信頼感ができると次に進める

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高年齢引きこもりへの対応(その6)  信頼感の確認、その証拠となるものは、当事者の抱える苦悩、いやな経験、重大な失敗を話してくるようになったときです。
当事者とっての重大なこととは、十代くらいまでの場合は、例えば家族間のきらいなところ、自分をいじめていた同級生のことなどです。しかし、20代後半以上になると事態は複雑になることが多いようです。いじめとか家族間の問題に加わって、二次的に積み重なったことが絡んできます。
高年齢になるとそういう話は、とくに男性の場合は基本的には話さないものです。成人の引きこもりとの信頼関係づくりが難しいのはこの点にも関係します。子ども時代のこともあるけれども、いまさらそれを口にするのも大人気ない、気恥ずかしくなるので話さないのです。
比較的出てくるのは、親が高齢化しているのに、自分の将来がぜんぜん描けないことです。こういう話ができるようになるのが目標です。十代でも30代以上でも高年齢化をしていても、自分の持っている精神的な不安がどこから来るのかを話せるのは、信頼感の確認となるものです。それでも男性に多く見られることですが、何らかの自分なりの将来像が浮かんでくるまでは話さない傾向があります。女性の場合は、思ったことを言葉にしやすいのですが、男性はこうはいきません。
この将来不安を話してくるようになれば、一つの達成であり、急がないようにして次の課題に進みます。

この状態になかなかすすまず、こう着状態になることは少なくはありません。訪問活動に停滞を感じるときです。こう思えるときは当事者のタイプ、おかれた状態によりますが、次のような場合です。
①訪問者に付き合ってくれる、話に合わせてくれているときです。②家族の環境において当事者が訪問を受け入れざるを得なくなっているときがあります。こういうときは、少なくとも私の場合はまだどうにもならないと思います。
③難しいのは不機嫌さを示しているときです。そういう場合は、訪問自体の手順や条件に戻って考えることもありました。また本人に葛藤があり、訪問自体は拒否してはいないが、訪問者に申し訳ない、家族に申し訳ないという気持ちが先行していることもあります。自分でももどかしいけれども、何をどうすればいいのかわからないときもあります。家族と共依存的な関係があり、それに葛藤する女性もいたと思います。
また一般に、当事者が動き始めるときの状態は、反発や不機嫌、斜に構えた言動が出やすいと感じています。ですから不機嫌なときは、短絡的に「訪問活動をやめた方がいい」とは思わないし、やめるにしてもその後の様子を知るようにしたいところです。

訪問サポート代表の藤原宏美さんと高年齢の引きこもりの人への訪問活動を振りかえり話す機会がありました。訪問が長期に及ぶ場合にはいろいろな状況が生まれます。すぐにこれという成果はなかなか見えないものです。それでも数人の実例から判断して、変化が見えないような時期が続いても訪問は続けた方がいいことは確認できます。3年、5年をへてようやく動きが出る場合があるからです。
訪問を継続する・やめる決め手は当事者の気持ちだけではなく、家族の判断と思えることもあります。家族の判断でやめる事態はなくしたいところです。私自身の判断でやめたこともありますがよくなかったようです。
私の場合は、引きこもる人との年齢差が大きいです。年齢差が30歳以上のことも珍しくはないのです。
当事者にとっては楽な面はあると思いますが、逆に刺激を受けることも薄いのではないかと危惧しています。ゲーム経験がないのは致命的かもしれません。情報センターでできそうな提案を持っていくことが多くなります。それを本人の関心に組み合わせるところが大変なわけですが、ここら当たりは未解決というのが正直なところでしょう。

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