江戸川区平井3丁目の地理学的外観

江戸川区平井3丁目でメール便の配達(ポスティング)を担当しています。下町の様子から住宅問題をうかがえる可能性を感じて偶然の機会を生かして就いたものです。家族に関わる住宅問題にどう手を着けることができるのかはまだ明確な道筋は見えませんが、いくつかの材料を利用し始めたところです。
さて私は小学生のころから地理オタク、geographerです。経済学方面は頭を悩ませますが、地理学となると頭を活性化させてくれます。メール便配達の半年を経験したあたりの第一報として地理学的観測をまとめましょう。
平井3丁目は江戸川区の西端にあります。その前にこの「平井・小松川地域」は地理学的に特別の地域と言いたいです。地理学的な詳しい文献とは別に、江戸川区の「都市計画マスタープラン」にある説明を別視点から補足します。
この地は広義の「中の島」に当たり、四方を川で囲まれています。東西どこに向かうにも橋(と鉄道橋)を渡らねばなりません。地理学の中州は河川中の滞留物によりできた島です。しかし、狭義の滞留物でできた島と違うので「中州」ではなく「準中の島」とします。東側の荒川に対して西側の旧中川が流れは少なく、他地域の中州と比べると面積も広いです。「準中の島」の面積は3.349㎢、人口は57660人(2018年)。この「準中の島」が地理学的な特徴の第1です。
だいたい旧中川という川の名前がおかしくはないですか? 元もとは中川(の本体)でした。東京都東部地域は東に江戸川、西に隅田川、中央に荒川が流れ、これは荒川が海に近づく地域のデルタ地帯です。洪水対策として明治-大正期に荒川を大工事により拡幅しました。中川の本体はこの荒川の横に沿って作り直され、そこから枝分かれで残ったのが旧中川となるわけです。
この平井・小松川地域は中州とは違うので勝手に「準中の島」と名づけました。川の沖積地であり、従って平地です。その南側(小松川地域)にやや高い台地がありますが、その台地も平地です。
第2の特徴はこの平地は海抜ゼロメートル地帯です。東京都東部の江戸川区や葛飾区などを含めて、荒川水系がいったん洪水に見舞われるとすれば人口220万人のこの一帯は水没します。小松川第2小学校の校庭は海抜20cmの表示板があります。少し高い位置で校庭横を通るバス通りは校庭から7段の階段を下りた高さで海抜-50cmです。
旧中川沿いは自然堤防的条件により台地状になり、そこから平地のゼロメートル地帯に向かって坂になります。やや急な坂で高低差はたぶん3~4メートルでしょう。私も自転車で登ることができる程度です。近くの保育園の保母さんが5、6人の園児を載せたワゴン車を押しながら登るのをよく見かけます。

東京都東部にあり千葉県に接するこの「準中の島」は両地を結ぶのが主な交通路です。「準中の島」やや北寄りにJR総武線が走り、平井駅があります。南端に地下鉄都営新宿線があり、その東大島駅は旧中川の上にホームがあり、東側改札口が江戸川区、西側改札口が江東区になります。新宿線東大島駅には地下部分はありません。この2本が鉄道です。
幹線道路は「準中の島」の中央部を千葉街道が、総武線の北寄りに蔵前通りが、中央南寄りに高速7号線が東西に走ります。南北を結ぶ幹線の中心は「ゆりの木橋通り」といい、南北の交通は定期バス(都営、京成バス)が走行しています。この東西を結ぶ交通網が第3の特徴といえます。これは人文地理学の範囲です。

