ネットによる引きこもりとの接点はすでにある

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「最近やり始めたことで、これでいいのか心配なことがあります」とNくんが話し始めました。Nくんが始めたのは、ニコニコ動画(ニコ動)、ツイキャスと似ていて、スマートフォンを使い自分の姿を映しながら話していくタイプです。これにどういう名称がついているのかは知りませんが、ここでは勝手に「ライブ動画型交流サイト」と呼ぶことにします。
数日前から始めて既に十人を超える人が見るようになりました。見ている人は見ながらコメントを返し、それが画像に文字表示されていきます。長いときは10時間ぐらいそれをしたそうです。
独りでいると孤独感に陥るけれども、これをしていると見ている人からの反応がある。反応には「大丈夫?」という人から「ウツじゃないでしょう」とか、その一方で何のコメントもよこさない人といろいろでそれもまた発見です。これにはまって抜け出せなくなるのではないかというのが心配です。
「ライブ動画型交流サイト」を一段落したところでは、生身の声ではなく反応のコメントが文字だったので空しくなります。ここが基本的な心配ですが、他にも姿勢が固まってからだに悪いのではないか、目にも悪いのではないか、生活リズムが崩れ、確立しないのではないか…というあたりです。

私は、Nくんの心配に答えるよりも、まずどういう状況になるのかをよく聞きたいと思いました。長期に引きこもり外の人とつながりのない人とつながる手段にパソコン(インターネット)を使う方法に可能性があると書いたばかりです(12月7日の“文通ボランティア”の記事)。
Nくんの話は一部かもしれませんが、インターネットを使い引きこもっている人とつながりをつける形は始まっているのです。そのほとんどは自然発生的で、目的意識的なものはないのでしょう。Nくんの話では引きこもり的と思える人は少なからずいそうです。上から目線の指示的なものは弱そうです。
この状態でなら、引きこもっている人たちに親和感を持って参入できる方法はあるかも知れません。Nくんの心配とは別に有効性があると確信できます。1つの可能性を感じました。
Nくんの心配レベルの問題はあります。生活のなかでのバランスがとれるかどうかです。時間を決めてするのは結論的には間違いではないですが、個人の置かれた状態を放置したまま時間制限を決めても守れるものではありません。人間はそれほど意識的には生活できないのです。
「ライブ動画型交流サイト」にも段階というか種類がありそうなので調べる必要があります。「ライブ動画型交流サイト」のなかの対人コミュニケーションの要素によっては、終了後に空しさというか空虚さを超えるタイプもありませんか。そうなら自然な流れとして対人コミュニケーションにつながるかもしれません。
とはいえ、これは根拠不十分な楽観論です。もっと実態を見なくてはならないでしょう。それに即して意識的に活用すれば可能性は伸びてくると思います。
(ライブ動画型交流サイト―3の1 つづく)

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