ひきこもりには“静かな反乱”の面がある

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S.フロイトは『精神分析入門』のなかで書いています。「親は子どもに対して、親自身ができなかったて内容を要求する」と。世の親ばかりではありません。教師は自分がその子ども時代にはできなかったことを生徒に要求し、行政者や政治家は自分にはできないことを住民や国民に要求することもあります。

YouTube動画を見ると別の高い基準が語られます。日本の清潔さは成田飛行場にはチリ一つ落ちていなくて床はいつもピカピカである。日本人の勤勉さや律儀な様子は「一糸乱れぬ交通秩序とか、休息を怠慢や悪と考える思考が完璧だ」とかとんでもない誇張が語られています。これらも達成したことのない状態を基準にして人の行動にあり得ない基準にされています。

これらがまずは感受性豊かな世代に緩やかなストレスや無力感を呼び起こしました。私は以前に、ニートやひきこもりは「自分が納得していない社会に適応を迫られ」その現状に対する“静かな反乱”という側面があると言ったことがあります(「ニート(若者無業者)に向きあう」2004年11月2日しんぶん赤旗)。

今回の「11月アンケート」の回答を読みながら、この面を考えざるをえません。言いかえますと、ひきこもり経験により生活面に困難を抱えた人には、その社会的対応の大幅な改善を求める一方、社会的ストレスの結果、ひきこもりという対応をしたことを積極的肯定的に受けとめようとするものです

2021年に『ひきこもり国語辞典』を発行した後、ひきこもり発生の社会的歴史的背景を考え、とくに1960~70年代の高度経済成長期の社会の変化が影響していると主張してきました。それをいくつかの面から解明を試みてきました。それをさらに広げて——というよりもより通俗的に知られている事情から説明し直してみよう考えています。

主に高度経済成長期の後に生まれた子ども達には、旧来の習慣ともいえる、しかも当時のさし迫った社会事情による「よい学業成績、よい学校、よい会社」とか、人に迷惑をかけない、よく働き、正しい行動をする、女性に対する良妻賢母の教え…といった旧態然とした道徳律の包囲網がつくられました。これは極端な表現ではありますが、生真面目で感性ゆたかな子どもにはとりわけ効果があったと思われます。そのなかに不登校やひきこもりの人たちが一定の割合で生まれた、と推測できるのです。 そうすると不登校やひきこもりは、不当な包囲に対する抵抗、すなわち静かな反乱という姿が見えてくるのではないですか。「11月アンケート」の回答の中途まとめをしながら、一人ひとりの相談のなかでこの考えをどう返していくのかを考えています。とはいえ自身のひきこもりで悪戦苦闘していない人もいて、わりと静かにすごしているわけで、そういう人たちはたぶん“反乱”の気分は少ないでしょう(?) ここも考えどころです。

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