障害者の就業相談に同行しようとして

ある人(I さんとします)に同行して障害者の就業支援の相談に行くことになりました。
I さんは面識のある人で、ときどき電話で連絡をもらいます。うまく生活管理をできないところがあるのでしょうか、障害者年金の管理は親にしてもらっています。
親以外にこの相談に一緒に行ってもらえる人がいないようです。その親も今回の相談には期待が持てないと感じたのでしょうか、「ウィークデイで休めない、勝手にしなさい」的な返事しかもらえません。
いろいろ電話で話を聞いていたのですが、どうしたいのか迷っているようで様子がよくつかめません。ここはしばらく様子を見る方法も考えました。その一方で具体的に就業支援の相談に行くと言っているのです。他に一緒に行く人がいないと行けそうもありません。ここは私が同行するしかないと、同行を決めました。

大昔のことですが教育書の編集者をしていたころ、尊敬できる教師から“問題児とされる生徒から学んだものが私の宝です”と聞いて、強く印象に残っています。
私が不登校情報センターで相談活動をしてみると、この言葉の通りです。深刻さを感じる、難しいと思う相談こそ大事なのです。今回もそういうものと考えたわけです。

その日が近づいたところでまた電話連絡がありました。I さんは私の交通費を出すと父親に相談したのです。
そうしたら父親は「トラブルのもとになるのでそれでいいのか確かめたら」と答えたのです。それで私に確かめる連絡をしてきたのです。
I さん「交通費を渡したいのですが」
私「ありがとう。交通費はあれば嬉しいけれども、なくても大丈夫だから」
………これを父親に伝えています………
I さん「父が、いまどきそんな優しい人がいるわけがないと言っている…」
私「特別に優しい人じゃない、と言ってくれ。交通費はたいした額じゃないから」
I さん「父と話してもらえますか」
私「話すのにいい機会なのでそうしよう」
………
I さん「父は電話に出たくないと言っています。松田さんがよくわからないので自分が一緒に行くと言っています」
私「結果オーライでよかったね。お父さんによろしく」
ホッとした面よりも、お父さんと話ができなかったのが残念に思う面が強い結果です。
障害者の就業支援への相談は中途の1つであり、これからの道のりには家族の協力が不可欠だからです。それでも一歩前進でしょう。

相談室とサポステの案内物を以前の相談者に送る

1月31日、一つの実験的な試みをしました。
葛飾区と江戸川区に在住の相談者など200名あまりに、8つの相談室と2つのサポートステーションの案内を送りました。
これらの相談者は20代、30代が中心で10代から40代に広がる不登校経験者、ひきこもり経験者と家族です。以前はフリースクールやサポート校などの案内を送っていたこともありますが、全般に年齢が上がっています。そこで同封する案内物を変えてみたのです。送付するまでは上手くできました。成否は今後の様子にかかっています。
送付作業を終えた時点で協力いただいた団体へのお礼とお願いの連絡の要点です。

(1)受けとった方から何らかの問合せ等がありましたら、ご一報ください。
好意的でないものであってもお知らせいただけると、これからの参考になります。
* それを必要とする理由。
今回は全部で321名(不登校情報センターの会員を含む)に送りました。同時に会員外の相談者等で江戸川区と葛飾区に住んでいる方にも送りました。この会員外の方には恒常的なつながりはありません。そういう方がどういう状況にあるのかの一端を知る機会にしたいと思うからです。
手元にはこの2つの区以外に在住する相談者等の名簿が大量にあります。今回の取り組みが有効と考えられれば、他の区市町の方にも同じ趣旨の働きかけが可能になると考えられます。

(2)今回、この取り組みにご協力いただいた相談室やサポートステーションにとり、送付先の方とつながる機会にできれば、これからの紹介方法にできるかもしれません。
* 送っていただいたリーフレットの表紙は、不登校情報センターのHP内の相談室・サポートステーションの個別ページに掲載します。
* 日時・会場が指定されイベントの形の案内は「イベント紹介」ページに掲載します。

