学校の体育館に多くの親が集まっています。主催者のあいさつが始まりました。「本日は多くの御フケイの皆さんに集まっていただき…云々」。御フケイとは御父兄です。これは前時代の子どもに関する (ときには婚姻に関する)決定権を父または兄が持つという封建的家族の男女差別の名残り(?)です。
御父兄という言葉は私の子ども時代の記憶ですが、特定の日のことでなく何度もありました。成人後にもこうした言葉を聞いています。私だけではないでしょう。
父兄会は戦後PTAに変わりました。アメリカで普及しているPTA(Parent-Teacher Association/親と教員の協議会)を用いたものです。母親(だけのこともある)中心のPTAを「フケイの集まり」と呼び慣らす人はまだいるようです。
第2次大戦後の民主化の動きのなかで家長的家族制度は崩れました。財閥解体、農地解放(地主制度の解体)と婦人参政権の確立などがこの民主化の内容ですが、詳しい説明はおきましょう。脳科学者で世相や社会問題に発言を続ける養老孟司さんが、ざっくばらんに家族の変化をこう語っています。
《大家族の家単位だった私的空間が、憲法上つまりタテマエ上は、個人という実質的最小単位まで小さくなってしまったのが、戦後という時代である。そうなると、実質とタテマエをなんとか工夫してすり合わせるのが日本人だから、どうなったかというなら、「大きい」家族を、「小さい」個人のほうにできるだけ寄せるしか手がない。その折り合い点が「核家族」になったんでしょうが。
「ひとりでに核家族になったんだろ」。たいていの人はそう思っているはずである。冗談じゃない。そんな変化が「ひとりでに」起こるものか。「ひとりでに」というのは、
「俺のせいじゃない」と皆が思っているというだけのことである。だって憲法のせいなんだから。
幼児虐待が起こるたびに、「どうしてまわりが注意しなかったんだ」という意見が出る。それは、「他人の家のなかは、私的空間だ」という伝統的な世間の規則を意識していないからである。だから日本の場合、ある程度大家族でないと、じつは子育ては危険である。》(『無思想の発見』2005年.ちくま新書 P.29―30)
1950年代後半から70年代まで続いた高度経済成長の時代に、家族が分散し三世代家族から核家族化しました。核家族化は家父長制家族崩壊の第二波ともいえる追打ちでした。しかし家父長制家族の気分が絶滅してはいないのは「フケイ会」が一部で通用している現実が示しています。これは分かりやすい家父長制の名残です。しかし名残は生活の奥深くに残っています。
実生活における家庭内の男女差は自然な性差だけではなく、社会的な差にもよるからです。その根底には家事労働と家族内ケアが社会的な生産活動と並ぶ位置に置かれていないためであると私は考えます。核家族の広がりにより家庭内の男女差は是正されてきましたが、そこで止まることはできません。
すでに養老孟司さんが「日本の場合、ある程度大家族でないと、じつは子育ては危険である」といっている通りです。家族の小規模化では得たものと失ったものがあるのです。ひきこもりに関わってわかることは、その深い原因には乳幼児期の虐待またはマルトリートメント(不適切な養育)があります。子どもの虐待とか少子化問題は「家事労働と家族内ケア」の再評価なくしては改善されないでしょう。言い換えますと核家族化に続く家族関係の根底からの変化が求められています。現在はその変化が始まった時期と考えられます。
私は山陰の過疎地である農漁村地域の出身です。そこに住み続けている長尾英明さん(大田市五十猛まちづくりセンターに勤務)が『なつかしの国、石見のいにしえ物語』(2022年11月)を発行しました。その一説にこうあります。
《空家増加の要因はいろいろあると思います。最も大きな要因は少子化に加えて、世帯の核家族化にあります。その結果、若い世代が親と同居しない、生まれ育った家に住まないことがあります。その背景には、親の住居の構造が若い世代の新しい生活スタイルに合いにくいというほかに、嫁が同居を好まないことが背景にあるようです。いわば嫁が姑の目を気にせずに気ままに暮らせることを優先するという若い世代の心情の反映ですが、やがてその若い世代も将来には同じ境遇になることに気付いていないだけです。》(P160-161)
これは養老孟司さんの意見と一部重なります。同時に、大家族(三世代家族など)が消滅に向かう原動力(家父長的親族関係から個人中心の家族関係に移行)が描かれてもいます。新しい世代は新しい家族・家庭を求めました。しかしそれは子育て(及び高齢者介護)の力が弱い状態につながり、少子化の主原因にもなりました。この地域ではそこに人口流出が重なり過疎化しています。
持続可能な新しい家族・家庭、家族形態はどういうものか。それは別項で扱います。