中学校内の居場所サミットに参加して

9月16日、祝日の月曜日、「中学校の居場所サミット2024」が池袋駅西口方面の豊島区立西池袋中学校で開かれました。昨年から校内フリースクールという取り組みが広がり、その一端を知るつもりで出かけました。報告されたのは都内4中学校のばあいで、取り組みの歴史は昨年から始まったものではなく、さらに以前からのものです。この日の発表では「校内フリースクール」という言葉は全くなく、中学校内の居場所的なとりくみです。
発表したのは豊島区立西池袋中学校「にしまるーむ」、西東京市立柳沢中学校「ヤギカフェ」、足立区立花保中学校「ASK」、板橋区立第三中学校「SBSルーム」です。校内フリースクールはこうした先行した取り組みを文科省・教育委員会が教育内容改革を目指して導入したものと考えられます。

全体として感想は、不登校情報センターで行っていた居場所の中学校版で、それがより組織的に支えられる形で行なわれていることでしょうか。様子は4校で少しずつ違いますが、ある発表で「ゴールはその子がやりたい所でやりたいことをする」、別の発表で「居場所として生徒に共通する目的を持たない」(表現はこの通りではありませんが)あたりでしょう。ある報告では必要なのは“ゆるい”、“ぬるい”、そして安全とありました。発表者の一人が教育基本法第一条にある「教育の目的は、人格の完成をめざす」ことであって、「学校に登校する」ことではない、と言われました。これらのすべては私が取り組んでいたことと共通する思いでした。
不登校情報センターで行なわれていた居場所と違うのは、学校のおかれたそれぞれの条件のなかで、地元住民の協力がある、ボランティア的な大学生が加わっている、公式筋の教育委員会や学校が公認し推進している、中学校の教師はその場には出ていないが応援している…あたりです。これには子ども支援団体であるNPOが入っているばあいと、そうでない場合があります。
居場所に加わっている生徒へのアンケート回答がありました。そこには相反する傾向がみられます。居場所に「話しかける人がいる」と「話しかけない人がいる」をそれぞれ肯定的・否定的に感じる人がいます。また「目的がある」と「目的がない」というのも、それぞれ肯定的・否定的な人がいます。相対立する要素によるのは、不登校情報センターの居場所でもありました。
情報センターではアンケートを取ってはいませんが、プログラム的な方針をもって関わってほしいという人が一方にいて、そういう人にはモノたりなかったでしょう。他方には居場所では何かに基づく方向性がないのがよかったと考える人もいたのです。情報センターのばあいは共通する目的・方針はなく、人のいる場にいて、そこで自分で何かを見つけていく、それに気づくことであったと思います。後に私はそれを表現→自分で表現していくことになると考えたのです。目的をもって動く前に、自分で感じとること、自分の心の奥にある潜在的な力に気づくこと——それが結局は本当に生きる、継続する力を育てると感じたわけです。

居場所サミットである発表者が言いました。学校の先生は真面目で、生徒に対して、目的をもって動きだすように考えて促す——生徒は無言のなかにそれをキャッチして「ねばならない」状態におかれていく——それができる生徒とはその芽があるときであり、それが熟していないとストレスになり、伸ばす芽をつんでしまう。それが自己否定感を強める——こう解釈する多くは私(松田)の言葉です。目的追求をする力が熟していない時期とは、その基本的な心身の体力をつくり、自分がしたいことを探す時期だと思うからです。

「居場所サミット」では他にもいろんな面がありますが、私の感想としてもう1つだけ述べましょう。
教育実践の方法——とくに教育実践記録、これは私が教育編集者の時代に特に熱心に追求してきたことですが、その意味するところを深くとらえ直す機会になったと思います。
子どもの現状に根差し考え抜かれた教育実践を追求した私が、高卒年齢を超えたひきこもり経験者を対象に脱力型の居場所をなぜ長期間運営しつづけたのか。その説明を今ごろになって改めて考える機会になった——その不思議さを感じています。
その根源的な力——人は生まれてきたことを喜ばれ、この世に生きることが肯定的に思われること——逆を言えば乳幼児期に粗末に扱われ、子ども時代にイヤな思いをくり返した経験を越えて自分が信じられ、人と世の中を肯定的に考えられるという意味での自己肯定感をもたなくては、その上に置かれることはもろいものになる——その根源的な状態のうえに意識的な取り組みが意味をもつということを、私は教育実践の奥に感じたのです。
その根源的な力をそれぞれの人が身に着け、取り戻す場は、むしろ意図性や誘導が少ない状態、自然な動きや表現を好感して受けとめられる必要がある。こういう面で居場所サミットの報告との共通点を見る思いでした。不登校情報センターの居場所の経験を、この中学校で取り組まれる居場所に感じました。
校内フリースクールは、各地で多様に展開されているでしょう。たぶん上からの公的な校内フリースクールも少なからずあるでしょう。全体としてどう進んでいくのか、注目していきます。

