古民家でのフューチャーセッション「ひきこもり新聞」に参加

けやきの森・季楽堂は練馬区早宮にある古民家です。12月のフューチャーセッション庵はここで開かれました。総勢百人を超える人がここに入りました。
私は「ひきこもり新聞編集部公開版」の席に座りました。参加者は20名以上、入れ替わりを含めると30名ぐらいになるでしょうか。
11月1日に第1号が発行され、その現実に立ったところでの意見が出やすかったと思います。予想以上に活発だと思います。
すでに編集部あてにいろいろな意見や投稿も寄せられているようです。家事手伝いとひきこもりの区分け、ひきこもりとニートの区分けなどよくありそうな意見も出ます。ひきこもりの当事者・経験者らしい生活実感が多く語られました。
問題はどれくらいの販売ができるかにかかっていると思いますが、それよりも参加各人が、身の回りの取り上げる問題を集めようとしているのがいい印象です。

アドバイスよりも話をよく聞くことです

Tnくんから電話です。声が詰まって話しづらいようです。過呼吸かな、と思いました。「いま医者に電話をしたところです。結果はわかっているのですが今回は苦しくて…」といいます。
ひきこもって苦しくなると追い込まれ感が高まり、呼吸が苦しくなる人がいます。Tnくんはこれまでもそういう経験があり、そのつど医師に電話をしてきたのです。しかし、薬を取りに来れるか? 少し薬を増やしてみよう、という対応をされてきました。
薬でしか対応しない医師、薬を増やすことしかしない医師を代えてようやく今は「薬を増やさない医師」に巡り合いました。
Tnくんは「薬の問題ではない」といいます。確かにこうしてゆっくり話を聞いていると呼吸は落ち着きます。薬以外の対応で治まることもあるのです。

Nyくんは、追い込まれた気持ちになると数人に電話をします。私もその数人の1人になっているようです。短時間に相手を代えて話していくうちに徐々に落ち着いていくといいます。
ほかにメールを送ってくる人もいます。話しをするとなると私の時間をとるのでメールに書いて送ってくるのです。メールを受け取ってすぐに読めるタイミングではありませんが、私は必ず読みます。
聞く側にとってはさざ波のような動きでも、当人には土用波のような暴圧かもしれません。話すことで落ち着けば安心です。よく聞いていればこちらも学ぶことは多くあります。求められていないときにアドバイスするのはいい結果にはならないようです。

「やることがなく、自主的にゴミ拾いを始めた」

先日の「働きづらさを話す会」に参加した入江くんが、手記を書いてきました。「ボランティアと私」というタイトルがついています。
このなかで、「とにかくやることがなかった。人に気を遣わずに役に立てることを探した。そして、自主的にゴミ拾いを始めた」というところに何か感じることがあります。それで本人の付けたタイトルとは別に、私は「やることがなく、自主的にゴミ拾いを始めた」というサブタイトルを付けました。どうか読んでみてください。

〔ボランティアと私〕
http://www.futoko.info/…/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%…

