斜視の集まり(4)ー対人関係や社会生活の面を重視したい

今回の集まりで、私が推測したことが成り立たないとわかりました。程度の重い斜視の場合は、発達障害に当たるのではないかという推測です。
これはとりあえず二重の意味で否定されました。
発達障害は先天的・遺伝的な要素によるものですが、先天的な斜視は成長期までの矯正手術で治ることによって否定されます。
重度の斜視で障害レベルと考えられるときは、後天的な理由によることでも否定されます。
これらもより多くの斜視の人の事実によって確証を得たいと思います。というのは先天的な斜視であり、幼児期に矯正手術をしないで成人になり、社会的・職業的な制約を受けている人の状態を知らなくてはならないからです。
そういう人がどの程度いるのか、どういう状態でいるのかによってこの判断はすべきだろうと考えるからです。
●自閉などの発達障害も、子ども時代の生育環境によって、かなり改 善できます。これは斜視の幼児期の矯正手術の効果と重なる事情かもしれません。
視覚障害の一部として、眼科医などから斜視に関する報告があります。視力・視覚の解剖学的な説明、矯正手術のしかたや医療機関情報など…それらは有益ですが、必要なことの全体ではありません。内斜視と外斜視の違いもあります。影響がより大きいのは外斜視かもしれません。
斜視であることによる対人関係、日常生活、社会生活、職業上の制約、影響の男女差は、(眼科医に頼るよりも)当事者から発していかなくては本当のところは伝わらないと思います。それは個人差が大きく、本当に困難な状態におかれた人の問題を置き去りにしては対応にならないからです。
斜視の集まりを続ける意味はこのあたりにあるように思いました。ネット上にある斜視情報はこういう対人関係、社会生活の部分が薄いように思います。

斜視の集まり(3)ー成人後の斜視のばあい

先天的な斜視よりも後天的な斜視、特に成人した後に斜視になった場合が、生活面でも社会面でもハンディは大きいと思います。個別の事例は聞いていましたが、ここが斜視の中心問題になりそうです。
成長期の前の斜視は矯正手術により治せるし、予後もいいという点は初めて確認できました。これに関して矯正手術の医療機関の情報がありました。
問題は成人になってから斜視になった人です。こうなるのは左右に視力差が大きいことが関係しています。視力差が大きいとよく見える方だけで見るようになります。
左右の視力差をメガネで補正すると脳内が苦しくなります。「脳内が苦しい」を表現する適切な言葉は見当たりませんが、経験者には言葉が不十分でも伝わります。同じ感覚が理解できるからです。
「脳内が苦しい」ために視力差が大きいと単眼視(右目だけ、左目だけで見る)になりやすいのです。それが斜視に向かい、斜視が固定化する理由です。これにもいろいろな場合があるかもしれません。
斜視のまま両眼視できる人もいます。その場合、見える像が1つにならず二重になることがあります。これは以前にも聞いていましたが、今回も聞きましたので、さらに詳しく聞きたいところです。本人にとっては大変だと思うのですが、どういう苦しさが発生し、どういう表現になるのか…。
このように聞いていくと、視覚障害の一部とみていいように思います。失明や弱視の人が持つ困難に近く、社会的・身体的・生活的な制約が大きいからです。

斜視の集まり(2)ー特に子ども時代について

子どもの場合、斜視を理由とするいじめや嫌な思いをした経験があるのは、私にはよくわからないことでした。私も子どものころから斜視ですが、それらしい経験が思い出せません。
参加した2人からは同級生との関係、教師からのもの、仕事についてからのいじめなどがいくつか話されました。一人はそれがきっかけで不登校になっています。
「右の眼はいいが、左の眼は嫌い」と言われていたことがある。「目が変」「目が怖い」と斜視であることが対人関係に影響したのです。それがいじめや嫌がらせや不登校につながるのです。
とんでもないことですが、斜視をまったく理解していない教師もいるようです。確かに教師になるための予備知識にはそういう項目はないでしょう。子どもの顔をみれば、わかりそうなものですがそうではない教師がいるとは驚きでした。
対応策もあります。例えば右目外斜視の場合、右隣には同級生が座らない教室の右端の席にするという対応があってもいいのではないか。そういう話も出ました。子ども時代、学校での具体的な対応のしかたは、考えて行けばもっといろいろと出てくるでしょう。
斜視であることによる不利益は聞いていけば、まだ出てきそうですが、利益になることは何も出てきませんでした。親から“カタワ”と言われたこともあるとか。このあたりもいろいろな経験を聞いていきたいところです。

「斜視の集まり」の始まり・継続・独自サイト設定

錦糸町に斜視の3名が集まりました(2016年7月3日)。
予定の2時間は、目いっぱい話が飛び交いました。体験と情報交換が中心です。
自分の斜視をこれまでは特に話したことがないので、集中して話せたことは大収穫でした。3人ともそんな感じがします。カラオケルームという個室にしておいてよかったです。
斜視と言っても個人差はあります。それぞれが思うことを話してみただけで、互いに知らないことも多かったです。斜視をテーマに話したのに範囲が広くて、それぞれの部分がよく詰められない感じがします。参加者3名の経験や実情の範囲だけで細部を構成するのはまずいという思いもあります。もっといろいろな人の様子を知り、全体像を知りたいです。
そのなかで私が気づいた最大のことは、先天的な斜視よりも後天的な斜視、特に成人した後に斜視になった場合が、生活面でも社会面でもハンディは大きい点です。
もう一つの確認できたことは、子どもの場合、いじめや嫌な経験をしていることが多いです。
他にもいろいろ記述すべきこともありますので「斜視の集まり」としてサイトに独自ページをつくります。まずは上の2点をから書き始めますが、波及して書きたいこともいろいろあります。
斜視の集まりをこれからも2~3か月ごとに続けることにしました。参加予定は4名でしたが、1人から参加できない連絡がありました。きょうの参加者以外からも様子をぜひ聞きたいところです。連絡を待っています。