われています。個別事情は必ずしも全体事情と一致するわけではありませんが、個人事情、生活条件や気持ちや日常のこまごまとしたことは、この大きな流れのなかで生まれています。
人口減や少子化は、現在日本の一大問題です。結婚の減少と少子化は強い相互関係があり、その意味で核家族化の広がり・定着は1つの達成であったとしても、いまは行き詰まりの面が明瞭になりました。
社会状況としてはこうなる要因は他にもあると思いますがそれらは省きます。各人の個別条件においては女性の地位が不十分ながら(世界順位ではかなり下位!)上向きになり、就業における賃金格差など男女格差は根強く続くなど達成にはほど遠いとしても徐々に進んでいます。
それでも各人の個別条件が結婚に向かう壁を越える条件を得づらくなっています。では壁を越えたところにある結婚、家族とは何でしょうか。
ここでは『農村の幸せ、都会の幸せ』(徳野貞雄、NHK出版・生活人新書、2007)がまとめられた家族の6つの機能を参考にします。徳野さんは、日本は高度経済成長期の後の40年(2007年の著作なので、今日では60年近い)で、家族をとりまく状態が大きく変化していることを考慮して、現在の家族の機能を動態的に著しました(P120-127)。
徳野さんの説が日本における家族(家庭)の状態としてどの程度認められているかはひとまずおきます。私にはうまくまとめられていると思います。各項目[ ]内は要点で徳野さんの説明に私の考えを加えました。
⑴ 生産共同の機能(役割)——[農業・個人商店など家業的な仕事が典型的です。高度経済成長後の現在は家族の就業先がバラバラになり、家族構成員の収入の合計がこれにあたりますから、この機能は複雑になりました]
⑵ 消費共同機能——[子どもも年寄も自分で生産できなくても食べて生活できる]。衣食住を中心とするこの機能は主婦が中心に担当しています。
⑶ 性的欲求充足機能——[恒常的性関係は、夫婦間の特別の情動的な関係を深め、文化的で精神的な部分のつながりを強めます]
⑷ 子どもの生殖と養育機能——[養育機能の一部は保育園などで代替できますが基本は親の役割。出産は代替できない(はず)]。
*私はこの部分を「世代の継承を図る機能」と想定したいのですが、強弁しないで徳野説を残します=高齢者の介護を含めて考えるなら、ここは「世代の継承を図る機能」になります。しかし、核家族になり小規模な家族で介護を担うのは困難です。子どもの教育を学校に委ね、疾病を医療機関に委ね、介護は(訪問を含めて)介護施設に委ねざるをえないのです。幼児期の子育ては保育園の役割が重要と認めますが、家族機能の特別の役割は残ります。しかし他の部分は家族の外に持ち出さざるをえません。
⑸ 生活拡充機能——[食事、掃除、健康、遊びなどありとあらゆる機能。専門分業がサービス産業化し、外注できる部分が広がっています]
⑹ 精神的安定機能——[別名を家族の愛情・家族の絆。徳野さんは近代社会・産業社会で家族の愛を維持していくのは困難といいます。理由は十分に説明されていませんが、私には核家族化、家族の小規模化が関係すると考えます]

徳野さんの説明には、高齢者などの介護の機能を加えていません(介護保険制度ができて間もなくの著作)。私はそれを加えた上で(4)の理由から徳野説を肯定します。
結婚(と同然の関係を含む)の壁を越えて獲得するのが、このような家族です。日本の結婚に向かう条件の低下は、各人(特に女性)が経済生活をできやすくなってきた状態で直面する状態です。男性側は相対的に地位が低下していますが、多くの男女ともに十分な経済的・社会的条件をもっていない壁です。その壁は高いばかりではなく、変化の途上にもあります。
その壁を超えることとは、核家族化した状態で家族が抱える困難を超えることになると考えます。そうなることで得られるはずのものがより明確になります。要約すれば経済的安定を一応充足させたうえ得られるものは、子ども(世代の継承)であり、より安定する精神的文化的な内容ではないでしょうか。これは利便性を超えた精神文化的な要素を含む家族の成立とも言えます。
もしこの壁が超えられないまま進んでいくとどうなるのか? もちろん各人の事情が絡みますから個人差は大きいのですが、一言で言えば「孤立・孤独」の広がりでしょう。それは高齢者のうちですでに見られますが、私の知る範囲の中高年ひきこもり経験者のなかでも発生しつつあります。さらに一部の富裕層を含む社会層にも見られます。核家族化による家族の機能低下とともに利便性を超えた要件である精神文化、「精神的安定機能」が劣化した状況ではそうなるのは避けられない一定層がいるのです。

私にはこの解消策は、結婚によるだけでは不十分だと思います。もちろん結婚(婚姻)は1つの欠かせない要素です。そのための社会的条件、政策的な対応が求められるでしょう。どんな対応でしょうか? 大胆に予測すれば、私は集団家族(合同家族)に進むとみています。独身の若者も中高年者も高齢者も混ざって共同生活をする集団家族です。そこには婚姻関係にある人も含みます。養子縁組の(公式・非公式の)動きがあるでしょう。同性婚の人が混ざる集団家族も表われるでしょう。きわめて多様であり、今日の時点で全体を描くのは適当とは思えません。
それ以前に発生するのは個人間や家族間の協力が進み共住に近いものです。親戚縁者が中心のグループ、困難を抱えた人を共同で援助するグループ、食事など生活上の利便を図るグループ等から生まれるでしょう。居住状態は隣近所に住むかアパートなど共同住宅での分住になります。これに該当するものは、日本にはすでに存在すると予測しています。やがて集団家族(合同家族)に進みます。
別の1つは自治体で手を着け始めた地域共生社会の実質化です。ある程度の広さを持った地域での共同協力的な関係が進んでいくことです。

この集団家族の想定は5月の親の会の話し合いのなかで私に浮かんだものです。家族の変化を必要性という利益の視点から見るとそうなります。そこに精神文化的な面が加わるとさらに進む姿が見えてきます。