100年間に社会における子どもの処遇が変わっている

人とのコミュニケーションがうまくいかないことが、対人関係の障害になっています(註1)。日本においてはそれに加えて、「らしく」ない人、「らしく」ないことは排除の要因にされてきました。
「らしく」のあるなしは精神文化に属することです。精神文化である限り中立的(ニュートラル)なことです。しかし、それが社会的差別、ときには政治的な差別と結びついていたことは確かでしょう。
精神文化がニュートラルな性格であるということは、時と場合によっては都合よく働くこともあるし、不都合に働くこともあるという意味です。この精神文化全体を意図的に変えることは大変であり、目標にすべきことではないのでしょうか。
それでも自分の周辺にある不都合が精神文化的なことと結びついているならば、そこを問題提起していくことは必要になります。
不登校や引きこもりを経験した人の中には、この「らしく」ない状態を背景にいじめを受け、排除されてきた人が少なからずいます。言葉づかい、日常生活における態度・振る舞い、ときには風体(ふうてい)の違いをいじめや排除の理由にされてきました。
いじめが社会的に大きな問題になるによって、このようなことが取り上げられるようになりました。精神文化において「人との違い」を肯定的に認め合おうとする動きがわずかずつ成長しているのです。

ところで、これが精神文化の範囲にある限りにおいて、早急に大変化を期待するのは行き過ぎになると考えます。精神文化というのはパズルの組み合わせのようなもので、ある箇所がうまく処理できてもそれは別のところで障害を引き起こすものです。それらを想定し調節しながらゆっくりと変わっていくのではないでしょうか。
それに関して日本人は少なくとも2つの方法を取ったと私は理解することにしました。
1つは、カブキ者と称される動きです。これは中世に生まれたことばで江戸時代に歌舞伎が成立することにより、その特別の分野で社会から認められました。
似たことはオカマとかハーフという人たちの生き方です。今ではセクシャルマイノリティー(セクマイ)として公認されつつあります。これは最近の事情ですが、特別の分野で社会から認められつつあると思います。
外国人のカタコト日本語は初めから承認されていますが、これも同じようなことです。
特別な人、特別な場合には異質・異様な表現、風体などをいわば枠の中で承認してしまうのです。この枠の外ではなかなかそうも行かないのですが、長い時間のなかでゆっくりと社会に染み出し、溶け込み、社会自体をわずかずつ変容させてきたと思います。

もう一つはむしろ逆のことです。明治期に日本にやってきた欧米人たちは、日本社会における子どもの処遇を次のように書いています。引用はアメリカのE・S・モースの『日本その日その日』にあるものですが、ここでは宮本常一から再引用しました。
「いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。赤坊時代にはしょっ中、お母さんなり他の人なりの背に乗っている。刑罰もなく、咎めることもなく、叱られることもなく、五月蝿(うるさ)く愚図愚図いわれることもない」(『絵巻物に見る日本庶民生活誌』1981年、中公新書、41ページ)。
いつでもどこでもこのようであったとはいえないまでも、ヨーロッパ文化圏の人たちから見れば子どもをめぐる全体像はこのようなものに映ったのです。
それが100年後の今日では、残念としか言いようのない姿です。子どもは管理の対象です。学校を中心に社会でも家庭でもしつけがあり、規則を守ることを約束させられています。
明治期(もちろんそれ以前も)から今日までにどのような変化があったのでしょうか。社会制度、政治制度、交通・通信手段の変化、農業社会から工業と商業社会への発展、家庭と地域社会の変化など多くの背景の変化があります。それについて私があれこれ言うのは適当ではないでしょう。
そこには連続性もあります。その連続性と変化によりこの子どもの処遇が変化したのです。それをまとめればこういう意味になるのでしょう。
「子どもは自然な状態である。それをそのまま尊重するのではなく、子どもの成長に応じた教育が必要である。教育を受けた子どもは社会のなかでその分に応じた役割をするものである。そうでなければ社会は正当には受け入れない」。
この“原理”が働いて、長い時間のなかで周囲環境の変化とあいまって、今日の子どものおかれた状況が出来たのではないかと思います。100年前の社会からあらゆる場面で容認されてきた子どもの姿は、今では規則を守るいい子を強制される無残なものになっているのです。子どもの状態を根底から変えるにはこの原理を変える方向が必要になると思います。精神文化を意図的に変えることは目標にすべき対象ではないにしても、向かうべき方向性は意識したいものです。