北側の平井地域は古くからの住宅地で、京葉工業地帯の一画を示す町工場があちこちにあります。対する南側の小松川地域は比較的新しく開かれた所で、10階以上の高層マンションが林立する住宅地といえます。
平井3丁目はこの「準中の島」の中央西側になります。変形的な長方形で南北400m余、東西500m余、面積は0.25~0.3㎢でしょう。人口密度は1.5~2万人という過密地域です。北側は総武線で区切られ、西側は旧中川のゆるい曲線で江東区と区切られ、東側と南側は直線の道路で区切られています。
平井駅南側に続く商店街が平井3丁目の東端で、商店街の道を挟んで東側に平井4丁目が、商店街は南に伸びて平井2丁目、1丁目と続きます。居酒屋などの飲食店は多いですが、喫茶店は少なくなりました。
古くからの住宅地ですが、西側の旧中川寄りはおそらく宅地開発がすすんでいない地域であったはずで、いまは都営の団地群があります。14号棟まで番号がありますが、建替えなどの関係で実際の団地ビルは9棟です。
北東端が平井駅で、平井3丁目には駅前の21階の準タワーマンションと、中小のマンションとアパートが建ち並んでいます。多くは古くからの一般住宅地です。平井駅北側に29階のタワーマンションが近じか完成します。
緑地は旧中川の川沿いが広い場所で、団地・マンション周辺の児童遊園、やや大きな通りに続く街路樹、人家の植え込み、そして民家に並ぶ鉢・プランターの列です。空地の多くは駐車場に使われています。緑を求める動きと車社会の現実が衝突&調和している姿とみることができます。

所得税法56条により否認される家族労働

所得税法56条の廃止または修正を求められていると知りました。これは「事業から対価を受ける親族がある場合の必要経費の特例」といわれ、条文はこうです。「不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき事業を営む居住者と生計を一にする配偶者その他の親族がその有する資産を無償で当該事業の用に供している場合には、その対価の授受があったものとしたならば、法第56条の規定により当該居住者の営む当該事業に係る所得の金額の計算上必要経費に算入されることとなる金額を当該居住者の営む当該事業に係る所得の金額の計算上必要経費に算入するものとする」。

法律文になじまない私には難解ですが、平たく言えば「大部分を女性が占める商店や農業などの家族従事者の働き分(金額)を認めない」法律的根拠です。女性の経済的自立を妨げている—従ってこの条文を廃止または修正を求める動きです。

日本国内では、商店事業者などで構成される全国商工団体連合会(とくに婦人部協議会)が廃止を訴えています。2016年国連女性差別撤廃委員会から日本政府に「所得税法が自営業者や農業者の配偶者や家族に対する報酬を事業経費として認めていないため、女性の経済的独立を妨げる影響があることを懸念」し、「家族経営における女性の労働を評価し、女性の経済的エンパワーメントを促すため、所得税法の見直しを検討することを要請」するように勧告されています。

この「 」内の説明は参議院常任委員会調査室で発行する文書内に掲載されている、高木夏子「親族に支払われる対価に関する税法上の取扱い」からの引用です。

私は前に「家業の成立=家事労働を考える前の社会的分業」(2024年1月18日)を書いています。高木論文において「家事労働と家業の区分けができなかった時代から、それが変化してきたこと(経費性を有する対価の支払いか、扶養の立場からの家計的な支出なのかを明確に区分することが困難である)」、税制度において税額を算定する課税単位が、夫婦単位や家族単位から個人単位に移行してきたけれども、第56条をそのまま継続してきたと指摘しています。

現在の所得税法は、1952年の成立でその後改正を重ねてきましたが、この部分の基本は残ってきたのです。家業の一部を担当するといってもそれが家事労働と一致するわけではなく、むしろ一部が重なるのです。基本的には別部分ですが、その区分けが難しいのです。

私がエッセイに書いたのは主に私の経験した瑣末(さまつ)な事柄です。より全体を見るのは、宮本常一『絵巻物に見る日本庶民生活法』(中公新書、1981)がいいでしょう。そう思いつつ、この愛読書を改めてみるに、そもそも家事という項目が見当たりません。それらしい記述を探してひっくり返して見ましたが、ついに見つけ出せませんでした。次の記述を紹介できるのがやっとこのことです。求めるものとの差は大きいと認めざるを得ません。

「私は…民衆の作り出す有形文化を軟質文化と硬質文化に分けている。軟質文化というのはその制作にあたってほとんど刃物を使用せず、手足によって作り出していくものをいう。土・茎皮繊維・竹などを素材として作られるもので、これはだれでも練習すれば作り方を身につけることができる。親から子へ、兄から弟へ、姉から妹へ、友達から友達へと技術を伝えることのできるもので、その制作は主として家族内で行なった。日本の民衆の家庭は軟質文化の工場でもあり、家庭はそういうものを制作することによって成り立っていたともいえる。