GDPを超える生活水準/満足度に不可欠の指標

ひきこもりから家事労働に迷い込んだ説明の補足です。実際にはいろいろなことがありました。『ひきこもり国語辞典』にもいくつかは紹介しています。

「主夫」は、男性のひきこもりのばあいですが、世間には独身者ではない「主夫」もいます。この人のなかには家計簿や大工仕事や機械修理が家事の中にありました。

「家事テツ姫」は女性ですが、一般には「家事手伝い」であり、社会的な認知も受けているものと言えますし、ひきこもりの人だけに限りません。

不登校情報センターの通所者には、〈ヤングケアラー〉の人もいました。家族〈身体障害者〉のケアの手伝いを子ども時代からしていました。

男女を問わず、成人になってから祖父母のケアをしていた人は少なからずいます。ひきこもり状態でこの役割をした数人の話をきいたことがあります。主に家族から聞いたのですが、それはとても行き届いた内容であり(当人はごく控えめに言うだけです)、職に就けばぴったりと思える人もいました。

「自宅警備員」というのは、自嘲めいた表現ですが、ある種の役割を示しています。

これらのひきこもり経験者の生活経験のなかに家事があり、それらを考えたことが「迷い込んだ」事情としておきます。

別の点ですが、家事(家事労働)は、2人以上の家族がいて成り立つものではないかという仮説も提示しなくてはならないかもしれません。一人暮らしの独身者(男女を問わず)が、自分のための食事をつくり、室内の掃除をする…などは、家事とはいえないかもしれません。どうでしょうか(状態によるかもしれません)。

親の会の席で、お母さん方から「夫や子どもがいないときの食事は、ありあわせの手抜きや残飯でもよかった」という意味の感想が出ました。場違いな事情ですがそれを裏付けるかもしれません。

家族へのケア作業を除く家事では、食事(炊事)が中心になるようにも思います。

もう1点の追加があります。国民の生活水準/生活満足度を表わす指標にGDP+各種の社会的条件を加える必要性を挙げました。

広く行われている「各種の社会的条件」のなかには、私の知る範囲では家事労働が入っていません。家事労働はGDPとは異なるけれども、人間の生活・生存に不可欠な要件であるのに、ここは空白になっているものです。 ここを埋めて(数値化だけではできないかもしれませんが)表示する必要性はあると考えます。   

GDPを超える人間の幸福基準

ひきこもりの(心理的背景理由ではなく)社会的背景理由を考えるなかで、私は家事労働に迷い込みました。思い返すにそうなるだけの理由はありました。数人の男性からきいた話です。ひきこもっていては家族に申しわけがないとの思いから、室内の掃除など自分にできることを始めました。

それに対する家族の反応は、「そんなどうでもいいことをしていないで、早く働くようになれ」という叱咤でした。それに反発する気持ちが生まれる人もいましたが、たしかにその通りだ、と思う人もいました。女性にも同じ行動をしていた人もいたと思いますが、女性からはこのような訴えを聞いたことはありません。当時の私はこの状態を特別にとりあげて考えることはありませんでした。

一昨年のことでした。すでにひきこもりの社会的背景理由——特に経済社会的な事情についていくつかのエッセイを書いていた時期です。摂食障害に関わるNABAの会報に〈すず〉さんの投稿がありました。〈すず〉さんは無職であり、両親はじめ祖父やきょうだいの世話をする生活をつづけていました。ヤングケアラーの年齢を超えて(!?)家族の世話を続ける生活でした。ところがその家族の世話は社会的な評価は0(ゼロ)、何の価値評価にもならないことへの抗議でした。

〈すず〉さんの訴えはもっともであると思いました。彼女の家族へのケアサービスが認められないのは、労働市場に出ていないためでしょう。同種のものであっても評価されないからです。*これを〈2023年9月18日〉にこのブログで紹介しました。