(註1) 脳科学者の養老猛司さんは、コミュニケーションの障害がある人は社会から排除されてきたことを次のように言っています。
「ネアンデルタール人以降、現生人類の社会が成立したとき、もっとも強くかかった淘汰圧は言語使用ではないかと私は考えている。現に今でも、言語が使えないことは、社会生活を徹底的に妨害するのである。いやな言い方をすれば、現代人は言語機能が欠ける人たちを徹底して排除してきたといえる。その言語と意識はほとんど並行したはたらきである。言語の機能はもちろん、たがいに了解することである。それなら「了解できない」人は排除されるはずである。それはいまの社会でもさまざまな形で問題になっている」(養老猛司『無思想の発見』2005年、ちくま新書、56ページ)。

フリースクールと適応指導教室の変化を見る

適応指導教室は官制のフリースクールの性格があります。民間に広がりつつあった不登校生への対応であるフリースクールを、当時の文部省が指導して適応指導という再登校をめざす教室として、自治体が設置したものです。1997年ころに適応指導教室は685教室がありました。現在、不登校情報センターのサイトの掲載している適応指導教室は不完全のはずですが、1036教室になります。うち自治体設置以外が2教室、中卒以上の生徒への対応が2府県です。教室数は5割以上も増えました。
そうして20年近くの時間が過ぎました。民間のフリースクールはさまざまな変化を遂げています。他方、適応指導教室の設置数は増えていますが、制度面ではそれほどの大きな変化はないように見えます。それでも徐々に指導性は向上しているように感じられますし、「教育支援センター」という名称が徐々に増えています。問題はそれ以上に動けない、適応指導教室にもいけないレベルの子どもが増えているのかもしれません。

フリースクールの変化はいくつかの面からとらえることができます。
はじめからフリースクールとして生まれたのは不登校の親の会が設立したもの、教育相談や心理相談から生まれたものなどでしょう。その後、小学生・中学生対象の学習塾からフリースクールになったもの、家庭教師活動の発展としてフリースクールができたものが加わり、それぞれの色合いを持つようになりました。
しかし、誕生後の運営は困難の連続でした。子どもが集まらない(それは運営経費の不足を招きました)、集まっても活動の方向が定まらない、指導員(スタッフ)は何をすればいいのかつかみかねている……という問題にぶつかりながらつづいてきました。そのなかで自然消滅したものも少なくありません。
そうこうするうちに自治体が適応指導教室を設立し始めました。小学生・中学生を対象とするのですから、自治体設置の適応指導教室は義務教育の範囲です。授業料などの負担はないし(教室に通う・通わないはここでは関係しません)、職員の給与や教室の場所は自治体負担になります。
民間のフリースクールは適応指導教室と比べると費用負担面で二重のハンディを持つことになりました。収入が保証されず支出は確実に必要という点です。もっぱら教育内容・活動内容の違いによってこの負担を乗り越えなくてはならない状態に置かれました。特徴的なのは農山村に置かれた山村留学型のフリースクールです。一種の山村留学のおもむきがあります。主に都市域の家族と同居する型の適応指導教室とは顕著な違いがあり、小規模ですが存続しているところが多いと思います。

フリースクール側はそのうち高校生や高校中退者に目線を広げて対応するように求められました。それは通所する子どもたちがそういう年齢に成長することと重なるわけですから、ごく自然なことではありました。そうは言ってもこの壁を多くのフリースクールが越えてきたのではありません。
1990年代末からはサポート校への道が広がりました。それまでは比較的大手の教育機関がサポート校になったのですが、小さなフリースクールもサポート校化し始めました。大手のサポート校等が通信制高校に発展するとともに都市域の学習塾やフリースクール等をそのサポート校にする動きが出てきたのです。小学生・中学生はフリースクールに、高校生はサポート校に属する形で同じ施設内に共存することになりました。これはフリースクールの一つの生き残り策といえるものです。

この経過を見てわかることは、自治体や政府の予算支出の対象としての不登校生への対応(特に小学生・中学生への)の貧弱さです。自治体や政府の不登校高校生への対応がとくに遅れていると思われるのは、典型的なものです。高校教育は義務教育ではない、公立高校は昼間定時制をすすめている、3年制の定時制・通信制高校を設置していますが、高校生対象の適応指導教室は2、3の府県が何かをしようとしているだけです。高校生への対応は民間が進めている、というよりは民間にはここが主に残されたのです。

