私はひきこもり発生の社会的歴史的な背景事情には、核家族が広がり子育てなどの世代継承機能が低下したことが、最も基盤的条件と確信するようになりました。不案内な家族論に迷い込んだのは、この事情からです。核家族を超える家族像とは何か。それは一種の集合家族ですが、構成する家族のそれぞれは一様ではありません。それで複合家族というのを想定したのです。現在の二世代核家族・三世代家族の片側にすこしずつ生まれ、やがて大きく広がると予測しています。
複合家族に向かう構成要素は既にあります。私が知る例をあげると再婚夫婦には合計3人の子どもがいますが、その1人はその夫婦とは血縁関係にありません。夫の元妻のつれ子で元妻が亡くなり、現在の妻と再婚してこの新しい夫婦の子どもになったのです。血縁ではない人が加わる家族です。成人した単身者の増加も成立条件を強めています。
国民の中ではすでにある程度の動きがあると思えます。婚姻関係の人が中心になり、里親が加わり、子育てや介護などの日常生活に協力関係にある人、共通する趣味や課題のある人からなる親和性のある集合体です。夫婦別姓とか同性婚の人が加わることもあるでしょう。離婚したシングルマザーが、子どもとともに誰かと再婚するのではなく、この集合体に加わることもあるでしょう。成人の単身者も含まれます。これらが複合家族のそれぞれの要素です。いろいろな組み合わせは、それぞれの必要性から生まれるでしょうが、それを「複合家族」の名称で呼ばれることはありません。この集団の輪郭が明確になれば数十人規模の集合体になるでしょう。居住状態は共同住宅や近隣に居住するものと考えられます。
核家族は、それ以前の“大家族制”がそれで果たしていた(不十分で名ばかりではあっても)役割をなくしました。それを親和的な人が公平に加わる複合体、それが複合家族です。名称は誕生によっていろいろでしょう。世帯とつくのか家族とつくのかは、それが生まれた事情に関係すると思います。
この複合家族は、核家族を通り抜けたより発展した家族形態になります。そこでは衣食住などの家事労働の分担が確立し、家族内ケア労働とともにきわめて重要視されます。家事労働に関しては、世に多種多様な家電製品が生まれています。それは家事労働を大幅に減らしました。しかしそれで家事労働がなくなるわけではありません。衣食住に関するとされる家事労働も最後には人の手がいるのです。
家族内ケア労働は直接的な世代継承機能です。そのうち子育ては保育園や幼稚園という家族の外側に施設ができています。それは有効な役割をもちますが完全はありません。親和的な集団が1日24時間の受け入れによるワンペア育児を解消していくでしょう。学齢期になった子どもには学校が外部施設です。それもとくに思春期以前には学校では十分ではありません。学童保育が広がっているのはその一つの実例です。それも親和的な状態での対応が求められるのです。障害者や病弱な成人に対しても医療やリハビリ施設ができていますが、それでも十分ではありません。高齢者の介護施設もやはり同じです。それらの全体が世代継承機能です。
複合家族による子育て、障害者や病弱者の看護・介護が〈公的支援に加えて〉相応に評価された状態にあること、そこには得手不得手の違いはあっても男女による固定的な区別はない状態に進むとみます。この構成と内容が可能になれば家族の世代継承機能を取り戻せます。ヤングケアラーの問題が生まれる条件は基本的には解消するでしょう。
複合家族は、ことに長期化しているひきこもりへの対応方法として私の中で浮かんだものです。ひきこもりの発生の深い条件が核家族のひろがりであるとすれば、その基本的な解消・対応策も核家族の変化になります。それはまた“孤独・孤立”の問題、シングルマザーの子育ての困難と経済的問題の解消にも有効でしょう。現在はそれが社会の一端にその構成部分となる要素が生まれているのです。
核家族の拡大は家族史なかでの進歩でしたが、いろいろな不全状態を生み出し、家族の世代継承機能を低下させました。ひきこもりは家族の不全状態を社会現象として表面化させました。長期化したひきこもり状態に伴う諸問題を解消する形が複合家族です。ひきこもり状態の、とくに就職氷河期世代に重なる人たちが、60代、70代を迎えるころに複合家族の形成は大きく広がっていくと推測します。