同郷の人の集まる会に参加しました(23日)。
30名ほどが集まり、小学校・中学校の同級生3名(Aくん、Bさん、Cさん)がいました。
話しているうちに不思議なほど子ども時代のことが思い浮かんできました。記憶が自然に掘り起こされていく感じです。
子ども時代にはどのように見られていたのかを聞くことができました。クラス内でいじめがあり、誰かが攻撃目標にされることがありました。クラス内では力関係からいじめる側につきやすかったのです。Aくんが話しはじめてすぐに「タケミはそういうのに入らなかった」と言いました。彼もあるとき攻撃目標にされたことがあったのです。
Bさんは「PTAの会長の子どもだからかなあと思うこともあった」といいます。私が小学生のころ、父が中学校のPTAの会長をしていたことがありました。私は攻撃目標にされたことはなかったのですが、いじめる側についたこともなかったからです。その事情をこのように見ていたというのです。Bさんの見方は意外でした。
いじめを受けていたAくんは、いじめの中心にいたDくん(この会には参加していない)と私の家が近かったことも「関係すると思った」といいます。
Cさんはいじめる側にいる人に対して「どうしてそんなことをするの」と抗議したことがあるといいました。これは初めて知ったことです。A君が評するに「Cさんは目立たないおとなしい感じ」だったので、Cさんの別の一面を見た気がしました。
Dくんにたいして私は怖さのようなものをそれほど感じてはいませんでしたが、3人の思い出話がそこに向いたことは、子ども時代の強い記憶だったのです。Cさんが抗議したという話を聞いて、自分のぼんやりぶりを気付かされました。
この話はすぐに終わり話題は変わってしまったのですが、後になっていろいろと考えました。
私が感じていた以上に子ども時代のクラスの状況は大変であったと思うしかありません。
Dくんがなぜ私を攻撃のターゲットにしなかったのか。何かのときに「ぼくはそういうのには入らないから」と断った記憶があります。どういう場面であったのかはどうしても思い出せません。そう言ったことが大きかったと思いますが…。
Dくんは、社会科を得意としていて、それで私をライバル視していたかもしれません。5年生の社会科授業で市場町の例としで私が「出雲です」と答えたとき、Dくんがお株を奪われたような反応を示したことがあります。ですがそれで仕返しをされることはなく、あとは協調に向かったのかもしれません(?)。
中学3年のとき私は野球部のキャプテンになり、クラス委員長になり、生徒会長に押されました。私はいつもそういうポジションのおかれるのがイヤでした。そういう動きの背後にはDくんがいたことが多いです。グループに入るのを避けている私はDくんの影響の及ばない女子や他の人の賛同も得やすくこういうDくんの動きは同調を得やすかったのでしょう。Dくんにとっても御しやすく何らかの利用価値を認めていたと思い当たります。
私がのちになって「超然としている」ところがあるのを、アスペルガー気質の一つの特徴といわれて、そうか私はアスペルガー気質だったのかと気づいたことがあります。そのようなものと考えていたのですが、もっと違う面があったのかもしれません。
たぶんDくんが無茶なことをしたとき、私は味方にはならないにしても敵にもならないと手の内に読まれていたというか…。いまさら何を思ってもすべては大昔のことですが、Cさんはなかなかのものでした。当時のCさんにならいたいです。
これに関連する子ども時代のことは何度か書いています。
①「五十田猛:論文とエッセイ」のうち、
Center:2007年10月ー情緒的な友人関係を得ず、公平な人間関係にすすむ(前編)
Center:2007年11月ー情緒的な友人関係を得ず、公平な人間関係にすすむ(後編)
Center:2007年12月ーよくわからないから、公平な基準を持ち込もうとした?
②松田武己>「カテゴリ:ザインタビューズ1(松田武己個人1)」
他にもあるかもしれませんが、このあたりがさしあたり参考になります。