ところでフリースクール数をカウントすることはなかなか難しいです。フリースクールは存続のためにじっとしてはおれずに変化したのです。それが適応指導教室とは大きく違うところです。フリースクールの変化・発展としてのサポート校をそれに加えるべきか、大検(高卒認定)予備校を加えるべきか、その複合した教育施設をどうするのか、フリースペースといっているところはどうなのかの判断、線引きが難しい上にもともとの基本データが把握されていないからです。
そういう前提がありますが、今の作業が一段落するはずの7、8月ごろそれらの数値化を試みてみようと考えているところです。

忘れたころに離れていった人からの連絡に感じること

十年近く前に不登校情報センターから離れていった人、その家族から連絡が入ることがあります。そう珍しいことではありません。そういうことを想定して、なるべく何らかの連絡は取れるようにしています。
先日も、十年以上前に通所していた男性の母親から連絡がありました。離れたきっかけは仕事に就いたことですが、それで引きこもりが終わったわけではありません。この十年の間に何度か職場が変わりました。最近はその後の二度目の引きこもりに近い生活になっているとのことです。
この間の彼の生活、社会との関係における精神的な気苦労という意味ですが、を思わずにはいられません。彼の感じていた社会の雰囲気に大きな変化があったとは思えませんし、人によってはさらに精神的に追い込まれる状態になっている人もいるはずです。少なくとも時間は確実に過ぎていますし、それだけの年齢を重ねています。その間に得たものも少なくないと思いますが、これからできることのバランスを思うとだんだん不利に傾いていくと感じているのです。
20代の前半までに感じられた周囲の反応も違ってきます。たとえば40歳に近づくと医療機関に行っても対応の熱意が違うそうです。これまですでにいろいろなことを試してきたのでしょう。うちでも出来ることはしますが、結果がどうなるのかは予断できないです。そういう雰囲気があり、どうにかできる可能性が低くなっていることをその時点で察知できるほどだといいます。
離れていったいろいろな人から忘れたころに届く連絡は、そういう背景事情も感じさせてくれます。何とか逆転できる方法を見つけ出したいものです。

通信制高校群の拡大と広域通信制高校

不登校生への対応として通信制高校の仕組みと方法の有用性が明らかになるにつれ通信制高校やそのサポート校が次つぎに誕生しました。
サポート校の誕生は東京国際学園高等部に始まります。それはフリースクール・東京シューレの誕生とともに不登校生・中退生への対応として1980年代に都市域から急速に広がりました。サポート校の誕生とフリースクールの誕生はともに父母と国民の下からの教育運動でした。
その後、有力なサポート校および大検予備校(高卒認定予備校)が2000年前後に相次いで通信制高校を設立していきました。この動きにはわずかですが技能連携校も合流しています。このように通信制高校の広がりは、不登校生への対応として当初はサポート校、ないしはフリースクールの発展として始まりました。

この動きは1990年代から、異産業分野からの教育産業への参入の形としても広がりました。目に付く方法は全国の大都市圏に複数の学校を設立する方式をとりました。従来からあったNHK学園高校のような広域通信制高校の採用ですが、基本的にはNHK学園型の協力校制度ではなくキャンパスや学習センターなどと呼ぶ自校を設立する方式をとりました(その方式の学校がすべて異産業分野からの教育産業への参入というわけではありません)。
広域通信制高校とは3つ以上の都道府県から生徒募集を可能にする方式です。広域通信制高校には全国どこからでも生徒募集できる方式にしているところがあります。生徒側は広域通信制高校といっても近くに学校という場所がないと勝手に利用できるわけではありませんので、自ずと重点的に生徒募集の地域は限られます。
結局、東京周辺、大阪周辺、札幌、仙台、名古屋、広島、福岡あたりに拠点となる施設として学校が設立されました。

それに対して、サポート校から発展していった通信制高校は、本校を大都市よりも農山村地域に設立する例が多くなります。本校が多いのは北海道、茨城県、長野県、三重県あたりになりましょうか。
このほかに広域通信制高校への参入には、他の事情も関係します。伝統的に地域に根ざして活動している学校法人がその活動分野として通信制高校に参入する場合です。特色は生徒募集の対象が全国ではなく、周辺の複数の都府県になることが多いようです。
こういう通信制高校が増加する時代においても廃校・閉課程になった通信制高校もあります。通信制高校が不登校生の増大に対応できる仕組みと方法を持っていることをうまく活用しないまま、“生真面目に”従来の通信制高校のスタイルを維持したことが重要な要因ではないかと思います。それは廃校にならなくても一部の公立の通信制高校にも続いている状態です。もちろんこれらはいずれも典型的な場合をさしているわけです。