仕事の長さが短縮されると趣味との壁が低くなる

次が就業時間の長さに関係します。
ひきこもりから動き出し始めたばかりの人には、いきなり働くこと自体はお勧めではありません。もちろん一般論の範囲で例外はありますが…。
まずは外の空気というか、世の中の空気を、人の醸し出す雰囲気に慣れる期間が必要です。そのあとで短時間の仕事らしいものに取り組むのがお勧めです。といっても世の中にはそれにうまく適合する条件の場はできていないのも確かです。
居場所とかカフェなどの受け入れてくれそうな場を探さなくてはなりません。この探す過程こそが重要で、能率よくそういう場所がセットされていると期待すると、期待疲れになります。なかなか見つからないと思い、ゆっくり世の中をうろついてください。世の中の空気にこころとからだを慣らしていく時間です。大事な時間です。
こういう経過をたどって安定期に入った場合を見て感じることです。長期のひきこもりを経験している人には少なくとも週3日か週4日の就労が分かれ目になる人が多いように思います。
いろいろと飛ばしますが、そういう短時間で働ける条件を見つけましょう。ここでもう1点、続けたいことがあります。
私が18歳で働き始めたときは週6日が標準の就業日数でした。土曜日は半日就労で、実際は午後1時の退社が多かったと思います。現在は週5日が基準ですが、将来はさらに短く週3日とか週4日に向かうでしょう。
しかし、そういう時間のレベルとは違う質的な変化が生まれます。ひきこもり経験者は、意図しないままここを準備したのです。それは、仕事と趣味(あるいは遊び)の壁を低くしました。既にそういう人は世の中に多数いるはずです。趣味が仕事というか収入源になります。仕事をしている感覚はないのに生活自体が仕事のようになる人もいると思います。
仕事時間は苦痛であっても、それ以外の趣味の時間は何ら苦痛でなくなります。仕事以外は休息ではなく、趣味の時間が多くを占めるのです。
遠い将来に人の多くは苦役としての労働から解放されるでしょう。それにはAI(人工脳)の発展とともに、このような仕事と趣味の壁がなくなることが関係していると私は考えています。ひきこもりはそのあたりまで考える要素を提供してくれます。

外出の先になにがあるのか 〔独白調〕

2016年11月13日「大人の引きこもりを考える教室」(親の会)のテキスト

家から外に出たい気持ちは強いです。しかし、出ようとすると恐怖心がわき起こります。外出の準備をする、玄関に行く、ここまではできます。玄関先で家の周りの様子を探ります。近所の人の声がするかどうかです。玄関のドアを少し開けてみます。外に人影があるとどうしようかと迷います(この時はあきらめていいのです)。誰もいないと確認できれば大急ぎで飛び出し家から離れます。ここが最初の難関です。誰かに出会うとパニックです(家に戻るか脱兎のごとく離れるかで対応)。
家から出てどこに行くのでしょうか。これという行き先がないと外出は繰り返せません。行き先探しが大事になります。自分の場合はある公園です。人はあまり多くはなく静かなところでトイレがあります(使えるトイレがあるのは大事な要件です)。
他の人の例では、「図書館、書店(書店は減ってきています)、コンビニなど、少しは人の気配を感じながら、人とのコミュニケーションをとらなくてもいい場所」が多いようです。しかし、そういう場所はやがて不十分感がでます。
必要なのは“人”です。行きやすい“人のいる場所”ができると、外出しやすくなります。自分を受け入れられる感じがするところです。あまり話さない自分、静かにしている自分が認められる場所です。これがなかなか見つけられず苦労をします。
最近はカフェがはやりですが、混雑は苦手で行きたくはありません。単純にボーっとその空間を味わいたいのですが、不自然に思われるので本をもって行ったりします(本に集中できるわけでもありません=個人差あり?)。
これは「周囲に人がいる状態で人に影響されないでいられる練習」をしているのです。とにかく人がいると、特に顔を知っている人がいるとその人を気にして落ち着きません。これが他の人に影響されている自分です。その状態から抜け出さないと何もできそうにないのです。
自分のなかにこれというものがないので、周囲に自分を引き付けるものがないのかと探している自分の反応です(自分探しの自分)。もしごく単純な手作業があるとそれを繰り返しているだけでいいので楽にその場におれます。ただし、そういう場にうまく出会うことはほとんどありません。
そういう場所が見つかれば行き先にできます。それにより生活にリズムができると思います(毎日でなくても週単位や月単位)。家の外に行き先があるから外出が繰り返せるのです。そうでなければすべてを家の中で自分の意思で律して暮らすという芸当をしなくてはなりません。そんな芸当を数年も続けてきました。
手芸や工芸などの創作活動はそれができます。やっている人はいます。それを一人の状態で続けられるときはいいのですが、自分は「人のなかにいられる」ことも求めているのでその状態をズーッと続けることができません。
何かこれという興味・関心があり、それにより人とつながればいいと思うのですが興味・関心がまるで見つかりません。人に話すと「何でもいいから」という答えが返ってきますが、「その何でもの何って、何ですか」と聞き返したくなります。しかし問い返す気にもなりません。答えは自分のなかにあるのでしょう。B.ディランさんなら「答えは風のなかに舞っている」とでもいうのでしょうか。
振り返ると子どものころから、自分の興味・関心を自分で消してきた歴史です。遊びよりも勉強がいいと言われてきました。一人でいるのが好きだったので無理をして遊びを避けていたのではありません。だから一人が好きで友達がいないのを誰かのせいにするつもりはありません。
だけど勉強したからと言って自分の興味・関心には結びつかないのです。いまさら遊びが大事と言われても手遅れ感があります。
それに対しては、経験することでしかわからない、経験を重ねなさいという答えが返ってきました。勉強も経験の一つですが、この場合は自分のからだを動かし、人と接触し、自分の頭を使うという形の経験です。
子ども時代なら遊びですが、20代や30代になるとそう単純ではありません。最近はなるべく映画や美術館などにかぎらず、集会的な普通の人が話をしている場に行きます。もし自分にも話せそうなら話しても不自然ではない場所に出かけてみようと考えて、行動しています。高い壁がありますが少しずつの試みです。それでも家から外に出る一瞬のドキドキ感はまだ残っています。
もう周りの人間は就職とか仕事に就く話を勧めなくなりました。さしあたりは楽になっています。しかしそれに代わるものが必要でしょうが、それが何なのかはわかりません。いまのところはリズムのある生活を確立することが目標です。その生活が充実すれば自分が理解でき、人との関係ができるかもしれません。その先に友人的な人ができるかもしれません。
そういう人との関係のなかで自分がわかるのではないでしょうか。勉強しても私にはそれは抽象的なレベルにとどまり、本物の自分は理解できません。生きた人間と接触しコミュニケーションをとれることが自分にはリアルな世界です。いえ、そこはあまりにもリアルすぎる世界でまだそこに入っていくかどうかを戸惑っているのが現状です。そのあたりをわかってください。