またこれをめぐるいくつかの事情を考えました。有益な活動や作業であっても、社会的に価格評価されないものは他にもあるのではないか? ボランティア活動などです。一定の評価対象であっても、十分に表現されないものもあるのではないか? たとえば自給自足生活です。そして家事労働の多くもそうです。整理していけば他にもそれに該当するものはありそうです。

一言でいえば、市場に出ていないこと、社会的な交換の場に出ていない、またはそれが特殊なことになっていると思えることでした。世界には、とくに市場経済が行き渡っていない地域には、このような社会的支援の場に出ていない生産活動は広く存在します。いや人間の歴史の大部分はそのようなものと言えます。時間的・空間的に市場経済による価値評価が行われているのは特別であるとも言えます。

市場経済一般というよりは、資本主義的な市場経済が広がるなかで、人間の生産(およびサービス)活動は、価格で評価されるようになりました。それがGDP(国内総生産)という数値にまとめられたのは20世紀に入ってからのことです。一般に使われたのはまだ100年も経っていないのです。むしろGDPで評価される人間の生産活動の時代が、先端的であるとはいえ、なお特殊でさえあると思います。

発展途上国といわれる多くの諸国では、一人当たりのGDPがはるかに低いレベルであっても、生活面では必ずしも破滅的な状態ではありません。経済・所得の格差(貧富の差)は大きくとも、考えようによっては精神文化的にはゆたかな生活と思える地域もあります。こうなる理由は単一の原因で十分に説明できるとは思いません。

ただ一人当たりのGDP、経済的な側面だけで人間の生活レベルを描くこともまた十分ではない、と考えられるのです。国連提唱のSDGs(持続可能な開発目標)の17項目も、経済的基準ばかりとは思いません。家事労働を考えるときにもこのような視点が必要だと考えます。

私は家事労働のあれこれを、GDPに比較できる要件を探していますが、それは限度のあることを前提としています。それを補足ないしは代わる別の基準、経済的に価格換算する以外の基準が求められると思います。

それはマネー遍重・偏在の幸福基準を考え直すことかもしれません。それは社会的満足度を計る(価格以外の)基準です。例えばジェンダーの平等性、言論・表現の自由などが入ります。これらには指数やランキングで国際比較されるものもあります。

自然条件は非社会的な要素ですが、言語・人種・男女などは非社会的な要素ですが、社会的要件に含まれることも多いです。地域により公平性がなく社会的満足度に影響するからです。精神的満足度も価格以外の基準になります。これも指数やランキングで表わされるものがあります。

これらの社会的満足度や精神的満足度には、家事労働の役割は関係します。それらには吸収されない独自のものもあります。家事労働の評価は、人間の生活全般レベルに大きくかかわっているにもかかわらず、社会的満足度の対象にされていないのが現状です。

最後に誤解なきように願うのはGDPを軽視することではありません。それを操作して見せかけの繁栄を示すことなどは論外です。

*「家事労働、換金計算されない労働の空白(Lie)」と掲載し、同じ文を 2024年2月2日に再掲載しました。

不登校情報センターサイトへの投稿について

ある支援団体の関係者でブロガーというHさんから不登校情報センターのサイトへの投稿の問い合わせを受けました。それに対する私(松田)の返事を掲載します。多くの方に共通する事情です。
 
《Hさんの提案  私はブロガーであり、私の経験を御社の読者様と共有したいと思っております。サイト futoko.info は、ゲスト投稿を随時受け付けていることがわかりました。ブログに書いていただけると嬉しいです!
さまざまなトピックに関する投稿に興味を持っております。例えば、ギャンブルや賭け事に関するトピック はいかがでしょうか。
よろしければ、サイトに投稿を公開するのにかかる費用はいくらですか? もしご興味がありましたら、いつでもご連絡ください。お返事、心よりお待ちしております。》
《松田の返事  これまでにもそうした人はいますし、広義には今もいますが条件は同じではありません。
テーマ:心と行動の正常を揺るがした経験がある人の実体験を重視。
個人攻撃的なことはダメ、抑制的な批判はOK。
掲載個所:「ひきコミWEB版」と「ひきこもり居場所たより」のブログが中心であり、同じ文書をFacebookに転載することがあります。X(ツイッター)にはタイトルだけ載せることがあります。後に個人別のページをWikiシステムで作成します。
自作の月会報『ひきこもり周辺だより』に載せることがあります。会報読者は100~200人。読者に新聞記者などもいます。
1回の文章量、回数(投稿ペース)は特になし。テキスト文だけで、写真・絵・図表等はなし。費用は決めておらず、了解できる範囲でカンパしてください。 
◎1回何かを書いてお送りください。それで考えるのがよいと思います。》