サポート校やフリースクールは生徒と父母の要求に応えるために生まれたものです。しかし、いったん通信制高校が生まれると、今度は通信制高校側からサポート校をつくる、あるいは地域に根ざして活動をしている学習塾やフリースクールをサポート校にする動きを取り始めました。とくに全国展開をする広域通信制高校にこの傾向が顕著に表われます。
学習塾やフリースクールの側でも事業展開としてサポート校をめざすところが生まれました。多くは通信制高校からの働きかけによってサポート校になったものです。広がりは大都市域から地方の中心都市へ、さらに普通の都市にまで広がり、全国化しています。
このような動向が広がると、さまざまな由来や動機や利害が錯綜する形でひとつの動きとして合流しているように見えます。いろいろな傾向や性格の違いは相対的に低くなります。
通信制高校は学習センターや何とかキャンパスの名称を用いだしたのでサポート校と高校本来の境目もとらえにくくなっています。さらにはサポート校になった学習塾、フリースクールの違いや境界もとらえがたい状況になっています。詳しく見ればこれらは見分けがつくものですが、世の中の動きとしては単一の動きとして扱われるのです。
状況には異なる要素も混じり錯綜していると見えますが、教育産業すなわち資本投下の対象としての教育分野への参入か、父母・国民の動きから始まるものかは見るときに有効な視点になるでしょう。

私は、不十分さがあると認めつつも、2014年春の時点で、それらの学校数を次のように示すことにします。今春に調査により、6月ごろにはより確度の高い数値に近づけるはずです。
①、通信制高校=552校(学習センターなどを含む)。
②、協力校=109校以上(公立通信制高校とNHK学園高校)。
③、通信サポート校=225校。
これは「少なくとも」これだけあるのではありません。なかには既に閉校した学校も少数ですがありえます。しかし、それ以上にかなり多くの学校を把握していないと想定できます。確認できるものだけをカウントし、確認できない学校が他に少なからずあることを認めているからです。
上の学校数を単純に合計すれば900校近くですが、実際は1000校前後あると推測しています。それは数の上で定時制高校よりも少なくはないでしょう。すでに生徒数では通信制高校生は定時制高校生を超えていますが、学校数においても事実上は逆転しているのです。
通信制高校の数は90年代の初めまでは全国で100校未満でした(協力校をふくめると100校を超えていたはずです)。このことを知れば高校教育の大きな変化は通信制高校の増大に、その社会的な背景としては不登校生の増大によると認めなくてはならないでしょう。

居場所は利用者にどのように利用されていたのか

2008年に居場所にやってきた人のその後の軌跡を調べたことがあります。「対人関係支援百人の実例と支援対象の現状」(五十田猛の論文とエッセイ・2008年5月)です。それは当事者が不登校情報センターをどのように活用したのか、という調査にもなりました。実際は110人の軌跡を調べたものです。
まとめでは7つのパターンに分けて説明しています。
Aパターン:就業(社会参加)になっている、修業終了。60~70人。
Bパターン:復学・職業訓練状態に入っている、修業終了。3、4人
Cパターン:就業・復学の途中(不登校情報センターで修業途中)。15~20人。
Dパターン:離脱し、社会参加状態は不明(未確認)。10~15名。
Eパターン:離脱し、再引きこもりの様相を予想。10~20名。
Fパターン:訪問サポートから始まった例。7名。
Gパターン:その他。
*今回、このデータを利用するために、当時の調査票を取り出そうとしたのですが、見つかりません。誤って破棄したようです。各パターンの該当数がわからなくなったので、エッセイ本文と記憶により人数を右端に書き加えましたが推測数です。

