2025年に向けて考えること(一部省略)

会報『ひきこもり居場所だより』 2025年1月号
年の替わる年末年始は「今年はどうだった、来年はどうする」を考えるものです。今年もまたそうです。今年はいくつかのことが始まる一方で、何かが終わりに向かっています。
12月のセシオネット親の会は、松村さんと2人のお母さんと私の4人でした。コロナ禍以降はこれに近い状態が数年続いています。松村さんから「これからどうしようか?」との提起がありました。あれこれ巡らして「正月期間の宿題にしよう」と答えました。この会報の読者には他の親会(家族会)に参加している人もいますし、いくぶん似た状態が想定できるので、そういう人たちの気持ちや意向も参考にしたいと考えたのです。松村さんとは居場所的な方向がおおよそ一致しています。
セシオネット親の会だけではなく、ひきこもり経験者等との関係、不登校情報センターの活動内容、今後の活動を考えるとき、こういう部分に加えて私の心身状態も関係するでしょう。これらを歳の瀬にまとめて考えると数年間のある時期が終わりになったと思えるのです。
しかし、次の時期はどうでしょうか。新たに始まっていることもありますが、はっきりしないこともあります。これらを「私の周辺にいるひきこもり経験者等とのかかわり」、「不登校情報センターの取り組みとのかかわり」を中心に取りまとめてみました。いずれもいくらかは私の心身状態とも関係します。
[1]「私の周辺にいるひきこもり経験者等とのかかわり」はこれという大きな変化はないように見えます。その中ではっきりしたものがあります。
1,中崎シホさんと私のメール交換記録を『統失宇宙からの手紙』にまとめ、ある文学作品賞に応募しました。
2,Angelさんはイラスト作品を送ってきていましたので、夏ごろに「作品集をつく
ろう」と提案しました。Angelさんはそれに応えて定期的に作品を送ってくれます。正月期間にある程度まとめ、春ごろには仮作品集を作りたいと考えます。その作品
集のタイトル案がAngelさんから送られてきました。
3,清水大樹くんは2年以上会報『ひきこもり居場所だより』の投稿を続けてくれました。12月号で終了を告げられました。彼の新たな時間の使い方を応援するつもりですが、彼のこれまでの投稿は多くに人に共感を得ています。清水くんの了解をもらえればこれを『元ひきこもり当事者の記録』(仮タイトル)のエッセイ集にまとめたいです。
この3人以外にも、何らかのイラスト作成や文筆活動をしている人がいます。不登校情報センターにはすでにそういう作品は数点あります。それらをまとめて、来年の12月ごろ開かれる「文学フリマ」(東京ビッグサイトで毎年開かれる展示即売会)に出展したいと思います。これが目標の1つです。
すでに作成した不登校情報センター(あゆみ書店)の手作り作品をはじめ、出版社から市販されている本もあります。

「ひきこもり経験者等」でこれからこの作品つくりに加わる人がいれば歓迎します。とくにこれまで中途になっている人には改めて復帰する機会にしていただければいいと思います。松田につながる「ひきこもり経験者等」とのつながりをこれらの作品つくりに限定するのではありません。電話やメールを初めとするつながりはこれからも維持していくつもりでいます。よろしくお願いします。

