小学校の校庭、もっと活用

東京新聞の6月3日読者投稿「発言」欄に次の記事が掲載されました。

《小学校の校庭、もっと活用   校庭開放世話人 松田武己(東京都江戸川区)

地元の自治体では日曜・祝日に小学校の校庭を子ども向けに開放しています。私はその世話役をして3年目。地域の野球やサッカークラブの利用が多く、それ以外は十分に利用されていません。

「校庭開放」がよく知られていないようで、広報不足かもしれません。時折、小さな子どもを連れた親がやってきて、ブランコやすべり台、鉄棒などを使っています。知らない親子同士が出会う場にもなっていて、一緒に遊ばせるいい機会です。親から話を聞くと、家にいるとゲームばかりしているので、外で遊ばせたいということでした。

世話役の有志で、土曜日の校庭開放も自治体に訴えているところです。各地の自治体が子どもの居場所づくりを進めています。校庭こそ、もっと活用していいのではないでしょうか。》

1週間前に読者欄担当者から電話がありました。少し話したところ掲載文は少し書き換えがありました。私は江戸川区で校庭開放がされている点を書きました。掲載時には他の自治体でも勧めてはどうかに重点が置かれ、見出しもそうなっています。記事の大半は同じであり、掲載文にも私は納得しています。

「作品集づくり」を改めて提案 その2

会報『ひきこもり居場所だより』6月号 

体験手記、自分史、エッセイ集、詩集、イラスト集……の形で、いま自分がしていること、自分がしてきたことを、1冊の作品集にまとめませんか。製作費は安い(と思います)。文書入力は自分でしてください(有料で文書入力の手伝いもします)。文字のコピーは1枚4円ほどですが、絵、イラストはコンビニのコピーを使いますので10円(カラーコピーだと50円)と割高です。そこで企画を提案するために手作り本13冊の原価を(30冊製作と仮定)一欄にしました。ざっと言えば合計で5000円~1万円で20冊~30冊できます。

不登校情報センターは、あゆみ書店名で日本図書コード管理センターから日本図書コード「ISBN」の枠をもらっています。UNESCOでは49ページ以上を本(book)、48ページ以下を冊子(pamphlet)と定義しています。あゆみ書店で本になるもの(最終1ページの奥付を含む)にはISBNコードを付けます。まだ50点以上の枠がありますので、これを活用して、作品集づくり(手作り本の製作)をよびかけます。

手作り本の作品集を考えてください 4月以降、受け取る手紙やメールが増えています。「近況をお知らせください」な度を重ねてきたのが影響しているかもしれません。さて「文学フリマ・東京40」を終え、今月の会報に掲載したように「作品集づくり」を継続します。主に文章ですがイラスト・マンガも対象になるでしょう。現在の手作り本は13点ですが、年内には20点に迫りたいものです。実現すれば猛スピードの達成です。今から少しずつ準備をしませんか。

主な対象は不登校・ひきこもりの経験者への呼びかけですが、親世代には自分史として振り返っていただきたいと願います。私はその実例として自分のこれまであちこちの書いてきたことを『アスペルガー気質の少年時代』としてまとめました。手紙をいただいた方には私よりも年長の方もおられます。数人のお便りにより不登校はすでにその世代の中に生まれていたことが分かります。不登校やひきこもりの捉え方をもっと広い違い視野から見ることができるのかもしれません。

書き方の種類・ジャンルの例を挙げてみます。制作費は会報を参照。 (1)体験手記:小中学・高校時代から20代、30代、40代…中心時期を絞る。 (2)自分史: (3)日記:エッセイにしてもいいと思います。 (4)手紙:特定の個人でなくてもよい、松田宛の手紙も歓迎します。 (5)相談体験、居場所体験、カウンセリング体験、就労体験 など (6)創作小説、散文詩、短歌、俳句などの文芸系 (7)マンガ:1枚マンガ、4コマ漫画 (8)イラスト、カット絵、 (9)相談受付:自分の経験を手短に紹介したうえで、相談を受け、可能な返事(アドバイスではない!)をする⇒別企画として考えています。

