人間が生活するのに欠かせないエッセンシャルワークには、直接に人に関与する対人ケアが重要な位置をしめます。この部分は家庭内ケアの部分が大きな割合を占め、社会の発展とともに家族・家庭の外側にそれを支える仕組みができ上がってきました。保育・医療・介護がそういう分野です。
対人ケアワーク以外のエッセンシャルワークとして明確なのが交通、とくに公共交通です。人間の歴史のなかでそれが明確になったのは近代に入ってからです。機械的交通手段、現代では電車、自動車と鉄道、道路によるネットワークでしょう。それ以前には、馬車や人力車がありましたが、公共性はそれほど高くはなかったでしょう。
猪木武徳さんの『戦後世界経済史』のなかに、公共交通について日本の例が紹介されています。ヨーロッパ諸国の鉄道事業が苦闘しているなかで、日本では2つの事業がそれをつき抜ける成果を挙げたからです。
1つは新幹線です。東京—大阪間に新幹線が開通したのは東京オリンピックの開催された1964年10月です。新幹線の開通により日本国内の輸送サービスへの需要の高さがさらに明らかになっただけでなく、諸外国(フランス、英国、西ドイツ、イタリア、米国など)が高速鉄道の開発を企画する契機にもなりました。日本の新幹線は、高速、フェールセーフという特色以外に、広軌(標準軌道)、変電の集中制御、雪対策、信号装置の作動を先行列車との車間距離によってコントロールするなど、多くの新技術を集大成したものでした。
しかし、日本の国鉄の経営も70年代末には壊滅的状況に陥っていた。25兆円を超える負債、年々の収入の4割近くがその負債利子の支払いに向けられ、42万の職員の人件費が収入の7割弱を占めていた。それでも毎年1兆円の設備投資が行われ、民間企業では考えられない非合理的な経営が行われていたからです(p292)。
ここで1987年の国鉄民営化です。「日本政府の臨時行政調査会は、1982年に国鉄の分割民営の方針を打ち出し、1987年4月に民営化が実現した。分割の境界の決定、組織と人事制度の改変、財産の再配分、規程の変更など、多くの困難な作業を伴ったこの民営化事業は、結局23万人の人員削減という苦痛とともに、ようやく11年間で1兆5000億円の負債を減らし、黒字経営に転換できるところにこぎつけた」(p293)。
この結果を1988年9月フランスの国鉄国際局長の談話が引用されています。「日本の鉄道は世界の鉄道に2つの大変大きな貢献をしてくれた。それは新幹線と国鉄の民営化だ。日本の新幹線の成功は世界の鉄道の旅客列車を滅亡から救った。日本国鉄の民営化は大変な試みだ。フランス国鉄はいまのところ同じ道を歩むつもりはない。しかし、少なくとも鉄道事業が採算のとれる事業になり得ることを実例として示してくれた」(p293)。
私が18歳のとき新幹線が開通し、大学夜間経済学部の同級生Yさんが国鉄労働組合の下部役員を務めていることもあり、民営化に反対する労働組合の応援に行ったこともあります。今では公平に見て、新幹線事業は肯定的に評価できます。民営化については不明の部分はありますが、必ずしも否定的とはいえない気持ちです。
さて問題として考えているのは公共交通です。全体としてはどうでしょうか。北海道をはじめ“地方”といわれる各地で、JR(旧国鉄)の鉄道支線などは廃線が続いています。それを部分的に防ぐために自治体のいくつかが第三セクターを作って、地方線の維持を図っています。小規模な私鉄では鉄道事業以外の多角経営で鉄道の存続を続けています。バス路線への転換で住民の生活への打撃を少なくしようとする努力もあります。
この公共交通の衰退は、地方の人口減の直接の影響でもありますから、公共交通の面だけでは全体像を語ることはできないでしょう。公共交通は人口の多い都市域でも課題が生まれています。人口の高齢化と身近な商店街の縮小によるものです。ここでも自治体の動きとそれをバックアップすべき中央政府の役割があります。
私の住む隣接の墨田区では区営の区内巡回バスが運営されています。買い物“難民”、医療機関巡り、高年齢者増大…への対応策と言えるでしょう。公共交通はこれらの全体をみて考えたいのです。