[2]第2の分野である「不登校情報センターの取り組み」に関してもある事態に差し掛かっています。現在の取り組みの中心はサイト制作です。サイト制作は続けますがウィキシステム部分は26500ページ(12月28日)の大型サイトになっています。これをある方向に集中させたいと思います。
サイト制作とは情報提供の方法です。不登校情報センターは不登校に関わる親の会、相談室、およびフリースクール等の関係団体の情報を集めるためにつくったものです。教育誌を編集していた私は、教育にかかわる過程で不登校問題の意味とその深遠さを感じました。その編集者時代からこの支援団体の情報提供を始めました。それを本格的にするために不登校情報センターにしたわけです。
まずは出版物で扱いました。最初の出版物が『登校拒否関係団体全国リスト』(あゆみ出版、1995年12月)です。これを出版するとき担当編集者とこの編者をどうするか問われたとき、松田武己では意味不明と思い、「不登校情報センター」の名前を考えました。
この情報本は何度か改訂を重ね、また他にも適応指導教室やカウンセリングルームなど分野別の情報本も編集し複数の出版社から発行しました。これらは全部で十数点になります。
このような不登校に関する情報を集め、提供するという意味での不登校情報センターが出発です。その後の進展の中で情報提供対象が広がりました。ひきこもり、発達障害は不登校に直接かかわる分野です。その後では生活困窮や居場所が大きな部分を占めます。
もう1つの重要な変化は、情報提供の方法が出版物からインターネット(サイト)に変わりました。これはきわめて大きな変化です。当時の私にはサイト制作をする技術的な知識はありません。情報提供の内容や方向を示したうえで、居場所に来ていた人のうち、一定の技術と関心を持つ人がこのサイト制作を始めました。2003年春のことで一応の成立はその年の秋のことです。ですからこの時期の私は情報を集めても、情報提供サイトづくりには直接関与していません。
数年後の2009年夏に私はワードを扱うだけで関われるブログを始めました。これも自分でブログを運営している人に設定してもらい、私が日常のあれこれを書くページになりました。パソコンとそのワードに慣れていく時期でした。
この進捗状況を見てある人がそれまでのサイトをHTMLシステムに代わり、情報提供ページをワードで作成できるウィキシステムに提案してくれました。これが2010年の秋のことです。HTMLシステムの情報ページをウィキシステムに移行する数か月を経て、2011年初めに全体を替えました。私が直接に情報提供ページの作成にかかわるようになったのです。
これに合わせてアフィリエイトとかバナー広告を取り入れられ、サイトからある程度の収入が得られるようになりました。この時期には作業参加者に少額の作業費を支払えるようになったのです。と言っても収入の多くはサイトではなく、学校案内書の委託発送などのアナログ部門であったことは確かです。この状態がこの数年間に変わっています。
まず変わったのはサイト制作にかかわってきた人たちが相次いで仕事につき始めました。これは居場所の基本的な目的であり歓迎すべきことです。「仕事に就くなどにより情報センターの作業が停滞することがあっても、その仕事に就くことを優先する」としてきました。しかし、それはバナー作成できる人がいなくなることでした。
情報収集の対象の中で個別の親・家族会、相談室、フリースクール等の部分が相対的に減りました。これらの情報収集する作業量の大きさに対して、集められる情報が少ないことも関係します。それに代わって自治体や社会福祉協議会の関与する部分が大きくなりました。自治体が関わることは不登校やひきこもりへの社会的対応の前進を示します。対応内容は必ずしも十分ではなくとも、それは熟練程度もあります。継続的・安定的に公の機関が関わることは前進です。
この情報収集の偏りを取り戻す策を試みましたが、著作権の壁に阻まれました。またそれを乗り越えるこちら側に人的・技術的・資金の力はありません。現在は主に自治体広報紙のプラットホームから情報提供の情報を集めているのが現状です。サイトが大きくなるに任せている状況をこのまま続けていく意味はもはやありません。ここらで転換するしかありません。
情報提供の「分野を絞り、ひきこもりとそれに近い部分に集中する」という大まかな方向はありますが、具体的姿はまだ不明瞭です。直観の範囲を超えませんが、居場所がキーワードになると予想しています。
[3]松田の関心対象の移動もあります(あえて深化といいます)。少なくとも20年前は、私はひきこもり経験者個人の心身とその環境に目を向けその心身と環境の改善を考えていました。2021年に『ひきこもり国語辞典』を発行した後、ひきこもりを生み出す社会状況に関心を移しました。
このことは自治体がひきこもりと周辺領域に関与を広げている状況と個人対象から社会的対応に目を向けるのと重なり合う部分があります。いま私はこの関心対象を経済社会の状態からひきこもりを説明するようにめざしています。
調べていくと日本の長い歴史のなかで家族形態の成立条件はこの50年間に大きな変化が起きています。歴史学者のなかにはこの50年間の社会の変化は中世の戦国時代前後の100年以上に匹敵する大変化という人もいます。社会的分業と家業の成立、それによる市場経済の広がり、家族の分解にあわせて市場的な労働評価が生まれました。
この50年間に日本は農業社会から工業社会を経て情報社会に向かっています。この過程で血縁的家族集団に代わり地縁的集団に向かっています。しかしその進展は時間を要すしかありません。その間の大変化のなかで社会全体の格差とともに、男女の労働評価の基になる家事労働が置き去りにされています。これは人間評価の格差を生み出す一般的な原因です。
家事労働の価値を評価しないのとひきこもりの発生は直接に関係するとは言えません。私にとり不登校情報センターで関わった数人の家事・介護に携わる人、ヤングケアラーに属する数人の事情がこの家事労働に関心を持つきっかけでした。ひきこもりと家事労働は直接的なつながりが強いとはいえませんが、根源的にはつながっているのです。
労働評価に基づく所得の有無・大小が人間の働きの評価になります。その枠に入らない家事労働が軽視されるだけでなく、人間評価の偏り・差別になります。それを回復するには家事労働を評価すること=GDPに匹敵する家事労働の評価方法を取り入れる必要があります。とくに家事労働の中の家族内ケア労働ともいえる部分が、家族の歴史的な変化の源泉になっていると考えます。
私はこれを社会学的な視点よりも経済学的な視点で説明しようと考えています。大まかですがこれらに一応の点に到達したと思います。しかし説明不十分のところもあり、これを基に有意グループで検討を重ねていきたい心積もりです。

