私の唯一の外国の知人はモザンビク人です。1975年同国が独立後に外務副大臣を務めた人なので、友人というにはおそれおおいです。
そのモザンビクで数年前にプロサバンナ計画という集団農業化が進められました。これには日本もJICA(日本国際協力機構)を通して協力していました。それに現地の農民団体が「小農は地球を救う」と反対し、集団化を達成することなく「目標は達成された」と宣言され終わりました。JICAの関与に反対していた日本国際ボランティアセンターがこれに関わり、この団体の一員がモザンビク入国禁止にされました。
私がアフリカ(このばあいはタンザニアとモザンビク)に関心をもったのは1960年代末から1970年代のことです。タンザニアではアフリカ社会主義という理想の下に農業の近代化、集団化が進められました。統計(数字)上では、農民家族の80%がその農業集団、ウジャマー村に属するとされているのを読んだ記憶があります。しかし内実は多くの問題を抱えており、自分所有の耕地の農作業が重点になり、集団農地は放置され、農業危機の恐れが生まれました。結局1980年ごろにはウジャマー村政策は公式に廃止されました。「廃止」という潔い決定をしたことはむしろ称えられます。
こういう結果は、タンザニアやモザンビクに始まったのではありません。ソ連のコルホーズ、ソホーズ(国営農場)でも、中国の人民公社も失敗しました。農業を近代化するには集団化し、機械化や化学肥料により生産高を高め、輸出農作物を大量に生産する——政府・政治指導部はそのように考えたのでしょう。
農業に従事する農民や農業労働者が毎日の生活に必要とするものは何か、生産意欲の視点の欠如です。GDP(国内総生産)を優先し、国民の生活に求められた農業・産業発展計画ではなかった——それが全部の理由とは言いませんが——のです。
日本では戦後(1945年以降)の農地改革で、地主的所有関係は自作農育成が行われました。地主的所有関係は集団的農業には進まなかったのはよかったと思います。もっともそれで十分満足とは行きません。1960年代中ごろ以降(すなわち高度経済成長期以降)の動きです。農業・農村軽視がいま日本の農業の衰退につながっています。
日本の経済発展計画はある程度発達した状態において高度経済成長という工業化、重化学工業化が進められました。それに伴うエネルギー政策、交通ネットワーク(鉄道・道路、運輸・通信など)づくりが考えられました。なかなか難しい計画策定と実施ですが、1980年代までは世界的には大成功の部類に入ります。しかし、その動きの中心には現場の生産従事者(当事者ともいえる)、国民の中心部分はいなかったことが、1990年代以降に表面化したのです。
経済政策は、多くの国民の利害が関係する難しい問題です。政治(とくに政府)指導者の指令で決める方策では現実離れしてしまうのです。