通所した当事者がどのような意図によりスペース(居場所)を利用したのかはわかりません。結果として上のように利用したものと理解するのです。
エッセイのまえがき部分で「十年余の間にかなり多くの当事者が、就業または社会参加をしてきたと思いますが、それらの多くは私の手の及ばない世界のことでした」と書いています。多くは不登校情報センターの外に社会参加の場を求めたのです。不登校情報センターの居場所を「働ける場にする可能性」はそれを補足するものと理解していたと考えていいのです。
そのときから5年以上が過ぎました。Aパターン:就業(社会参加)になっている60~70人を中心にそれぞれがどうなっているのか、全体はわかりません。とくに調査データの紛失は痛いです。一般に、引きこもり経験者の集まる居場所は、社会参加のための準備施設とされているのです。しかし今日、それでは不十分であることが明確になったといえるでしょう。問題はC、D、Eパターンの人です。しかしAパターンの人の事情も見なくてはなりません。
それは後に回しますが、居場所は当事者にどう利用されてきた、どのようなものとして理解されてきているのかを、この表で見ていただきたいのです(不確実ですが傾向は確かです)。

研究者・大学院生のみなさん、研究テーマを探しませんか

いま「保健所における発達障害への対応」の調査をしています。回答は50か所以上の保健所からあります。まだ回答は続いています。
2年前に「保健所における引きこもりへの対応」をお願いしました。このときは100か所近くの保健所から回答をいただきました。全保健所の状況とはいえませんが、ある程度の様子はうかがえる程度の回答をいただいたと判断しています。

これらの調査は私が企画してきました。十年以上前から情報提供の出版物発行のために企画してきました。いまはネット上に掲載する学校や支援団体の情報を提供するためです。この取り組みも少しは前進して、調査用紙の発送とネット上への掲載はそれぞれ分担できるようになりました。
事務作業グループはこの調査に続いて「不登校と家庭教師」のテーマで家庭教師グループに所定のフォーマット用紙を送りました。事務作業グループではこのような作業を次つぎと繰り返しています。それに応じて情報提供いただくための企画が必要です。
先日の事務作業グループでの話しです。これらの企画による情報収集はある種の社会状況の調査になります。しかるべき研究者などが来て、フォーマット(調査項目)の企画・作成を見てくれればまた違ったものができるのではないか(事務作業グループですから請求書の発行とか、台帳の整理など研究の対象にはなじまないものもありますが)。何を調べるのかはその分野の現状を理解し、どういう問題意識をもつのかに関係します。それなら若手の研究者や大学院生の参加を期待していいのではないか。学部学生の卒業論文のテーマにできるものもあるかもしれません。
調査は不登校、引きこもり、発達障害と対応する学校や支援団体、行政機関などに関係します。分野はいろいろに及びます。どういうテーマを設定するのか、これまでは基本的に私一人が考えてきました。教育系、心理系、福祉系、行政制度、社会制度、社会学など社会問題のテーマを考えるにはぴったりのものもあります。
そうは言いながら制約もあります。そういう研究者や学生を恒常的にお世話していける余裕はありません。いちばんやりやすいのはこの事務作業に加わっていただくことです。ちょっと無理なお願いかもしれませんが、毎週水・金曜日の午後2時から2時間行っています。参加できる日に来ていただいていろいろな雑談をしながら状況を話していくとテーマが見えてくると思います。

簡単な問合せ・申込用紙を作りました。事務作業グループの参加メンバーから「居場所などにくる研究者などに渡せるようなものをつくってはどうか」という話しがあったからです。

スウェーデンの研究者は五月下旬に来日します

(1)研究者からの連絡:
メールどうもありがとうございます!「留学」ではなく、「見学」だけを望んでいます。翻訳するときに間違えました。すみません。
松田さんにお会いできれば結構です。松田さんがどんなお仕事をされているのかに興味あります。なので、他の人に会う必要はないです。奨学金がでれば5月23日から30日まで日本に行く予定なので、その期間で一度松田さんとお会いできればとても嬉しいです。よろしくお願いします。

(2)私の答え:
了解いたしました。あなた方の私個人への取材・インタビューをお受けいたします。
その上で言いますと、可能な条件があれば引きこもりを経験した人たちから話を聞くようにおすすめいたします。彼ら彼女らから話を聞けるだけの条件ができれば、私の話よりもさらに人間の真実に触れることができるからです。ただし、彼ら彼女らは警戒心があリ誰に対してもそうやすやすとは心の内を明かさないものです。
あなた方の今回の調査は短期間であり目標がどこにあるのかはわかりません。しかし、本格的な研究の始まりになることを期待いたします。
(2014年2月15日)

