椎名篤子(編・著)『凍りついた瞳2020』(集英社,2019)所収のなかの記事から。
(1)生後10か月の男子の死を描いた救急外来——心電図が動かず心臓マッサージをして蘇生を計ります。そこに4年目の小児科医が専門医として加わる。処置室の前で待つ母親に遅れて、勤務先から父が到着する。しかし心臓マッサージを止めると心電図は動きません。両親をよんで蘇生行為の終了を告げます。父親が「わかりました。ありがとうございました」となり、死亡を認めます。
翌朝「10か月の男子殺害容疑で母親が逮捕された」とのニュースが流れます。担当医は「子ども虐待による死である」に疑いをもち、警察に連絡するも「規則で教えることができません」の壁に当たる。半年後、母親に懲役2年、執行猶予4年の判決になりました(P46~63)。
(2)同じ医師の2年後、ふたごの兄がいる生後13か月の女子が父親に抱えられて救急外来に運ばれてきた。耳にあざがあるのが気になり、CTスキャンによる脳検査を行った。画像内に急性硬膜下血腫があるので、年配の脳外科医に見てもらった。脳外科医は「確証もない…。子どもさんが重篤なのに、虐待と親御さんを疑って追い詰めるつもりですか」と疑問を呈す。入院の10日後にある程度回復したところで、医師は両親に伝えた。「病院としては硬膜下血腫、耳のあざ、脳内出血、それに肋骨骨折などから総合的に考え、虐待の疑いがあり…児童相談所に通告しました」。父親は表情を一変させ抗議を始めた。…そのあと母親が言った。「あんな子要らない。かわいく思えない。…子どもは息子だけでいいんです」。父親はイスに座り込み、押し黙った(P64~70)。
上の2つの例は簡略しすぎる紹介なので詳しくは本を見てほしい。それも様子を聞き書きしたもので、乳幼児への虐待の実際はわかりづらいのです。しかも子どもが成長したときにはその記憶を語られることはほぼありません。
ところが、この乳幼児期に(とくに継続的に)虐待を受けた経験は、子どもの体に残ります。友田明美さんはマルトリートメントを受けた子どもは脳を変形させているのを画像診断で表わしました。
また子どもの胸腺の委縮も証拠とされていました。私は居場所の来ている人の中にときどき胸に手を当てる人を見ました。『ひきこもり国語辞典』にこれを書きました。成人期に残る虐待の可能性を感じています。
《むねキュン(胸キュン) よく胸のあたりが苦しいような感じがして手で押さえます。胸といっても頸(くび)の下あたりで、呼吸が苦しいのとは違います。切なく苦しいというか、やりきれない、空しいような気持ちを落ち着かせる感じです。世の中的には「胸キュン」というのがいい感じのときに使われていますが、それとは違います。》『ひきこもり国語辞典』(松田武己、 時事通信社、2021)
脳や胸腺の他にも体のあちこちに残り、成人後の「働くに働けない」状態もその一つではないかと推察しています。乳幼児期の虐待と成人期のこの状態の因果関係を、身体科学の面からはまだ説明されていないとしてもです。
なお私がこの本に引用されている2人の乳幼児の場合を含めて、虐待をしたという母親を一方的に責める気持ちにはなれません。ワンオペ育児かそれに近い状態におかれた母親たちの追い込まれた状態を考えます。最大の被害者はマルトリートメントを受けた子どもですが、母親は加害者であるとともに〈自身の成育歴や生活環境の〉被害者かもしれないからです。