以上、3つの部分について2025年にどうするのかを考えました。私は来年8月に80歳になります。これらのめざすところは私の心身状態にかかっているとも言えます。それに向かうエネルギーはいくらかあると信じています。これら全体が1つの時代の終わりと次の時期の始まりになります。

家事労働の新聞投稿を見て思う

朝日新聞2024年12月19日(木)朝刊「声」欄の記事です。
《主夫思う 専業主婦の再評価を     主夫 戸田 仁(埼玉県 62)
結婚して30余年、夫婦共働きでやってきました。私は一足早く定年を迎え、妻は現役で勤め続けています。このリタイアを機に私は主夫業を選択し家事一切を担っています。
主夫業は思いのほか可処分時間がありません。掃除洗濯のルーチン作業や、親の介護、払い込みなどの事務もあります。メニューを考えながら買い物をして、あっという間に夕飯を作る時間になります。勤めていた頃と仕事の内容は違えど、労働としては同等であると感じています。
1980年代以降の男女平等に向けた取り組みでは、女性が家庭から社会に出て経済的に自立することが最優先だったのでしょう。しかし、このことを強調するあまり、専業主婦は男女平等を妨げる存在のように見られてきた印象を受けます。
男女平等は道半ばですが、一度立ち止まり、専業主婦や専業主夫の存在を肯定し尊重していくよう仕切り直しができないものでしょうか。》

専業家事労働の立場になった定年になった主夫の投稿です。基本的な主旨は明確ですが、詳しく見ると次の点が表れています。
(1)主夫業の作業に「親の介護」が入ります。炊事・掃除、洗濯などのルーチン作業だけが家事労働ではなく、家族内のケア労働が家事に含まれています。
(2)家族内ケア労働の中心はこれまでは幼児期の子どもの子育てでした。そこに高齢者の介護が加わりました。一般論としては乳幼児期の子育ては、母親(妻)の得意分野といえますが、介護(高齢の祖父母の)については、妻と夫の間の得意分野の差は比較的小さいと考えられます。これはこの投書外における私の周囲の人たちの様子から判断しています。
(3)「勤めていた頃と仕事の内容は違えども、労働としては同等である」と家事労働を価値を認めています。しかし、それを「再評価」する方法には言及していません。同等の労働とはいえ、「勤めていた頃の仕事」は生産活動としてGDP評価されるのに対して、家事労働はGDPにカウントされていません。再評価するといっても、言葉以上にはこれというものがありません。
(4)家事労働時間は国民生活センターで調査されています。必ずしも十分ではありませんが、この労働時間に基づいて、GDPに匹敵できる基準を設ける可能性が考えられます。
(5)「専業主婦は男女平等を妨げる存在」が一般的に認められているかは疑問がありますが、家事労働が公式に評価されれば違ってくると思います。