フューチャーセッションIORIの準備会に参加

「業界新聞から地道な宝探しをする人を募集」(4日)と書いた「ひきこもり・不登校の周辺ニュース」記事を探す企画を、「ひきこもりニュース通信員」の案内文にまとめてある会合に出かけました(7日)。この集まりはフューチャーセッションIORIの準備会(正式名は忘れました)。話してみてこの提案は取り下げました。
教えられることは多くありました。2点だけを書きましょう。
提案したのは、次回12月のIORIで設定するテーブルテーマ(分科会)の候補です。テーブルテーマは基本的に参加者がフランクに話し合えるものがいいわけです。「ひきこもりニュース通信員」はそれには該当しません。企画内容の変更はあるとしても、説明会的にならざるをえないからです。提案としては一歩引いて、「ニュースが好きな人がニュースの読み方・集め方を話し合う」…それがテーマとして落ち着くかどうかは別ですが、そんな感じになるでしょう。
この日決まったテーマは、「生活リズムがメチャクチャ」「ドリームアップ」「発達障害・発達紹介」などです。以前からある「はじめてのIORI」も続きます。
フューチャーセッションIORIが強力に存続しているのは、このようなテーマ設定、それを支えるテーブルオーナー(だいたいが発案者)、ファシリテータ―(司会役?)などがそろっている、などによると思います。
もう1点は、不登校情報センターの居場所との対比です。以前は多数の人が集まっていました。10年以上も前の状況ですがこのような下準備はなく、恒常的なスタッフはおらず、当事者は毎日集まっていました。そういうなかで自然成長的に仲間グループ、サークル、パソコン同好グループが生まれました。パソコングループに提案して学校・支援団体を紹介するサイト作業が始まったのです。いくつかの変遷があって今日の居場所ワークになりました。
フューチャーセッションIORIもおそらく独自の変遷をたどるでしょう。それは必ずしも仕事的なものとは限らず、社会運動的なもの、生活共同体的なものかもしれません。いろいろな団体が行き通うプラットホームかもしれません。方向はどうであっても、不登校情報センターがたどった経過とは違い、それぞれの時期に集団的に検討されていくものと予測できます。注目に値すると思いました。