少子化対策としての家事労働者を受入れ

8月31日(土)朝日新聞国際面の記事。見出しは「韓国、外国人家事労働者が研修中」。内容は、日本以上に少子化が進む韓国で、その対策の1つとして、外国人家事労働者を受入れるということ。
韓国の2023年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む見込みの子ども数)は0.72。日本は1.20と低いのですが韓国ではそれよりもさらに低い。
外国人とは、フィリピン政府公認の関連資格をもつ人材から選ばれた100人。4週間の研修には、子どもの世話や家事、韓国語などが入ります。ソウル市内の家庭で「家事管理士」として働きます。事業主体は韓国政府とソウル市で、700以上の家庭から申し込みがあり、157家庭への派遣が決まったといいます。

少子化対策を名目とする家事労働の支援を受けられるのは、ある程度の収入がある家庭(夫婦共働きなど)が想定されます。少子化対策の有効性は限られると予測できます。成り行きによって157家庭から増えていけば効果も増えていく可能性があるでしょう。
労働の内容に「子どもの世話」が家事と並列にされています。「子どもの世話」は家事とは別とも受け取れますし、事業全体からすれば加えられているとも読めます。
この方法により家事労働が労働市場に表われ、これはGDP(国内総生産)にカウントされるでしょう。一般家庭の家事労働と同一とは思えませんが、参考にはなります。
家事労働は、韓国、フィリピンの2つの国で、対応している——東南アジア諸国には、中東などへの家事労働者を派遣していると以前にきいたことがあります。フィリピンには「政府公認の関連資格」があるというのは驚きです。その研修内容に「子どもの世話」が入っています。
日本にもかつて家政婦協会、いまは看護家政婦協会があり、家政婦の派遣を行っています。職業紹介業がハローワーク等に限られていた時代にも(中学校・高校の進路指導と並んで)、家政婦の派遣紹介は公認されていたと記憶しています。日本の現在の状況を知れば、家政婦の労働市場における評価、したがってGDP換算の参考値を知ることにもなるでしょう。
『新明解国語辞典』(第4版,三省堂,1996)によると「家政婦 その家に通って、家事を手伝うことを職業とする婦人」、「家事 家庭内で、生活上必要な仕事。料理・洗濯・育児など」とありました。
「メード maid ホテルや外国人の家庭に雇われて働く女性」というのもあります。
ベビーシッター、家事代行も調べる、看護家政婦協会にきいてみる道もありそう。

家事労働時間から考える

国立社会保障・人口問題研究所が全国家庭動向調査を発表しています。
2022年の調査では、妻が平日に行う家事時間は平均4時間7分、休日は4時間36分です。これは2008年、2015年の平均4時間40分、休日5時間と比べると短くなっています。
妻にも内訳があって、正規労働者は約3時間、非正規労働者/自営業者は約4時間、専業主婦6時間弱といいます。
同じ調査結果は夫にもあります。夫の平日の家事労働47分、休日1時間21分です。2018年調査以降は夫の家事労働時間は上昇傾向であり、「夫婦の協力による家事労働時間は増えている」と言います。
なかなか貴重な調査であり、現在の家事労働をめぐるいろいろなことがうかがい知れます。
① 家事労働時間は全体として減少している——家電の利用や外部サービスの利用(外食、宅配、クリーニングなど)が増えている。
② 夫と妻の家事分担として、わずかずつ夫の分担が増えている——これには夫婦と子どもで構成される核家族化が働いていると考えられます。
私が調べたのは別のネット上の記事で、家の間取り(個人住宅づくり)や電気料節約などを考えるサイトです。従って、ここは「家事労働」の内容にはふれていません。
問題は家事労働の範囲です。食事(炊事)、掃除・整理(ゴミ出し)、洗濯を中心にしたものが、家事労働と考えられているはずです。とくに食事は欠かせません。
私が大阪にいた1970年のころです。南米ペルーの映画「みどりの壁」というのが上映され見に行きました。若い夫婦と子どもの物語でした。その子が事件か事故で亡くなります。若い夫婦はひどく打ちひしがれていました。夫は怒りに燃え、妻も深く沈んでいました。やがてその若い妻は立ち上がり、食事の準備を始めました。どんな場合でも、食事は欠かせません。このとき何か女性の勁さを感じたことを覚えています。家事はコロナ禍の中でエッセンシャルワークといわれるようになりましたが、昔からそうだったのです。思うに母の姿そのままでした。
他には、家計簿(これはかなり小さい!?)、家具修理、大工仕事、庭作業なども家事かもしれません。そして決定的なのは子育て、介護および看護的な役割がこの調査発表にはありません。同研究所ではこれらも調べているかもしれませんので、探してみる意味はありそうです。
子育ては、とくに乳幼児の養育は、保育所等に預けるとしても、家庭に重要な役割があります。疾病や障害者のいるばあいは、家族の手配りの範囲を越えるにしても、家庭・家族の役割(?)がなくなるわけではありません。高齢者の介護は、状態に大きく左右されますが、高齢者施設に入所したとしても負担がなくなるわけではないでしょう。
家事労働の範囲に、子育て教育、看護、介護を含めて、可能な形で数値化して表現されることを願いたいものです。