この記事を親の会に参加する親(主婦)に読んでもらい感想を聞きました。「何を今さら、前からわかっていたことではないか」という意見がありました。そうであっても、いまなおそれは公然と明確には認められていません。この事情を明瞭におりこんだ何らかの「再評価」の仕方が必要になっているのです。家事労働の「再評価」の仕方を考え、設定しなくてはならない時代になった。これが私の感想です。

『統失宇宙からの手紙』を文学賞に応募

半年余りにわたる統合失調症の人と私とのメールでのやりとりを『統失宇宙からの手紙』にまとめました(以下『手紙』と記します)。それをある文学賞に応募しました(2024年12月16日ポストに投函)。
小説、文芸評論、戯曲の3つの応募部門があり、応募するのは小説部門です。夏ごろに文学賞に応募したいと相手(主著者)に話したところ同意し、むしろわくわくしている気配がしました。
さて『手紙』は小説でしょうか? その前に文学でしょうか? 少なくとも私には判断できません。お門違いによる門前払いになるかもしれません。それは1つの判定として受け入れます。
もしかしたら小説(の一種)として受け入れられるかもしれません(往復書簡が1つのジャンルと教えてもらいました)。受け入れられる判断を私はこう考えてみます。日記文学は紀貫之に始まる中世からの伝統があります。紫式部、和泉式部らの日記は文学扱いされています。平安期のこれらの人には、それを文学として意識していたとは思えません。文学という言葉もなかったのではないでしょうか?
紀行文は松尾芭蕉『奥の細道』などが知られています。これらの日記文学、紀行文は、和歌や俳句という独立した文学作品がくみ込まれているので、全体が文学作品に扱われやすかったのではないか。これは私の勝手な解釈です。
『手紙』は、これらの文学作品と比べて、かけ離れているように見えます。しかし、作者の体験をリアルに筆致した点では共通しています。改めて読み返すに、これは実践記録―広義のメールカウンセリングの実践記録といえるかもしれません。
文学作品は、万葉集以下の和歌集、近代の詩集を除くとほとんどが個人著作です。『手紙』は私と主作者二人の著作になります。この点も文学の枠の範囲かどうかを問うことになるかもしれません。共作の文学作品(とくに物語り作品)を私は知らないからです。
『手紙』は実際のメール文の再現によります。その背景を私が「まえがき」として説明しました。現物の手紙そのものを文学として扱えるのか? ここも微妙でしょう。型破りかもしれないし、それは全く問題にならないかもしれません。
これら全部が認められたとして、その作品レベルが一定水準に達しているのか?
それは私の判断するところではありません。しかしそれが入選レベル(合格レベルル)であると認められるなら、SNS等で交わされている多くのやりとりには、文学作品レベルのものが数多く含まれている1つの論拠になると推察できます。
これら全体が私にはわかりません。しかしそういう一石を投じることになればいいという意味で、私にもわくわく感があります。
一応の完成から数か月たちました。往復書簡の主著者と私が読み返す期間になりました。読み返して感じることは、感動というよりはある種のやすらぎです。一般読者がどのような印象を持つのかは、本当に見当がつきません。統合失調とはどういうものか、そこに関心を持つかもしれません。それ以上にメール交換自体が文学作品となりうるのか。こちら側に関心、疑念、見直し、不思議さを感じるかもしれません。私にとってもそちらが注目点になります。
作品受付期限は来年1月末です。結果発表は5月ごろなので、まだ相当な時間があります。どういう結果になっても残念とは思わないでしょうが、その理由を今のうちに書いておきました。合格レベルであればもちろん嬉しいし、主著者とともに喜びたいと思います。

就職氷河期がひきこもり第2波の理由

社会が大きく変化する時期においては、そこに生活する人たちの考え方、受けとめ方、ものごとの理解のしかたも変わります。「存在のしかたが意識を規定する」というものです。これは若い世代が強く変わるものです。