これに対して硬質文化は主として刃物を利用して制作するもので、素材としては木材・石・金属などがある。その制作技術は素人でも可能ではあるが、よりよいものを作ろうとすれば玄人の力を要求される。いわゆる職人によって制作されるものであり、このほうは商品として取り扱われる性格を持っている。

もとより、軟質文化の中にも商品化されていったものは少なくなく、日本の文化は自給度の高い軟質文化を中心にして発達してきたことを知る。そしてそれは大正期以前の日本文化を理解する上で重要な鍵になるものであり、西欧の工業文明が浸透するまでの日本文化の特質は、民衆による軟質文化が主体になっていたといっていい」(p.124-125)。

自営業と家事労働の区別、高木論文で正しく表現されている「経費性を有する対価の支払いか、扶養の立場からの家計的な支出なのかを明確に区分する」は難しい面はあります。それを全部「家計的な支出」に区分するのが所得税法56条です。

56条の廃止に根拠はあります。自営業者家族の労働が不当に計算されず、削除されているからです。この部分もGDPにカウントされない生産労働に当たります。

施設介護の向こうに将来の居住・家族関係を考える

わずか半年、しかも月2回ほど介護施設の片隅に座って見ているだけで確定的なことをいうつもりはありません。うっすらと思い描いた感想です。
介護に関しては、入所者が元々の居住地から離れた場所にある介護施設で集合的な形態がベストであるとは思えません。理由は施設のある地域になじみがないこと——知った場所やお店がない、知った人がいないことです。平穏に安全に暮らし続けることができる点では優れています。それでも家族と離れ、地域や知り合いと離れた状態におかれます。
通所する介護、自宅を拠点として医療・介護・リハビリ施設に短時間、あるいは数日の宿泊で利用するのは、その面で優れていると思います。それでもそれを支える家族の状態はどうなるのかを思うと安心はできません。
これを解決する方法は——いっぺんにはできませんが、親しい人同士が比較的若いうちから協同的な生活をつづけることです。大型の集団住宅でなくとも、比較的近隣に住む親睦的な人たち——その中には結婚している人、子どものいる人もいる、単身者もいる——共同居住集団といってもいい、相互扶助的な複合的な家族集団——拡大家族といってもいい——そういう方向に向かうのがいいのではないかと思います。
このような相互扶助的な共同居住集団は、介護だけでなく、乳幼児など子どもの保育、障害をもつなどハンディのある人たちを包括的に受け入れられる条件ができます。家族の基本的な役割には、子育てというよりは世代を継承していく機能がある。これに気付くのは高齢者の介護が大きな社会的な課題になった時期からではないでしょうか? そうするとかなり昔から気付いていた人はいるはずですが、20世紀末の介護保険を考えた時期から広く認められたのではないですか? すでにこの動きは始まっているかもしれません。
さて上に挙げた相互扶助的な複合的な家族集団は、政府や自治体が上からつくることはできないでしょう。しかし、人びとの中で自然に始まるそういう動きに対して、地域共生社会の理念(さらには国連のSDGsの理念)にそって、公的で可能な支援策はあると考えます。
それは孤立・孤独対策とみることもできます。それは必ずしも介護分野の公的支出を増大するとは思えません。しかし現状のこの分野の公的支出の規模は小さいので、それを増大させる時期とは重なるかもしれません。
介護に関しての私の思いつくことは、その分野の情報知識が限られていますので、上に挙げたことがどの程度の範囲の問題であることは推測できませんが、一つの側面として考えてみました。
非常に長い期間を経て、これは現在の主流ともいえる家族形態=核家族ないしはニューファミリーという状態を変えていくことになるかもしれません。数世代にまたがるほどの期間になるかもしれません。

