日本語はパトス的ロゴス言語(感覚を伸ばす日本語①)

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おそらく私が30代のころですから40年以上前のことです。フランスの化粧品会社(たぶんロレアル)の人が日本人を社員に採用する事情を話していました。日本人は化粧品の使い心地の感覚を細かく適格に表現できる。それは得がたいもの……という主旨でした。

次は5、6年ぐらい前のことです。日本人は虫の声を雑音ではなく音声として聴きとっている。その理由を耳鼻科医師角田忠信さんが、日本人は虫の声を左脳で感知していることを証明していました。西欧人はそれを右脳で聴いているので雑音になるというのです。

もう1つ哲学者の梅原猛さんの論文に15年ぐらい前に出会いました。梅原さんは日本語の特徴を「パトス的ロゴス」、情動的論理の言葉であると紹介していました。(「[[日本語の言語的特色と精神文化の関係]]」2022年5月20日)

これらはたまたま伝わってきたのですが、私の頭の中で徐々に1つにまとめられていきました。当時それぞれを短いエッセイに書きました。それらを肯定的に考えられる手がかりを得たからです。

次は私の関心の推移に関することです。日本には哲学はなかった。社会的思想はそれぞれの時代にあったが合理的・体系的なものにはならなかった。私の20代のころに書いたノートにはその事情をいろいろと書いていました。論理として一貫されるのではなく、なにかあいまいなものが混ざっている、それが少なくとも近代までの日本の思想史にはなかった、という意味です。

例えば古典ギリシアのアリストテレスに代表される哲学、イブン・ハルドゥンの歴史序説が示した中世アラビア哲学、デカルト以降に登場した近代ヨーロッパのように日本には哲学は誕生しなかった。江戸時代18世紀の安藤昌益の自然真営道は、唯物論哲学に近づいたけれども未達成であった……そんなことを書いた記憶があります。論理の内側にパトス的なもの、感情的情動的なものがくみ込まれることは、論理の一貫性、完成性を損なうものと私には思えてきたのです。

最近、AI(人工知能)の広がりとともに、日本語の英語などとは違う要素が評価されているのを読む機会ができました。

私には、角田さんや梅原さんの意見を聞くこと——それはひきこもり体験者がもつ感覚的感性の鋭さを理解する糸口として、私の中にかなり受け入れる気分が広がっていたことに関係するでしょう。私は日本語または言語学については門外漢ではありますが、論じられていることのいくつかを、「ひきこもり」に関わって学んできた者として、見きわめたいと思ったのです。項目を先に並べてみます。

(1)日本語における動詞の位置

S=主語、O=目的語、V=動詞

日本語型語順「S→O→V」、英語型語順「S→V→O」

(2)かな文字と漢字の利用=脳の活動に関係する

(3)感情・感覚表現の細分と多様性

(3-2)オノマトペ表現の発展

ほかにもあると思いますが、とりあえずこれらについて書いてみます。

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