自己実現の時代と仕事づくり

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高年齢引きこもりへの対応(その4)   「働くことが自己実現としての働くことにならざるをえない時代の変化を迎えている」という(その2)で「別に述べる」とした点にも触れておきます。
私たちは社会の大きな変化の時代に生きています。その変化に伴ういろいろな波を大きく受けるのは子ども・若者たちです。そして子どもたちはその変化をいち早く察知し、独特で極端な形で表現します。1980年代から顕著になった子どもの不登校をその視点かえらとらえなおすのが必要になったというのが、私の確信でもあります。
当初は登校拒否といわれたこの現象は、子どもの逸脱行為の一種とされ、また精神心理的な対応が主流とされたものです。やがていくぶんオーバーな反応でしたが「だれにでも起きうるもの」にされ徐々に変化しました。それを否定的な現象とする理解は今でも主流であるとは思いますが、それだけではないことがはっきりしました。
子どもの不登校のおかげで問題が析出され、改善されたものはいろいろにあります。たとえば家族関係の不自然さに気づいた人がいます。子どものいじめや人間関係のゆがみが表面化したこともあります。精神科医療もだんだんと問題点が浮かび上がっているように思います。何よりも学校と教育制度に与えた影響は大きなものです。従来の学校・教育制度と並行する形で、フリースクールとその官制版の適応指導教室が全国に普及しました。通信制高校とサポート校が広がり、学習塾を巻き込んでいまなお激変といえる状態です。これらの変化は、社会の土台が以前と同じなかで進んできたものでそのぶん不十分です。
しかし、子ども世界に生じた不登校が、社会全体の本物の変革の前ぶれであるとすれば、それに続いて本物の社会の変革はまもなくやってくると考えて当然ではないでしょうか。
社会全体の本物の変化がどこに進もうとしているのか。それは日常生活に徐々に広がり、いずれ政治的・制度的な変化として急に目の前に現われるのかもしれません。インターネットの普及と情報社会の到来は、日常生活に大きな変化をもたらしていますし、まだその変化は進行途上です。その変化は「パソコンの好きな子どもたちの熱中時代」をはるかに超えていますが、国民の半数が実感するところまでは届いていないようです。
ここで生まれる国民意識の変化は、人間の等質性に基づく平準な関係が、社会の情報伝達という技術的な基礎を条件にして達成されることです。法律その他の手段では抑制できなくなるのです。もう一つは若者世代には「自己実現」の願望が身体の一部として形成されるだろうと見込まれます。他にもいろいろな精神的、意識的な変化が表われると思いますが、少なくともこのあたりは想定できます。
引きこもりという若者と子どもに現われる現象(少し異なる意味では高齢者にも広がっているようですが)は、この社会の変動との関係を意識して評価し、対応していくことになるはずです。ごく端的な例で言えば、引きこもり経験者の就業は就職にウェイトを置いたものではなく、自由業的なもの、それに結びついた仕事づくり的なものが相当の役割を持つだろうと予測しないわけにはいきません。それは引きこもりの青年に限られたことではなく、若い世代全体に表われるものです。社会的企業(ソーシャルビジネス)の誕生が広がりつつあるのはそれに対応しています。一過性のブームとは思えないのです。
今回のテーマに関しては、3月21日の「若者の適応ではなく企業の変化が必要」、3月28日の「等質の人間関係になる情報社会」でその時代が推移する背景を書きました。直接的には2月21日「自己実現の病(?)を考える」のなかで、諸星ノアさんの実例を長く引用して述べたところです。それぞれを参照してください。

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