ミッドライフクライシス&ウツ状態からの回復

40~50代の中年期に「果たして自分の人生これでよかったのか」と自信喪失する「ミッドライフクライシス」は自分にもあるという人がいました。
先日、50歳になったNくんと話していたらこれと似た話が出ました。「40代に入ってからジジくさくなりたくない気持ちが強まった。その一方で自分にはこれというものはなく、不十分な気持ち、不安定がつづいている。少しも足元が固まっていない」…という内容です。ミッドライフクライシスとは同じではないでしょうが、ひきこもり的状態が続いた人に共通するかもしれません。
Nくんは20歳前後のころ胃潰瘍の手術をしています。その関係もあって中年になっても太っていません。あるお店で「30代なかば過ぎですか?」と言われて「青年っぽくしていたい気持ちが強くなった」といいます。気持ちが落ち込むことはあっても、ウツ状態ではなく、その点が違うようです。
連絡をとっているひきこもり経験者にはウツ状態に悩む人が多いです。それが過食や不眠につながり、この3つの症状が循環し、重なります。よく眠れるように服薬と飲酒を一緒にし、またリストカットをする人もいます。
症状の中心はウツだと思いますが、改善回復は難しいようです。私が知る範囲でウツから回復(?)した人は少ないです。
断薬を強行した人がいます。少なくとも2人います(いずれも女性)。断薬は医師から勧められないだけでなく禁じられています。それを押しての強行策で、2人ともひどい禁断症状に苦しみました。1人は「エイッ、ヤッ」という気合いで実行したといいました。このあたりはこの女性の強さを感じます。
近江シホさんは私と意見交換をつづけ、それを『統失宇宙からの手紙』にまとめました。その彼女も断薬を試みましたが、途中で入院になり断薬は中止です。私も断薬は勧めません。

医療または服薬によりウツが改善した人、カウンセリングにより改善したという話も例外的です。むしろ服薬量がだんだん増えた、より強い薬を使うようになった人の話を聞きます。
ウツ状態にもかかわらず動ける人はいます。そこに医療・服薬・カウンセリングの効果を想像できますが、基本には人の持つ自然回復力が働いているのです。対人関係(家族内や知人)の改善、運動と作業、ストレス解消法、日常生活のバランスの改善など各人の意識的・無意識的な試みも自然回復力をひき出しているはずです。

カウンセリングとして確立し普及していると聞きませんし、治療方法でもないでしょう。しかし何かをとらえています。それが一般に活用きるならウツ症状の治療方法になるかもしれません。もっともこれは「ミッドライフクライシス」への対応方法とは言えません。それでも症状のある面を解消します。

カウンセラー紹介の提案について

1月ほど前に「もっとカウンセラーさんを紹介してはどうですか?」との意見をいただきました。2024年9月の会報をみた感想として提案です。
不登校情報センターが第一高等学院の旧校舎にあった時期(2001~05年)に、5~6名のカウンセラーが応援(兼実習?)のためにきていました。ある人をそのカウンセラーの一人Tkさんに紹介しました。後でTkさんが私に話しかけてきました。
「~さんは松田さんのいうことはよく聞くんですが、でも私とうまくいくかどうかは別ですよ…」と。うすうす感じていたことを紹介したカウンセラーさんが言葉にしてくれたわけです。
おおよその私のスタンスは「カウンセラーを紹介することもあるが、それを優先はしない」となります。私の経験からそれに至る理由を書いてみます。
カウンセラー(及び医師)を受診してもうまくいかない人から聞く理由——
私(受診者)の問題を見つけ出そうとするスタンス、先入観がある、心理学の原理からの判断、教科書通りの言葉、上から目線…表現に違いはあり、また受診者の思いにこみも含まれますが、ある共通の要素が見られます。
受診者として求めること・必要なこと——私(受診者)の現実を見てほしい、よく話を聞いてほしい、言葉尻だけでなく全体から判断して——なかばあきらめつつ、他に相談先がない、睡眠薬がほしい、などの理由で継続している人もいます。
それにしても受診者(心理的・精神的または社会的不安要因をもつ人)の思いがこれらに込められているのは確かでしょう。
私はカウンセラー/医師と受診者の間で中立的であるのがベストとは思いません。両方それぞれ言い分には根拠がありますし、実際には多くの方が上手くいっているともいえるからです。意見を寄せた人も上手くいった経験からの提案でしょう。

