理髪屋さんに行ったとき、待合室の隣に座ったのがバングラデシュの人で、少し話しました。在日8年目で日本語はかなりスムーズに思えたのですが「日本語は難しい」といいます。
「バングラを知っていますか?」と問われました。20代のころ、深夜のダッカ空港にトランジットで寄り、カラチに向かったのです。パキスタンから分離独立した直後でした。彼は「それでもバングラに行ったことにはなります」と妙にうなずいています。
1971年、パキスタンから分離独立し、バングラデシュができました。その運動の主役アワミ連盟の総裁、ムジブル・ラーマン首班の政権ができました。独立後は政権交代もありクーデターもあったと記憶にありますが、ムジブル・ラーマンの娘のハシナ首相が、国内の反政府運動の中で辞めてインドに亡命しました。昨年のことです。私は「これをrevolutionでしたね」というと、彼は納得して、「よくわかってくれています」と返してきました。
40歳前後と思われるので「バングラに戻る予定はありますか?」と聞いてみました。「わからない」と答えます。「今は秋葉原でパソコンなどのIT関連の販売をしている」そうです。バングラは農業中心から繊維工業による発展途上にいます。人口は多く(日本以上の1億6千万人?)、面積は北海道の2倍、人口密度は高く、しかしサービス産業はまだです。これらが私の頭にあるバングラです。IT技術者ではない彼には、国に戻る積極的な理由がみつからないのでしょう。…そんな話をしようとしたところで、散髪の順番が回ってきました。