業界新聞から地道な宝探しをする人を募集

業界紙を調べ「ひきこもり・不登校の周辺ニュース」に取り入れたい記事を探しています。
レアものを探す粘りのいる作業で、宝物探しの雰囲気があります。たしかに“見つけた!”という発見感があります。「あなたにだけコッソリお教えします」と言いながら大っぴらに宣伝しているうさんくさいのとは違って、本物のコッソリ感があるかもしれません。
いくつか紹介しますと……。
障害者のアートの才能生かしたブランドをめざすファッション界の動き〔繊研新聞〕。
戸建住宅の地盤調査・補強工事会社が「小学校に出前授業、どろだんご通じ土の魅力伝える」〔住宅産業新聞〕。
富士フイルムが「睡眠とお肌同時にサポート」という話〔健康産業流通新聞〕。
業界紙から得られる情報は貴重です。大手新聞やテレビで宣伝されるものには目を向けない人も、意外と引き付けられそうです。
こういう地道な宝探しをする人を募集します。それが「ひきこもり周辺ニュース集めメンバー募集」の説明会です。関心のあるひきこもり経験のある人は参加してください。11月10日(木)午後1時から2時間程度です。
場所は不登校情報センター(JR総武線・平井駅、南口5分).
連絡はTEL:03-5875-3730、メール:open@futoko.info

当事者による「働きづらさを語る会」をします

「働くこと・働かないこと」をテーマとするひきこもり経験者の集まりに出席しました。この日は20名が参加ですが、どうやらテーマにひかれるものがあったのか、これでも参加者は多い方とのことでした。
ひきこもり経験者とはいえ、働いている人もいます。そこでの体験というか苦心というか、苦しいながらも粘っている様子が話されました。
「絶望的に能力が低い」と“自白した”一人の言葉が、何か新鮮でいさぎよくて、これは捨てたもんじゃないとの思いに至りました。

不登校情報センターの場合も、この集まりと似たような時期があり、多数の人が集まった時期がありました。それがあるときを境に急激に減り、不登校情報センターはその時期から本当の居場所づくりが始まりました。その結果、パソコン作業による「ワークのある居場所」にたどり着きました。この日の集まりとはかなり様相の違う居場所になったわけです。
参加してこの手の話し合う居場所もいいなと思いました。1~2か月の間隔があって、場所は借りている公共施設という前提条件に背景の違いがあります。そのうえで何がいいのか考えたのですが、たぶん「生きづらさ」ではなく「働きづらさ」がテーマになったことです。
ひきこもりにたいしては働くこと、就労やアルバイトを勧められています。ひきこもりにとって、それは肯定的な前進ではなく、苦界への参入の面があると示してくれたわけです。苦界に入って生き続けられる力をつけるのがいいのではなく、苦界になっている社会状況を変えなくてはならないと言外に語ったと思います。
ひきこもりがこの社会条件のなかで生まれたのは偶然ではありません。以前にある人を継続的に訪ねていた時期に感じたことです。静かに世の中を観察する人でした。まるで嵐の荒海をさけて港に停泊している船のようです。
彼のひきこもり生活はこの苦界を深く見通しているから選ばれたのです。ひきこもりは苦界参入をさける予防措置のように見えました。
行動的でなければ社会は変わらないと言います。けれどもこれだけ大きな動かないグループが社会に存在する異常は、社会はスムーズに立ち行かない様相を呈しています。動かないことの強さもなかなか侮れないものです。
11月13日の「大人の引きこもりを考える教室」の後、3時半
ごろから、当事者による「働きづらさを語る会」をします。