この受診の成否に先立って「信頼関係の成立」があります。心理的打撃を受けた人には対人不信・不安が強くなる人が多いのも事実で、それが「信頼関係の成立」を難しくしている面もあります。私はこれを正確な表現とはいえないでしょうが、「相性(あいしょう)が合う」「相性が合わない」と言うことにしています。Tkカウンセラーさんの話もそれを裏づけています。
私(松田)はある程度信頼関係ができた人を紹介してきたわけです。実は私との信頼関係の確立自体も不透明な部分はあります。不登校情報センターの居場所に来る、それも継続してくるのは一応の信用はあると思いますが、それでも絶対というわけにはいきません。
「紹介することもあるが、紹介を優先しない」のはこれらの経験を重ねた結果です。医師のばあいは「投薬中心とはいえない医師」を勧めますが、成り行きの結果「睡眠薬をもらう」ための受診に至る人もいます。自分なりに医師・医療機関を探して受診し、私も同行したり、入院見舞い(様子見?)に行くこともありました。私がカウンセラーで紹介したのは、情報センターに応援に来ていたカウンセラーと、サイトで紹介している心理相談員に限られます。
私のこの方法が最善とは決めかねますが、経験の蓄積によるわけで私のなかでは重要な根拠になります。受診者側の状態(精神心理的な理由)があって受診するのですが、その受診時点での状態に左右されます。

文献学習から実経験に移行した経過

2021年春に『ひきこもり国語辞典』を発行した後、私は「ひきこもりと経済社会の関係」を理解しようと考えました。私にはひきこもりに対して、医学的・心理的に対応できません。身体科学的な理解はできても、できることは社会的・福祉的な対応、教育的な内容になるしかありません。
しかし、社会的、教育的、福祉的な対応といっても、その具体的な内容やプログラムで説明できません。個人的な経験と確信にもとづく方法を採用したのです。
こうしてひきこもりを経済社会的に理解しようと考えました。10点以上の文献を集中的に読みました。経済学説史と日本経済史の基本的な本です。何冊かを挙げてみます。『ゼロからはじめる経済入門 経済学への招待』(有斐閣コンパクト)、慶應義塾大学出版会『日本経済史1600~2000』、2009)、坪井健一『経済思想史』(ダイアモンド社、2015)、ロバート・ハイルブローナー『入門 経済思想史』(ちくま学芸文庫)など。より直接的にひきこもり理解に近づくのは村上尚樹『日本の正しい未来』(講談社、2017)、徳野貞雄『農村の幸せ、都会の幸せ』(生活人新書・2007)、菊池英博『新自由主義の自滅』(文春新書・2015)などでしょう。
この最中にいくつかのエッセイを書き、ブログにも掲載しました。日本社会が高度経済成長期に大きく変わったこと、農村社会から都市の工業地帯にとくに若い世代が大量に移動したこと、これにともなって家族が分散し世代間の相違が広がったこと、そういう経済社会の変化があると知りました。
国民の意識もゆっくりと変わりました。先進国として工業化、機械化、情報分野の技術が進み、家族から個人に人の社会的な位置が移りました。学歴や資格の所持が重視され、そうでありながら学校教育の地位は下がり、世代間の意識の差も広がりました。旧世代には家族的な枠組みで対処しようとしていますが、この枠組はうまく機能なくなりました。若い世代は、感覚世代ともいうべきで、事態の理解や処理はスマート、巧みに行なわれます。(これは私の表現のしかたであります)。
私はこれらの変化を理解し、ひきこもりと関連付ける自分の力のなさを感じました。かといって学習経験、業務経験、社会経験は限られており、すでに70代後半に至っていては、スタートする基盤はありません。広い分野ではなく的を絞ることにしました。そのとき浮かんだのは、私の経験を重視する指向です。ものごとを考え、処理するのには、自分の経験に根ざしたことを根拠にする—さし当たりの私の経験主義の暫定定義がこれです。
あることの全般を見通したことはわからないし、言及しなくてもよい。ただ自分が経験したことを根拠にして、何かを論じることは可能になる。これが経験主義に基づく次の一手です。
まず家族に注目しました。家族に関係する自分の経験とは、自分が生まれ育った家族があります。これはこれとして意味があると思いますが、より広い理解として、家族内における対人ケア的な面を考えました。
子どもの保育や教育に関わることができるのか? さいわい江戸川区シルバー人材センターに申し込んでおいた校庭開放による「校庭の遊び場世話人」の空席があり、それに当たりました。ただこれは関わる程度が少なくて、多くは期待できません。
次は介護を考えました。以前の不登校情報センターの通所者が介護事業所で一定のポジションに就いています。彼に頼んで関係施設で働けるように頼みました。これは実現しませんでした。江戸川区ボランティアセンターに問い合わせると介護施設にはボランティアを募集している所があると言います。その結果、月2回、各2時間ほど相談ボランティアに就くことができました。
この介護施設を探している途中に、地域でポスティングをしているという案内チラシを見つけました。不登校情報センターの通所者の作業体験としてポスティングをした経験があります。部分的には私も直接ポスティングに加わりました。その経験で、街の様子を知る面があります。案内チラシのあったポスティング—それは宛先が明示されたメール便配達で、それに参加しています。「住居事情(団地、アパート・マンション、一軒家、空き家、空き地の状況など)を知ることができそう」という点です。
こうして私は現在、学校の遊び場開放の世話人、介護施設での相談ボランティア、周辺地域でのメール便のポスティングに就いています。
言い忘れましたが、不登校情報センターでは、これも20年以上にわたり不登校やひきこもりを中心テーマとする情報収集をつづけ、それらを整理・分担してサイトをつくっています。問題の所在や状況はこのサイト制作のなかでも把握できます。その問題の扱い方に、経験にもとづく論拠、基盤をおくのです。 「ひきこもりの関係する経済社会の事情」全体に見渡すことはできません。これらの視点も組み合わせて、一定の論拠にして、ひきこもりと周辺事情に関係する問題を考えていこうと考えています。

