来年3月予定の全国若者・ひきこもり協同実践交流会の準備に関わってきました。途中からの参入ですからあまり強いことを言うつもりはありません。
関わるなかで「当事者や現場の実践者の視点」を取り入れようと考えました。行政的視点、研究者的視点からの協同実践交流会になるかもしれないと違和感をもったからです。
ここにきてこの違和感の中心は浮かび上がってきました。全国若者・ひきこもり協同実践交流会はひきこもりを起点に考えられてきたと思ったのが、違うかもしれません。準備の中心は生活困窮者支援の活用に傾いてはいないか。
生活困窮者支援にはひきこもりへの対応が含まれます。それは前進であり、引きこもりと周辺の社会問題を統一的に取り組むのは理想的だとも考えました。ところが運動は生活困窮者支援に重点が動き、ひきこもり当事者の感覚とは別物になっているのではないかという疑念がわいています。
「発達障害やニートや貧困や震災被害などが発生するたびにひきこもりの問題は後回しにされている」。これは以前にあるひきこもり経験者がふともらしたことばです。そんな中で生活困窮者支援法になってようやくひきこもりが対象に入りました。直接かかわるうちのひきこもりの理解とか対応も向上すると予測しました。
しかし、そう簡単ではありません。ひきこもりが生活困窮者支援のなかに取り込まれ、そこに解消され、霧散してしまう雰囲気を感じています。ひきこもり経験者がふともらしたことばはいま私の感覚です。
連帯を拒むつもりはありませんが、ひきこもり当事者の根を置いた取り組みを心がけるしかありません。本音というよりは実感です。