「ひきこもり生活を楽に楽しくする知恵と情報」を話す場

Sくんが来てひきこもリ経験者が4名が短い時間に連続して発表する「ひきこもりQOL向上・私の提案」で発表すると言ってきました。
11月6日(日)の午後「ひきこもり生活を楽に楽しくする知恵と情報を出し合おう!」です。
QOLの例は、趣味(ゲーム等)、散髪、服装、虫歯、体力、栄養、お金、買い物、手続きなどです。仕事や社会参加の前に日常生活の課題を具体的に考えようというものです。
全体発表の後は4名の発表テーマについて話し合います。
会場は横浜、桜木町の市教育会館。

感覚が鋭く育てづらい子は信頼してかわいがってください

このブログ10月16日付「感覚の鋭さや感度のよさが不登校の基本的な背景です」の続きです。次のように書いたところです。
<感覚の鋭さや感度のよさという言葉に隣にいたお母さんがちょっと反応して、「うちの子もそうでした。小さなころお医者さんからこの子の子育ては大変になるかもしれない」と言われたのです。
別のお母さんも「うちは保育園のころ同じようなことを言われました。でもそれって親はどうしたらいいのかはわからないのですよね」と続けます。>
幼児期に子育てが難しいと言われました。なぜ難しいのかは聞いた人も聞かない人もいたようです。なぜ難しいかの理由は「子どもの感覚が鋭く感度がいいのでいろいろなことによく反応する」ためです。それは細かなことに心を動かしやすいとも言えますし、それに疲れ果てて無反応状態になりやすいためでもあります。この点はここまでにします。
「親はどうしたらいいのかわからない」というのが主な点です。
幼児期の子どもであれば、子どもを信頼してかわいがることでしょう。特別にあれこれ細かく教えることはいりません。いろいろなことを感じる、それは子どもにとって避けられません。「気にしなくていい」と言われた人がいます。それはそういう感度を持たない人かそういう時期を自分なりに乗り越えてきた人のように思います。
感度がいい人には、感度が普通であるとか感度の低い人の状態はわかりません。比べようがないので自分が普通であると思うだけです。「気にしなくていい」を真に受けて気にしなかったために裏目に出た人もいます。そういう他の人の感度で自分の受けとめ方の尺度を決めるやり方は上手くいきません。
親にもそれらは判断しづらいことです。いろいろあっても子どもを信頼して感じたことには子どもなりの理由があります。それを信じて肯定することです。幼児であれば「そうだね」「~ちゃんはよくわかるね」と肯定してあげるのがいいのです。
子どもが学齢期になる、思春期になる、20代になる…年相応の対処はありますが、対応の基本は同じです。子どもを信頼して、尊重すること、話を聞く機会があればできるだけよく聞くことです。不登校や引きこもりを経験した子どもには感覚の鋭さや感度のいいことが背景理由にあることが多いのです。
親にできることは、子どもに代わって子どもの進路を探すことではありません。情報の提供はしてもいいし、相談的なことには答えるのがいいと思います。それを超えて子どもがすることを子どもに代わってしないことです。そうした場合はある時点で「自分が選んだことではない」ということを言われます。
「でもあの時は同意していた」と言う方もいますが、そのときは「Noと言えなかった」とか、その時点での押しつけに子どもは逆らえなかった証拠でしかありません。この面もいろいろありますが、ここで止めます。
もう一つの面もあります。ある程度成長した子ども側はどうするのかの点です。「本人はどうしたらいいのか」もよく聞かれたことです。
自分という人間、感覚の精度が高い自分をよく理解することです。そして「自分で自分を育てる」ことです。この2つの面を並行して進めることです。この点もまたいずれ話す機会があるでしょう。