◎(1)項は相談者など当事者・家族に役立つことになります。(2)項は、支援者側に役立つことになります。両方を通して不登校情報センターは、支援団体の情報提供だけではなく、より直接的な仲介の役割をすることになります。これまでの相談者等の名簿を「個人情報を守りながら」活用する道ができます。

(3)案内書等送付に協力の相談室とサポートステーション(略)
* 送料および封筒代をほぼカバーできるカンパをいただきました。ありがとうございます。

理容師などの対人接触の専門職情報を集めます

引きこもっている当事者が行きやすい、または自宅に来てくれる「引きこもり」を理解しようとする眼鏡屋さんなどの専門職を紹介してください。

理容師・美容師、整体・接骨師、眼鏡屋、歯医者、往診する精神科医師など本人が行かなくてならない人(来てもらって直接に見てもらわなくてはならない専門的な人)。
これらが必要なときは、外出動機になることもありますが、それもままならないと困った事態になることがあるからです。
家庭教師以外にもカウンセラー、メンタルフレンドは自宅訪問していますが、これに準ずる役割になるかもしれません。
個人名(または屋号など)と連絡先:不登校情報センターから直接に連絡を取り、紹介していいのかどうか、紹介するとすればどのように紹介すればいいのかをお尋ねいたします。この方を紹介した人としてお名前を出させていただけるかどうかも書いてください。

この情報集めは、このような1回限りの呼びかけでは集まる見込みはありません。継続して呼びかける方法を検討中です。お知恵を拝借したいです。

「支援者・講師等プロフィール」ページ

不登校情報センター内のサイトには、「支援者・講師等プロフィール」というページがあります。
主に不登校・ひきこもり等の支援現場の人を紹介しています。
現在このページに紹介されているのは180名を超えたところです。
夏ごろから「メンタル相談」サイトの情報提供依頼にあわせて、カウンセラーさんなどの紹介もお願いしました。
その結果、ハイスピードで紹介者が増えています。
このペースでいきますと、年内には200名になるでしょう。
支援者はカウンセラーに限らずに多様な人を紹介していきたいです。
特別な「支援者の人名事典」のようになるのがいいと思います。
自選・他薦の候補者を教えてください。
所定用紙をお送りいたします。

悠々ホルンさんのプロフィールも掲載しました

悠々ホルンさんのトーク&ライブ(12月13日、葛飾区新小岩地区センター)を新聞社等にお知らせするプレスリリースをしました。
報道機関への案内の時期としては早いのですが、悠々ホルンさんのライブは10月、11月にもあります。また悠々ホルンさんの活動を全体として知っていただくようにしたいと思ったのでこの時期に第1回の案内です。
悠々ホルンさんからは自己紹介をいただきました。「支援者・援助者プロフィール」にも掲載しました。

指導、教育、対応の仕方を対象者の年代の違いから思う

20年以上前に教育雑誌の編集者をしていました。そのころに感じていたことです。
小学校の教師、特に低学年の担任はきわめて細かいです。子どもの状態を丁寧に織り込んで教えるなり引き出すなりの教育実践をします。
高校教師は、それに比べると教え方は大まかです。高校生は小学生と比べるとはるかに個人差があり、大まかとはいえ生徒の自己判断的な状態を織り込んでいますし、教える教材の深さを感じさせます。小学校教師は教育職をより強く感じさせ、高校教師は教材に関する研究職の要素が強くなります。中学教師は中間ですが高校教師に近いです。

さて、引きこもりの経験者たちが20代、30代となります。いまその人たちに対応していることになります。その対応の仕方は高校生よりもさらに様相が違ってきます。年齢が高くなるにしたがって人としての対等性が優先します。私は父親世代とだいたい同じ年齢です。私はもともと“指導”なるものは苦手でした。おあつらえ向きかもしれません。
壁をいかに低くするのかが大事であって “指導”は不用品になります。パソコンの使い方が典型的ですが、こちらが教えてもらう側になります。支援者のように振る舞うと、私のほうが壁を高く感じてしまいます。同時代に生きる共通の生活者くらいに思うとようやく釣り合いがとれそうです。

