「親と子と教職員の相談室」発行の『教育相談室だより』が年3回発行されていて、その最近号を読んでいます。岩手県一関市に公立小学校の跡地に「虹の学園」が2024年4月に設立されその報告がありました。小中学の不登校の子どもたちの居場所ともいえるフリースクールです。
小中学生を対象としたものですが、居場所として私が暗中模索でとりくんできた不登校情報センターの居場所と重なる状況をいろんな局面で感じ取ることができました。
1つの例を挙げます。「子どもは生まれてからその行為行動は主体的なもので、それを肯定的に受けとめるか、否定的に受けとめるは周囲の大人たちの問題」、すなわち子どもの問題ではない。そこから子どもの意思の受けとめ方の基本に違いが出てきます。
しかし成人はそれなりのものを求められます。ひきこもり経験者がいきなり成人社会に入り厚い壁を感じるのはこのためです。私は当事者が「~したい」というのを聞たとき、優先したのはそれです。こちらで用意しているものを身に着けさせるのを優先しなかったのです。
時代背景の変化を示す部分にも納得できるものがありました。「昭和の時代は多くの子ども集団の中で集うに余白があり、評価も相対的だったため、得手不得手で収められていたことが、昨今の水平的画一化が進んでいる公教育の現場では、みんなと同じ内容を同じ方法で同じ結果を出すことを絶対評価で求められる傾向が以前よりも強まっています」=最近の事情はともかく昭和の時代評価の仕方が表れていると思いました。
さらに気になることがありました。「他者から評価されることを怖がります。(子どもたちが自分で作った)料理を作った後はその場から立ち去り、できあがった作品についての感想も聞きたくはないそぶりをみせます」=これはどうでしょうか? 批判をされるのを怖れているように思うのですが、嫌がるではなく、〈怖れる〉のも気になります。この理由を上手く説明できません。
最後にもう1つ。不登校の子どもは増え続けています。文科省も各地の教育委員会も気にしているはずです。その一方で、生徒数は減少する中で学校の統廃合が進んでいます。そういうなかで廃校になった学校がフリースクールになるというのは珍しいことではなくなりそうです。校内フリークールも名称はいろいろですが増えてきました。
21世紀も4分の1を過ぎ、学校の変化は社会変化の一面として、緩やかですが進んでいるのを知ることができました。自分では望む将来像を描けませんが、教育も社会も大きく動いています。自分の思う方向と同じではありませんが、全部が反対方向とも言えません。せめて戦争とは結び付かず人が公平に扱われる社会を願います。