この発表とは別に、厚労省は育児休業を設け、父母ともにその取得をすすめています。2020年度の取得率は母が80%以上であり、父は14%ほどで、男性の取得率の低さが示されています。父の育休取得は2025年までに30%という政府目標が掲げられていますが、かなり難しいでしょう。乳幼児に対して、父親がどうかかわるのかはそう簡単ではなく、「非得意分野」の家事に当たるともいえます。
ひきこもりを生み出す背景事情の一端に、社会の歴史的変化とともに、父母の直接的なかかわり方も相応に関係しています。その意味で育児休業制度の効果的な活用をすすめるのは意味があります。そういうことも含めて、子育ては重要な家事労働に入ります。
私の近所(直線距離で100m以内)に2つの保育園と2つの(小規模)幼稚園があります。父親の送り迎えに頻繁にあいます。これは父親の育児参加のほんの一部でしょうが、相当に変わってきたのも確かです。

もう1つは、限定的な範囲で考えられた家事労働時間を、どのように評価するかです。それは生産的な社会的労働の指標GDPにはカウントされていません。社会的な生産・サービスと同一基準が最適とは思えませんが、かといって0(ゼロ)評価にはならないでしょう。
社会的な生産・サービス活動に基づくGDPは、資本主義的社会が確立して相当に過ぎた20世紀に入ってからつくられました。まだ視野に入れられていない家事労働を、どのように加えられるのか——おそらくはポスト資本主義や資本主義に代わる社会では考慮されると思います。

健康診断と中性脂肪

8月1日、この日から国民健康保険の長寿健康診断期間になりました。近くの入院施設のないイムス総合病院で受けました。昨年足裏に小さなトゲが刺さり、うまく抜いてもらったところです。
血液検査や放射線撮影などもしたので、健康診断の結果には時間がかかります。それとは別に医師の受診があり、2,3尋ねてみました。
① 汗っかき体質:新陳代謝がいいのか? 直接の答えはなかったが、特に問題とは言わなかった。よく水分を取るように、とのこと。
② 昼寝の時間が多く長くなったような気をする。このままだと1日24時間に2度の起きる時間と2度の寝る時間がある生活になるかも? 特に問題はないという。

9月に入って健康診断の結果を聞きに行きました。血液検査などもほぼ基準範囲にあり、医師のいう総合評価は「特に問題はなし」です。これが私には不思議で1つの質問をしました。昨年までは中性脂肪が基準値外だったのに、医師は何も言いません。検査結果を見せてもらうと、中性脂肪は昨年9月が176mg/dLから今年は98 mg/dLに大幅に変わっています。
一旦は安心して戻ったのですが、帰宅後理由を考え、これは検査表の記載間違いではないかと思いました。翌日、イムス総合病院を訪ねましたが、受付では医師に尋ねるようにいいます。これは検査機関に聞かなくては分からないはずなので、それを教えてもらいました。
江戸川区医療検査センターに電話をしました。意外な理由が分かりました。
中性脂肪は食後の実施と空腹時の実施では数値の変化が大きくなることがある。昨年までの検査は食後の実施で、正常値範囲は174mg/dL以下でありわずかに超えていた。今年は空腹時で正常値範囲は149mg/dL以下であり、問題はないというのです。この食後の実施と空腹時の実施の数値による基準変更表記は今年からしているというのです。
この事情を教えてくれたのは「事務方」を自称する女性でした。わかりやすい説明でした。これまでも中性脂肪の結果が過大に扱われるという意見を見た記憶がありますが、そこをより正確にしたのでしょう。