丸山康彦『不登校・ひきこもりが終わるとき』に思う

丸山康彦さんが『不登校・ひきこもりが終わるとき』(ライフサポート社)を出版し、献本してくれました。B6版336ページ、定価1600円(+税)です。
丸山さんと知り合いになったのは、かれこれ20年近く前になるはずです。しかし、2人の間でこれという突っ込んだ話をしたことはありません。なのに彼とときどき会い、私を知る人は似たところがあるといいます。たぶん、支援者と当事者を隔離しないスタンス、両者は(支援する側とされる側に溝を隔ててつながるのでなく)相互作用し相互交流する形でつながっていると考えるあたりに共通項があるのではないかと思います。
彼から贈られてきたこの本を読む気はしないです。これまで彼から送られてきた会報などを見てそう思うのです。具体的な表現はともかく、発想というかものの捉え方は似ていると思います。
たぶん丸山さんも同じように私の書いたものはあまり読まないような気がするのです。このあたりの事情は両方を知る人に確かめてもらいたいものです。私にとって丸山さんは何とも不思議な存在です。丸山さん、これからもボチボチ進みましょう。

カウンセリングルームからの問合せに答える

カウンセリングルームで相談を受けている方から連絡を受けました。やり取りの要点をお知らせします。ほかの支援者等からの連絡もお待ちしています。

「私は電話でそういった方々のお話し相手になったり、心理カウンセリングを行ったりするサービスをしており、お力になれるのではないかと思いご連絡いたしました。
私自身も過去に精神を患った経験があり、その際にいろいろな方に話を聞いてもらって救われたので、微力ながら今度は恩返しがしたいと思ってこのサービスを立ち上げました。多くの方に「話を聞いてもらうことで得られるパワー」を実感していただきたいと考えております」。

これに対する私のお答えです。
「あなたご自身もいろいろな方にお話しを聞いていただいて救われたというのが信用できるところです。不登校情報センターはあなたが思い浮かべる状況とは違う場所です。相談室というよりは居場所です。そこに来る人たちの生活全般を見、どうするのかを一緒の考えていく場です。不登校情報センターのサイト上に相談施設を紹介するページがありますのでそこに貴カウンセリングルームを紹介してはどうかと思います。所定の用紙がありますのでお送りします。掲載は無料です。ご検討ください」

この方のカウンセリングルームを紹介することになりました。

30代以上の引きこもり経験者が望む支援を媚びずに話す

3月9日、横浜で「青少年支援セミナー」が開かれました。主催は藤沢市のヒューマンスタジオ・丸山康彦さんです。
不登校情報センターに通所するSくんも発表者の1人として参加しました。I・Hくんも参加しました。当日の様子を2人から聞き、深く実感することがありました。
I・Hくんがメモを取っていたのでそれも参考に、実感することをまとめます。

井上陽水さんの歌に「傘がない」というのがあります。
♪ 都会では自殺する若者が増えている。…だけど問題は今日の雨、傘がない…♪
大きな問題が生まれている、それは知っている。しかし、自分にとってのさしあたりの問題は、雨が降っているのに傘がなくて外に出られないこと…というわけです。

引きこもりからの社会参加が求められている、この青少年支援セミナーには4、50名の引きこもっている子どもの親たちが、どうすれば自分の子どもは社会に出られるのかを聞きに来ています。世の引きこもり支援(とりわけ30代以上になった子どもの支援)というのはこれに応えようとしているわけです。
その場でSくんともう一人の発表した当事者Mくんが自分にとって必要としていることを話しました。自分が社会参加をするのには何が必要なのか? と参加している親たちは期待していたのかもしれません。少なくともどうすれば家から出られるようになるのか、人と接触できるようになるのかの実体験を…。
Sくんが話したこと=「いま受けたい支援は、仕事をするためのアドバンテージではなく、親も高齢化しているのでライフプランの知識、役所に行くときの同行者、役所でたらいまわしにされるのが怖い、“なんでそんなこと知らないんですか”と言われるのではないか。そういうことをわかりやすく教えてくれる人がほしい。お金の回り方から社会の構造、そういうことを教えてくれる人」。
Mくんが話したこと=「支援は“働く”という目標に向かっていくものがほとんどであまり受ける気がしない。髪を切りにいけない、話を聞かれるのがイヤ、ウソを言うのも苦しいが本当のことを言うのもイヤ。これからほしい支援は、親の相続、一人っ子なので相続税などの知識、冠婚葬祭は避けられないのでそれを指導してくれる人、平服とスーツはどう違う、ネクタイの締め方、フォーマルな靴とは何か…」

