自立に向かう方向=映画「どうすればよかったか?」再考

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映画「どうすればよかったか?」の答えとして「親不孝のすすめ」という文を載せました(7月16日)。文中に述べたことでわかるように、私は実際に「親不孝をすすめ」た事例はありません。これでは無責任な感じがするので、実際はどうだったのかを書きましょう。
大筋で言えば“自立への道”です。親と別に住むという形をとった人が何人かおり(高校時代に全寮制高校に入るというのはその典型)、20代以上になっても、数人がそうしました。そうはいってもこれはこれで難しいことです。日常生活(とくに食事)が乱れ、生活サイクルが定まらず、やがて自宅に舞い戻るという人もいました。けれどもその「別に住む」形で進み落ち着いた人もいます。
自宅から親を追い出したタイプもいます。これは暴力・暴言的振る舞いがつきものでした。親は比較的近くにアパートなどを借りて住み、周囲から様子を見る、生活費を預金口座に振り込む…というものです。そのまま接触を途絶えてしまった人も知っています(知る限りでは10年近くの途絶のまま)。この親を追い出すタイプは「親不孝のすすめ」の1つの形かもしれません。これは親側から相談のときに聞いたことで、私が勧めたわけではありません。
子どもが大学進学する時期に親元を離れ、そのまま家族との接触を断った人もいます。親は心配して(仕送りを続けながら)ときどき子どもの住所を尋ね、様子をみようとするがいつも電気がついていない、という人もいました。
こうした親との断絶型とは別の形もあります。同じ家屋内でも行なわれました。夜、親が寝静まったころ風呂を使い、食事は部屋の前に置いておく、というものです。親と(特に父親とは)口をきかない形の人もいました。それも10年、20年の長期の期間に及ぶことがあります。修復が見られるのは親の老いを知ったときが多いです。
しかし修復されないまま親が亡くなるばあいもあります。これらは、親子の断絶かそれに準じる形での“自立”の道をたどったケースです。ひきこもりにともなういろいろな行動や状態と考えられているものです。
一般的に勧める自立の道は、理解ある人または当事者同士での関わりをつくることです。それはいろんな形の居場所になります。職業訓練的なプログラムを中心にするところ、生活できる力をつけようとする試み、それ以前に「人との接点をつくる、人に慣れる」あたりからスタートするところ、これらは今現在も全国各地で取り組まれているところです。全体をみると「人とのつながり」を重視していく居場所がふえてきたように思います。
ひきこもりの経験者がくればその人にこれらの場への参加をすすめます。親が相談にくれば——子どもが20代までのときは仕事に就くことを中心に希望しますが、結局はそれ以前の対人関係づくりにまで戻って始めることが中心になります。これらのそれぞれの局面で生まれることにどうするのかは、多くの参考例が出ています。親の会(家族会)で話されるのはこれです。当事者で話しになるのもこれです。ひきこもりが家族関係の修復に向かうのがこれから見ることができます。
逆に見れば家族の継続が難しくなっている表れがひきこもりのとも言えます。ひきこもりからの自立は多くの時間を要すものです。これらの経験は家族(制度)がどうあるのかを示していると思います。そうは言いつつも、親から多くの相談を受けてきて思うことは、これは容易なことではありません。わかっているけれどもできない——その前になかなかわからない人もいます。親同士でそのもどかしさを伝え合う方法が、いちばん伝わりやすく、どうすればいいのかがわかる気がします。それ以上に、ひきこもり経験者は親世代よりも若い分、親よりもエネルギーがありますし、当事者が理解し動けば、親の方が変わりやすいのです。

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