低開発国でのGDP優先の工業化は国内を不安定にする

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私が子ども時代をすごしたのは漁業集落でした。小学生のとき数人と浜辺に一緒にいたところ、近所のおばさんから呼ばれて一軒の家に入りました。「カマボコが出来たから食べてみて」ということです。魚肉の質が残る舌ざわりがするものです。現在の町中のスーパーマーケットで売られている肉質が均一で、品物の外側が薄いピンクで化粧されているカマボコとは全然違います。素朴で商品としては完成度の低いカマボコです。味は表現できませんが、うまかったことは確かです。

漁獲物(魚)という第一次産業の生産物を、加工業(第二次産業)に移すその現場、まさに家内工業です。ここがその後どうなったのかはわかりません。ただその田舎の漁業集落には現在1つの海産物生産・販売店があります。これが典型的な工業化移行とするには無理があるのは十分に承知しています。〔後で簡単な補足説明をするつもりです〕。

第一次産業(農村漁業、狩猟・畜産業)は食料と衣料・住居の原材料の生産現場です。それを維持(再生可能)にしながら、製造業にすすめる——いわば土台(下)から製造(上)に進めるという構造——のが正当な発展の道ではないか。その過程には、市場という販売(ときには輸出)状況とのバランス計算が入ります。こういうバランスのとれた発展が形づくられていないなかでの工業化計画が、とくに発展途上国で、いや業種によっては先進工業国でも遂行され、失敗を重ねている例を目にします。

発展途上国では経済産業を発展させるために、工業化を上から(すなわち政府主導)で実行します。うまくいく場合もありますが必ずしもそうとはなりません。私の思うところでは(1)当事者である生産者の状態や意見を取り入れる仕組みに欠けること、(2)上からの指示過程が上下(支配従属)関係になり、収賄の条件をつくり、構造を腐敗させること=ときにはこの不正常な過程が実務的・合法的なシステムとして機能しています。ここに私はGDP優先の経済開発計画の弱点を見る思いです。

猪木武徳『戦後世界経済史』(中公新書,2009)では、GDPにふれることなく、次のように論じています。制度優先論(権力を制限した政府により、人と資本を育てて経済成長に進む)と開発優先論(市場を重視する強力政府で経済発展が進むと政治制度の改良が進む)の2つの仮説(平たくいえば民主制と独裁制の対比)を示した上での暫定的結論といいます。

「現在のところ、人的資本、すなわち人間の知的・道徳的質が、成長にも民主化にも一番重要な要因と考えられること。政治制度は経済のパフォーマンスにとって二次的な効果しか持たないこと、第一次効果は人的・物的資本であること、人的資本の乏しい国(教育や道徳水準の低い国)でのデモクラシーの実行可能性はあやしく、人的・物的資本への投資から経済成長へ、そしてデモクラシーなどの政治制度の整備・確立という方向への展開の方が因果関係として重要だということになる。言い換えれば、貧しい国は独裁のもとで、人的・物的資本を蓄積し、ある程度豊かになった段階で、政治制度を改善する可能性も現実的な政策として考えられるということになる。この暫定的結論は、慎重に取り扱われねばならない。その独裁が誰の、いかなる体制か、によって結果は決定的に異なってくるからだ。さらに「ある程度豊かになった段階で、政治制度を改善する」と言っても、そうした権力の移行が平和裡に行われるとは考えにくい」(p371~372)。

私の感想はこうなります。農業集団化、工業化推進の失敗とその失敗を率直に認める政府・政治指導者は「制度優先論」に属する。猪木さんのいう暫定的結論ではなく、私には決定的結論になります。政治的民主制の社会では即断実行はできませんが、安定的にことを進めるのです。

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