健康に関して話した医師の話は「食事と運動」です。最近の状況はこうなります。
食事:好き嫌いが多く小食、規則性は従来通り。自炊がほぼなくなり、数か所の特定飲食店での外食がほとんどです。
運動:春からポスティングをはじめました。きっかけがあり自転車を購入。歩行数は大幅には増えませんが定期的になり、運動量は大幅増です。

ひきこもりに関わる目的は「表現をひき出すこと」

ひきこもり経験者と関わり、恒常的な居場所をつづけるうちに、私の取り組みの目的は少しずつ変わりました。1996年に始めたころは仕事に就けるようにすることだったはずです。そうではないと感じ始めて「社会参加にする力と条件をつくる」としました。
ところがあまり意識しないうちに、私は〝仕掛ける〟型から〝受け取る〟型に変わっていきました。この変化の背景には2000年11月に文通目的の交流誌『ひきコミ』を月刊で発行したことが影響します。多くの投稿者の中に自己紹介とともに、マンガやイラストを送ってくる人がいました。小論文的なエッセイや4コマ漫画もありました。深く意識しないまま「表現をひき出す」スタイルが始まったのです。
イラストなどの絵画的なものを発表する創作品は、2005年2月に創作発表の場「片隅にいる私たちの創造展」が最初で、これは2012年4月までに5回開きました。2007年12月の第2回創造展のとき数名のカット絵集を手作り作ったのが手作り冊子の初めです。
居場所に「難しいと恥ずかしいは類似語です」という張り紙が出されたとき、ことば表現にも何か特別なものがあると感じました。彼ら彼女らのことば集めが始まり、それは10年後の2013年に手作り冊子『ひきこもり国語辞典』になりました。
手作り冊子づくりは創作展の間にも後にも続きました。全部ではないですが以下に紹介します。
お惚け者『世間は虚仮なのよ』(2008年2月)
中崎シホ『狂詩曲―中崎シホ詩集』(2009年2月)
makiko『TEARS―小さなカケラ』(2009年10月)=作者の自作
斯波盤宝『しあわせ村によく来たね』(2010年5月)=作者の自作
I・M『少女まんがに描かれた母親像』(卒業論文を冊子にしたもの)
二条純也『中年ひきこもり』(2013年4月)
太田勝己『不条理ものまんが集』(2014年3月)
葉月桜子『異物』(2014年4月)
この時期は冊子づくりが続いた時期とも言えます。2009年5月にSmさんの協力によりブログ(Yaplog)「片隅にいる私たちの創造展」を始めたのは展示会を続けるつもりだったからです。ただブログを始めることで別の展開が開けてきました。ブログ運営で私が様子を紹介するのを見て2010年終わりごろにMmくんが不登校情報センターのサイトをWIKIシステムにする提案をしてきました。そうすることにより活動ベースが大きな広がりました。
転居して居場所がなくなり、コロナ禍も重なった以降は様子が変わりました。3年ほど前から意識して数人と(手紙・電話・メールを含む)私との個人的やり取りをしています。
2021年3月に『ひきこもり国語辞典』が時事通信社から出版になりました。
2022年3月には江戸川区泉福寺でTokyo.U-clubの「ひきこもりと表現」学習会が開かれ、太田勝己作品などの展示を行いました。テーマの「ひきこもりと表現」はTokyo.U-club会長の久保義丸さんが提案したものですが、ピッタリと感じました。ひきこもりと関わる目的は彼ら彼女らの表現をひき出すことにあると納得したのです。
個人的やり取りは近況報告などを聞くもので相談とはやや違います。メール交換は文章ですが、聞き書きもあります。うまくいっているのか微妙なものもあります。多くは生身の体験を聞き文章にしているわけですから、プライバシーに関係する個人情報が満載です。むしろ公表しないことが前提であり基本です。
2023年12月に手作り冊子『統失宇宙からの手紙』を発行しました。これはメールで意見交流をしている近江シホさんと私のやり取りの記録で、中心筆者は近江シホさんです。このように公表しなくても可能なものは、手作り冊子にしようと考えています。
ひきこもり経験者と私(松田)の関わる経過をこのようにたどってきました。私との個人的やり取りを希望する人がいましたら連絡をください。