留学を受け入れるとはどこまでの範囲か明示するように質問

先日のスウェーデンからの研究者の訪日に関して、改めて質問が来ました。
「もしあなた方が私たちの留学を受け入れてくださる場合、私たちは3月1日の奨学金申込み期限までに、お返事をいただく必要があるのです」というのです。返事をしようとしたのですが、ちょっと意味する範囲がわかりません。それで次のように答えました。

確認のためのメールをいただきました。
お答えする前に「私たちの留学を受け入れてくださる場合」という内容を明確にしていただけませんか。
(1)5月11日(日)の午後に月例の親の会(大人の引きこもりを考える教室)を開きます。この場に参加する内容になりますか。5月10日に不登校生の親の方が集まります。また、私が参加する別の不登校の親の会が5月17日の午後にあります。これらの会に参加するという意味ですか。
(2)そうではなくて、親に個人的に話を聞きたいということでしょうか。その場合は、親の会の終了後か別の日に話を聞く機会を設けるという意味になります。この場合は事前に答えてくれそうな人探しておかなくてはなりません。
(3)不登校の子ども(十代)や引きこもりの経験者で20代以上になっている人から話を聞く機会を設けるというのは、必ずしも保障できません。いまから対象者に呼びかけて、OKしてくれる人を探しておく必要があります。
(4)松田(私)の場合は、日本に滞在期間にお話しをする機会をつくるのに支障はありません。他の人の場合は、時間が確保できるかどうかの前に、話しをするつもりになるのかどうかが難問です。準備が要るのです。
(5)留学受入先というのは上のうちどれに該当する内容でしょうか。それともこれらのことは無関係なのでしょうか。

非英語圏の研究者から引きこもり研究に協力依頼あり

非英語圏の欧州から日本の不登校・引きこもりの研究をしたいと協力の依頼がありました。仲介者は日本人です。
「私たちは、あなた方が活動をどのように築き上げ、どのように孤立している人々(ひきこもり)に接しているのか、不登校等の生徒や両親にどのような活動やサポート、アドバイスを提供しているのかお伺いしたく、連絡を取らせていただいております。不登校を防ぐ効果的な方法に関するヒントを何かお持ちでしょうか?活動の中で、両親に対してどのような方法を提供していらっしゃるのでしょうか?」というようなことが研究対象になります。
はたしてどのような協力が可能でしょうか。この調べたいことに対して私が自信を持って答えられるのはごく限られるからです。
それで次のようなお答えをしました。どう受けとめられるかお任せの感じです。

日本における不登校や引きこもりに関心を寄せていることに感謝いたします。
その実情は支援者や研究者から学ぶよりも当事者から聞き取れるのがベストであると思います。そうすると当事者である彼ら彼女らと信頼関係ができていないと難しいでしょう。人類学の研究者には長期間(時には半生を)その人たちの中に住み、生活をしながら真実に迫ろうとした人がいます。それに似たことが必要ではないかと思うほどです。
そうでなければ彼ら彼女らは、研究者が理解できる範囲のことを答えるだけでしょう。それはウソではありませんが、必ずしも深い真実ではありません。
そう考える私に何ができるのか、どこまでできるのが、不安に思います。私はこれを20年近く続けていますが、日本に生活しているからできるフィールドワークです。
外国の人たちがこの分野の研究をするとこの方法は現実的ではないかもしれません。しかし、教育学や身体科学だけではなく日本にいるだけでは理解しがたい文化人類学的な視点も必要です。
私個人には手助けできることはほとんどありません。親の会、支援団体とのコネクションがあり、私自身は引きこもり経験者に囲まれて生活をしています。もしかしたらそれが役立つことがあるのかもしれません。わずかな可能性ですが可能な協力はいたします。資金を要することはまったくできません。参考になるでしょうか。

性的マイノリティとひきこもりの関連を調べるアンケート

性的マイノリティのひきこもり等を支援する団体「あじさいの会」からの依頼です。

あじさいの会は当事者主体の団体です。既存の研究にはセクシュアリティと不登校などを研究したものが見当たらず、当事者が本当にいるのかも分からない状態でした。当会は不登校等とセクシュアリティの関連を調べるアンケートを開始し、すでに50人近くから回答を頂きました。
アンケートを集めるため、この情報を掲載していただけないかが依頼の趣旨です。
思い当たる方がおられましたらご協力ください。不登校情報センターとしても関心があるアンケート調査です。
詳細はhttp://lgbtikiru.blogspot.jp/をごらんください。