1950年代後半から1970年代初めまでの高度経済成長期の日本社会の変動は中世の戦国時代までの100年につぐ大きな社会変動期といわれます。1980年代初めの不登校の子どもが目立つようになり、90年代にひきこもりが表われたのは、社会の変動とそれが若い世代に影響したと見ることができます。

私はおおかたこの説明で、不登校やひきこもりが生まれた社会経済的な背景説明の基本は終えると考えていました。しかし不十分なようです。私自身がそれと気づかないまま別の事情を書いていました。2021年出版の『ひきこもり国語辞典』あとがきの一節です。

(ひきこもりの)「第二の波は、2000年代に入りしばらくしてからです。第一波の流れに気づかないうちに合流していた人たちです。発達障害やLGBTs(性的少数者)、障害者、就職難や貧困に見舞われた人たちでした。いわば社会にうまく入れず、ときには排除されてきた社会的な弱者に当たる人たちです。

第二波を感じた当時の私は、ひきこもりの社会参加が目標でした。しかし周りの状況は、私の思いとは反対に社会のあちこちからひきこもり側に近づく人が続いています。自分の心身の状態を維持する方法として、ひきこもり状態に近づくのです。この動きを感じて確実な将来像は描けませんでしたが、この動きは悪いことではない、肯定的な面もあると思い始めました。」(p258-259)

この部分は2005年ごろ宮本みち子さん(放送大学教授)が、就職難に苦闘する若者とひきこもり等若者の状態を「地つづきになっている」と書いているのを見たとき、私と同じ状況把握と読んだ記憶があります。ひきこもりの第2波を私は確かに彼ら彼女らの集まる居場所において感じとっていたのです。

そしてこの第2波を生み出した要因も改めて記すべきだと思います。それは「就職氷河期世代」です。高度経済成長期の延長であり、社会構造の変化した影響によるものです。1990年代初めに日本のバブル経済は崩れ、その後の産業衰退と就職難の時代です。高度経済成長に続く負の部分ともいえるでしょうか。これが2005年ごろまで続きました。〈その後のリーマンショックやコロナ禍時代にもこの不況の波はつづきました〉

就職氷河期世代——高校を卒業して職に就けない人、大学を卒業して職に就けない人、あるいは不本意就職やブラック企業就職、これらの人が誕生したのは、1980年~2000年代初めになります。

高度経済成長期は、産業構造の変化のなかで大量の人口移動、都市と農村の大きな変化、家族の状況に影響しました。続く就職氷河期では産業の衰退・変化のなかで若い世代に安定的な働き口をなくしました。大まかにみて1965年以降の50年間に生まれた人たちは、この連続する社会の産業構造の大きな変化の過程で成長期をすごしたのです。

この過程は同時に交通手段の発達、スーパー・コンビニという小売商店の普及、電化製品の普及など技術的・文化的な進展もあります。パソコンやSNSの普及はより近い時期の事情ですが情報伝達やコミュニケーションにきわだった変化もあります。これらも世代間の違いを広げてきた要因にもなります。

年齢(年代)の違いによる世代間の差は以前からありました。しかしこの50年間の変化・違いはこれまでのレベルとは違います。成長期や青年期という感受性の優れた時期にこの移り変わる時代を過ごしたことは、世代間における人々のものの考え方、受けとめ方、理解のしかたに違いが生まれるのはもっともです。

不登校やひきこもりの経験者は、同世代において仮に1割に満たない少数であっても、世代全体が大きな変動のなかにいました。それを感受性の強い彼ら彼女らが先端的に表現したとみるのが相当です。大雑把に表わせば1960年以前に生まれた人と1970年以降に生まれた人は違うのです。私がかかわったひきこもり経験者の大部分は1970年以降であり、60年代生まれの人は少数でこの人たちは移行期生まれとなります。

もちろん同じ国土に住み、長くつづいてきた生活慣習や法制度の下で暮らし、以前からのほぼ同じ文化的環境のもとで成長しました。連続し継承している部分が大きな割合をしめているのも確かです。それでも世代間において仮に20%程の違いは(計算されるとすれば)、それはかなり大きな世代間差といえます。