生活に関係する4つの活動分野

現在の私には大まかに4つの生活に関係する部分があります。

1つは不登校情報センターです。最近は情報収集によるサイト制作が中心です。居場所運営はなくなりましたが、つながる人は少なからずいます。連絡はかなり頻繁にあります。この不登校情報センターの説明は省きます。

2~4番目は活動を通して事態を見ようとする取り組みです。ここは2021年に『ひきこもり国語辞典』を発行した後から始めました。しばらく前に転居しており、通ってくる当事者も週2~3回、3~4人です。

ひきこもりを経済社会という背景事情から説明しようと、文献調査中心にしたのですが、それは違うと思い始めました。経験による実感を生かして取り組むのが私のスタイルです。生活時間と心身条件のバランスと一定の目標にかなうこと、これらを昨年以降、身近なところで偶然の機会により得ました。

その2番目は、学校開放の遊び場世話人です。月3~5回=各3.5時間~4時間です。江戸川区シルバー人材センターが担当し、個人事業者として行っています。

3番目は、メール便の配達です。週4日ほど=各3~4時間。地域の様子、できれば住宅事情に何かの視点を得たいと思います。これはギガワーク的な個人事業者になります。

4番目は、介護施設での相談ボランティアです。月2回=各2時間。家族には「世代の継承を図る機能」があり、その一端で高齢者の介護を考える現場です。こちらはボランティア活動です。