I・Hくんのメモから抜書きしたものです。I・Hくんは「親に媚びた話しではなく自分が本当に必要としていることを話していたのでよかった」という感想です。
私の感想も同じで、就業支援の前に日常生活に必要な支援を訴えているのだと思います。私は就業支援を否定するのではありません。しかし、当事者にとって自分にとっての問題は「傘がないこと」なのです。親や支援者の思いだけで行っても空振りになるしかないです。
10年以上前に就職支援から社会参加支援に言い換えてきたのですが、その意味するところは私が考えた以上の内容をもっていたことでした。内容が拡散したのではなく、真実に迫る面があったのです。これまで気づきませんでした。

自分の身を助ける側に置くことで自分を助ける道を開く

昨日いただいた手紙も文通ボランティアを希望する方からのものでした。文通ボランティア希望の方には、ご本人が引きこもりなどの何らかの当事者体験をしている方は少なくはありません。その文通ボランティアの希望者は10名を超えました。
困った事態と思うのは、自らがボランティア活動として困った人を助けようとしても、そのボランティアの助けを受けたいという人が現われないことです。相手がいないので試合が成り立たないようなものです。
事態を考え直さなくてはなりません。これは「困った事態」などではなく、健全な事態ではないかと。なぜでしょうか?

初めから支援を求める支援対象者がいるのでしょうか。確かにいますが少数です。他の分野はわかりませんが、引きこもりに関しては特徴的なことがあります。
多くの引きこもり状態の人は、支援を拒否します。成人の場合はほとんどがそうなります。少年期の人や精神障害の領域に入っている引きこもりの人にはいるように思います。それでも当事者から支援を求めるものは合計しても少数です。
家族から支援を求める人はいます。家族からの支援を求める声によって、支援活動は続いているといっていいでしょう。家族が支援を求め、家族と支援者のつながりによって引きこもり経験者が支援者とつながるのです。
成人引きこもりで自ら支援を求める行動に出るのも小数です。家族の関係で、家族にその可能性を感じられなくて、いわば家族の意に反して動いている人という印象を受けます。

こういう状態のときの当事者の動き方としては、自らを支援者の側に置くことではないでしょうか。
東京都知事選挙が行われています。候補者に向かって「がんばってください」と応援をしています。よく見かける応援のしかたです。考えてみると自分を応援する立場になる人に向かって「がんばってください」と言っているわけです。自らを支援する側に身を置いて、自分が支援を受ける状態をつくるタイプのものです。支援する側と支援を受ける側が反転しています。
ここでは私自身の例を追加するのがいいでしょう。私はいつの間にか「引きこもりの支援者」になっています。本当でしょうか? あえて否定することもないのですが、しかし不十分です。少なくとも私は「引きこもりの経験者から助けられている」からです。支援者は支援の対象者から学び、彼ら彼女らに助けられる状態にあります。この相互作用のない支援というのは私にはウサンクサイ支援です。人の自己成長力や自然回復力を軽く見る支援になると思います。

ここまで考えると自らが引きこもりなどの経験者でありながら文通ボランティアを希望する意味が明確になります。ボランティアに参加することによって自分の課題にチャレンジするのです。これは健全な方法になると思ったのです。
「天は自から助くる人を助く」といいます。いまの例から見て少し言い直したいです。自分の身を助ける側に置くことで自分を助ける道を開くのです。私の実感ともあいます。