私はこれらをひきこもり経験者たちが表わしてきた事情をもとに考えてきました。家庭の世代継承機能が難しくなっている面、女性の側がこの世代継承機能で持続するにはその家庭内ケア労働を評価する面、および取り組み方法として当事者の間で生まれる発想・創意を効果的に生かす居場所の面、などをこれまで考えてきました。それは社会の基盤を支える多くの人にとっても有効な方策であろうと考えます。 

居場所は地域共同体の一種の復活

ひきこもり経験者が集まる居場所がなくなった不登校情報センター。しかし幕は閉じずに続いているのは「ひきこもり周辺ニュース」のサイト制作を続けているからです。サイト制作は20年前に始まり、はじめはフリースクール、相談室、親の会などに直接に所定用紙を送り、その回答を載せていました。
いくつかの変遷があり、いまは主に自治体広報紙から「ひきこもりと周辺」の動きを探しています。全体で2.8万ページの巨大サイトです。自治体広報紙の情報は「マイ広報」というプラットフォームがあり、そこに一定の検索語を考えて、関連記事をひき出しています。
マイ広報には多くの自治体が参加していますが政令指定都市が少ないのが制約です。しかし動きは他の自治体の情報でわかります。数年前のスタート時点の検索語には「ひきこもり」「発達障害」「不登校」でした。これにより講演会等のイベントがあれば、サイト内の「不登校・ひきこもり・発達障害のイベント」に日付順に紹介する形をとっています。
このあたりまでを、〈まえがき〉として今回の本題に入ります。今年になって検索語に「居場所」を考えました。検出された記事の扱う範囲が広くて、どの記事を採用しどれを捨てるのか—この判断に迷いもあり、しばらくこの迷いは続くはずですが—このなかに世の中の、とくに何らかの困難に直面している人たちの本質的な内容があると考えます。
居場所というのは〈居る場所〉ですから特別に意味をもつ日本語ではありません。それが特別の意味合いをもつようになりました。暮らしにくい、住みづらい、生きづらいという人のなかから「居場所がない」という感覚が育ち、そういう人たちが安心しておれる「居場所を求め始めた」ところから、居場所が特別の意味合いを持ち始めたものでしょう。
1980年代になってから不登校の子どもが増え始めたのは「学校が居づらい」と感じたためです。それは時代の雰囲気を感度よく察知したという意味でもあります。このあたりから居場所が特別の意味合いを持ち始めたように思います。
不登校の子どもたちとは学校に居場所がないばかりではなく、家にも居場所がないことも多いのです。自室に閉じこもるのはその対応策でしょう。他方には学校・家庭以外の第三の居場所を考える人もいました。これが居場所の正規の成立になるはずです。
不登校情報センターは1995年に立ち上げ、翌年の1996年に「通信生・大検生の会」を呼びかけて集まったのが、不登校情報センターの居場所のスタートです。誰かが自助会=自分で自分の力で自立していく力を育てる場というほどの意味合いをもつと、そのころには聞いていました。
1998年に情報センターの7畳ほどの狭い事務所に30人以上が詰めかけるようになりました。やがて集まって来るひきこもり経験者たちの中から「人生模索の会」をいう人が出てきました。さいわい新小岩にあった第一高等学院の校舎が閉鎖になり、無償提供の提案を受け、引っ越しました。2001年6月のことです。
これから不登校情報センターにとっては本格的な居場所になりました。30,40代あたりの人の居場所、あるいは当事者の会、フリースペースの動きを検索して収集するつもりだったのです。検索では多いのは高齢者の認知症の居場所、次が乳児など幼少期の子育てに関するママたちの居場所が記憶に残りました。これらはサイトには採用していません。たぶんこれからも採用しないでしょう。しかし、求めるものとそれらとの境界を見きわめがたい居場所があり、また居場所の性格が変わることもあります。これが採否を迷う理由です。
これとは別に2015年あたりから子ども食堂が全国に広がりました。子どもの貧困ということは家族の貧困が背景にあります。子ども食堂も数が多いばかりでなく、多様です。来ている子どもが宿題をする場になり、大人も一緒に集まる地域食堂の色合いをもつ場もできてきました。もはや居場所の一種、特別の形といってもいいのです。
これらがどこまでどのように広がるのかは予想できません。居場所は分野を広げながら生まれています。年代をこえて身心の状態をこえて、あるいは国籍もこえています。その先行きを私が何か言うのは適当とは思われません。そういう動きを必要とする社会状況の反映であり、証拠になると認めます。
自治体が参加する居場所はその一部でしょう。広報紙に紹介し、ときには自らその機構の一部で主導的に開催し、運営しています。住民の中に生まれたことを、公的な機関が認めて推奨する事態になっているのです。
私にはその内容を不登校情報センターの経験を参考にして言えるだけです。今はその一つの側面として次の役割があると考えています。
比較的共通のマイナス体験をした人が集まり、その要因、背景理由、対応策などを交流しながら、共通する前途を探そうとする場。自分の体験の否定的側面を心理的負担が少なく話せるなかで、より本質的な要素を明らかにしていけます。それは同時に自分の体験を肯定的に見る役割さえ持ち得るものです。
その上でさらに遠い見通しを予測すれば、次のことが言えるのではないでしょうか。
人間の集まりは、「家族・親族集団」から一定の地域の「地縁的集団」に移行しつつあります。この居場所はそれに加えて「課題の親和性による集団」といえるかもしれません。居場所は一定の地域が中心に展開されているので、地域共同体の別種の復活の形になるのです。それは家族が、孤立した個人が、自分の居る地域と自分の抱える課題により社会で生きていくための条件をつくり出していく一過程といえるでしょう。