全体をもれなく見渡す点では不十分でしょうが、具体的に表現できると思います。うまくいくかどうかはやってみなくてはわかりません。

居場所における作業経験―心身の安定状態を身に着ける

ー会報『ひきこもり周辺たより』(2024年10月1日号)
人間が筋道を立ててモノゴトを考えるには、安定した精神状態であることが必要です。心身が不安定ななかでは、対人関係にしても考えをすすめるにしても動揺的で崩れてしまいます。
それが難しい課題であり、どう関わる必要があったのかその説明をします。
印象に残ることから話しましょう。不登校情報センターは大塚時代の2000年ごろから協力関係のあるサポート校や大検予備校などの学校案内パンフを預かり、配布していました。
やがてそのパンフを『ひきコミ』読者や相談者たち(住所別名簿にし、1.2万人を超える)にDMで発送しました。年に数回です。
この企画には数校から十校以上が参加し、スクール別に送付地域を指定してもらい、1通100円から150円ぐらいの送付料をもらいました。
同封するパンフは地域毎(市区町村)に違う組み合わせです。送付件数は2000通から7000通になり、これを「発送作業」として通所者の有志が分担しました。
作業参加者は多いときで十人以上、20人近いときも数人のときもありました。作業は数日から1週間以上、朝10時から午後5時ごろまでで、参加時間は人により異なります。参加者は参加時間を記録し、その時間数より作業費を受けとります。
印象に残るのはこの作業です。黙々と陰日向なく続けます。適当に休み時間を挟みますが、休もうとしない人が多いのです。作業範囲を一人ひとり区別しないとうまくいきません。その場で即座に対応を協同で進めるのは苦手です。
2日目になると10時からの参加者が減り、11時とか午後からの参加者が多くなります。
3日目になるとさらに遅くなる人が増えます。しかし作業は一生懸命に、多くは黙々と続けます。
この2日目以降に「朝10時に来られない」人が増えたのが予想以上でした。個別の事情がありますが、多くは起きられない、疲れがとれないのです。
このような仕事ぶりはDM発送作業だけではありません。パソコンによるホームページ制作作業でも、広告情報誌『ぱど』の地域配布ポスティングでもみられました。真面目に取り組みますが、連続した日数の作業参加者は目につくほど減少します。もちろん個人差はありますが、大きな傾向といえます。
もう1つ注目すべきことは、報告記録の正直さです。正直に申告という以上です。5分間休んだとか、このときは集中できていなかったから…といって過少に記録しがちです。「ズルをする」という発想がないのです。
「作業費の支払いになる」と聞いて記載しない人も出ます。自分はここに訓練(修業)に来ているのであって作業費などもらうつもりはない、というのです。
私には驚きでしたし学びでもありました。何という人たちでしょうか! まるで小学生の正直さに似ています。それが20代になって続いているのです。いや小学生の正直さだけでこの状態を表現するのは適切ではないでしょう。それは社会性の想定できない形での不足かもしれません。
しかしそこには別の面もあります。人によっては自分は精一杯やっているのにあの人はそうではない…近くで作業をしている人の集中のなさが気になってしょうがないのです。あの人はそれを無視して時間いっぱい記録しているのではないかという疑心を持つこともありました。
『ひきこもり国語辞典』を発行したとき、<まえがき>部分でこういうひきこもり経験者の特色をごく簡略にこう書きました。「人並み以上の感性と人並みに近い社会性を持つ」人としたのですが、意味するところが簡単には伝わらないのはやむをえません。
生身の人間は定規やコンパスで描くような姿で生きているわけではありません。そういう柔軟な見方ができるのも社会性の重要な内容です。そこに深い課題が見えてくるのでした。
私はこういう作業を通して表われる彼ら彼女らを深いところで信頼し、真の味方になろうとひきづられた事情でもあります。
アルバイトなど仕事に就いた人は、二日後に仕事があると二日前から緊張や不安がでるといいます。明日は仕事日となると、夕方早く帰宅して備えるという人もいます。
このような心身の不調・不安はどこからくるのか。外科的にはもちろん内科的にも異常はありません。心療内科的な大腸症状などの人はいますので、私には精神的・心理的な要因によるとしかいいようがありません。私の知る範囲では、このような状態を精神科医でも(診断はともかく)うまく表現しているのを見たことはありません。
ひきこもりの経験者、とくに20代の若い人には(あるいはほとんど外出せずに自宅から出ない人も)、そのような人が多いのではないかという思いがあります。私に関われるのは、それらに社会的な面からアプローチすることが残されている——そう信じています。彼ら彼女らの繊細な感性とひきこもり状態の心身状態を起点に対人関係のつみ重ね、社会的経験の不足を補足する居場所にする。そういう見方で不登校情報センターの居場所をふり返ってみると、ある程度は納得できるというものです。
社会の一員として生きていく力——そうなってこそ何かの技術・知識は生きます。相談先があれば足を運んで相談に行けます。知識や解決策を探し、それに向かう行動エネルギーが出てきます。
逆に言えば技術・知識を身につける過程で指導員や同僚との関係をつくる道もあります。それらは一人ひとり、それぞれの仕方で身につけていきます。
それは学校や教室で、職業訓練の場やサポートステーションで、スポーツクラブにおいてもでも同じでしょう。取り組みに平行して、施設や場所がそのような性格をもたざるを得ないのです。
これらが居場所の役割という面から考えられる、自立に向かう動きの前の「難しい問題」の内容です。
不登校情報センターという居場所おいて、統一的なプログラムを持たなかったことはいろいろな状件によりますが、それ以上に先行して積み重ねるテーマがあると考えたのはこの部分です。