江戸川区立駄菓子屋 よりみち屋


江戸川区が主導して設立した『駄菓子屋居場所 よりみち屋』が新聞で紹介されました。なにかと話題を掘り起こして紹介する『しんぶん赤旗』(日曜版2024年11月24日号)です。
ひきこもり経験者の居場所を駄菓子屋にするときいたのは3年ほど前のことです。ちょっと変わっているなという印象を持ちましたが、不登校情報センターの居場所の「建て前」は書店(あゆみ書店)でしたので、少し納得する部分もありました。居場所と名乗らないのがうまくいくかもしれないのです。
設置場所の条件をめぐり回り道があり、実際にできたのは2023年1月だそうです。不登校情報センターと同じ区内にあり、「できたらしい」という話はかなり前に聞いていましたが、行ったことはありません。
日曜版には設立経過が書かれています。2021年の区の調査で、区内に約9000人のひきこもり状態の人がいる。その人たちの要望に「家以外の居場所」と「就労支援」が多くあり、福祉部生活援護管理課の担当者が駄菓子屋を想定したといいます。もう1つの要望「就労支援」は、日曜版ではふれていませんが、「みんなの就労センター」になります。こちらは一般社団法人であり、その会員は江戸川区民以外も入れますし、私もその会員に勧める人と一緒に登録に行きました。
それでこの「江戸川区駄菓子屋居場所 よりみち屋」の内容は——おそらく日曜版記者はある1日の取材日を中心にした記事なので、いくぶん私の想像も混じりますが、少なくとも20年前に不登校情報センターで展開されたものよりもちゃんとしている感じはします。区の委託を受けた医療機関の関連会社が運営し、社会福祉士、ケアマネジャー、ピアサポーターなど職員が対応します。そのあたりは安心感があり、実際の様子はひきこもり当事者の状態を反映して、より自然な雰囲気を感じます。
そして思います。これはひきこもり経験者ばかりではなく、地域の人たちの世代を超えた交流の場の1つになる。長い目で見れば、孤立しがちな人たちが、少なくとも初めのうちはこれという利害関係なく、知り合っていく場です。「第2の家であり、家族みたいな場」という利用者の声はそれを示しています。
先日紹介した、NPO法人抱撲とはまた違う、地域共同体的に成長するように期待します。核家族になって家族が世代継承機能を低下させているなかでそれを補い、新しい形で機能を伸ばしていけるのか。そのように発展することを期待しています。
これが行政区の委託事案であることが、どのように影響するのかも注目点です。