一冊の作品集づくりの提案(企画提案)その1

会報『ひきこもり居場所だより』(6月号)
● 文学フリマ・東京40の報告
「文学フリマ・東京40」にブース参加し、1つの方向を見出した気がします。40代、50代、それ以上になってひきこもり状態である人がどうするのか? 周りの家族に何ができるのか(またはしてはならないのか)を考えると……。ある親側の人からは、「今は静かだけれども、先を考えると怖くなる」という主旨の手紙がありました。そういうのに決定的で全般的な対応策はわかりません。それでも1つの分野がこれではないか、と思い至ったのです。
「文学フリマ・東京40」の広い会場(しかも二面)に並ぶブースは約3000もあります。そこに机1つ(長さ1.8m)に手作り本を並べ「不登校情報センター」の小さな店名を書いて座ります。多くの人が通りすぎます。しかし、開始30分もすると「あ~、これは売れないな」と悟ります。
ブースの前を過ぎる人に呼びかけることにしました。初めにどう呼びかけたのかは忘れましたが、声をかけたら立ち止まる人が出てきました。机に並べた本をさして「これはひきこもっていた人が自室で続けていたイラストや日記を1冊にまとめたものです」というあたりです。
数秒でブース前を通りすぎる人に「家族・知り合いにひきこもりの人はいませんか」と言い、「その人には日記やマンガを描き、体験記やエッセイや読書感想を書いている人がいるんです。それを作品集にしたのが、この手作り本です」という話し方の方向になると(場内を一巡りにして様子がわかったという別の事情も加わって)机の前に止まって、「見てもいいですか」と手作り本を手にし始めました。
中学校の教師という男性が「不登校の生徒への対応を考えているのですが」といくつかをパラパラと見ています。
障害者施設の職員が、「自分の所でも何かできるかもしれない」と、手にとってくれました。
「身近にひきこもっている人はいませんか?」に、「ぼくがそうです」という20代ぐらいの人が答えて、立ち止まりました。
子ども3人がぜんぶ不登校であったという50代ぐらいのお母さんが、「私もこういうのをやってきました」といいます。作品集にはなっていませんが、書くこと描くことをすすめていたらしいです。
娘が中学校に入ってから不登校になりそれから8年。「今18歳でひきこもりです」というお父さんもいました。
カウンセラーか医療関係で働く人もきて、解離性障害を書いたと思える1冊をめぐって話になりました。
何もいうことなく、いくつかの本を次つぎに手にする。こういう人が何となく多かった気がするのです。

●『出展作品の総目録』と実販売数
『出展作品の総目録』というA5版8ページのリーフレットを前日400部用意しました。受けとってくれる人に次つぎに渡しました(今回の会報にこの『出展作品の総目録』を同封した人もいます)。会場での配布は300部になったと思います。
不登校情報センターの連絡先を聞かれたので「そこ(6ページ目)に書いてあります」とこのリーフレットを渡しました。こういう人が3、4人はいました。名刺を受け取った人もいましたが、後でもっと多くの人から名刺をもらっておけばよかった、と思い返したところです。
展示会の終わり近くになると「ひきこもっていても、日記を書いている、マンガやイラストを描いている、投稿やエッセイを書いている、詩や格言をつくっている…そういうのを1冊の作品集にするのです。そうするとひきこもりの間が空白の期間ではない、何かをしていた期間であることがわかるんです。自分でもわかるし、周囲の家族に説明しなくても伝わります」——このように話すようになりました。どうでしょうか。
結局、販売したのは30冊です。二条淳也『中年ひきこもり』8冊、高村ぴの『アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤』7冊、小林剛『ひきこもり模索日記』6冊が上位3点です。速報として29冊と伝えましたが、応援の三木康平さんが持ってきた『いじめの真犯人は私です』も1冊売れており正式には30冊です。12000円という販売総額はこれで合います。
おそらく作品集になるほどに書くのは、本人の気持ちのうちに何かが高まっている、高まってくるものがあるからでしょう。売れ行き上位の3冊は特にそういう感じを受けました。日ごろしている日記やイラストを1冊の作品集にするというのは、その気持ちを引き出すのではないか。そうであるならば、ひきこもっている人に、「今やっていることを作品集にしよう」と勧めることは、話の糸口になる対応策と考えたのです。
展示・販売会の販売30冊には全然満足していません。しかし慣れない場に出て来て、動き、話をするうちにこういう1つの対応策を思いついたのは想定外のことでした。

手作り本は手工芸品・クラフトです

私は長くひきこもり経験者の集まる居場所を開いてきました。そうして多くの人の様子を知るうちに、彼ら彼女らのなかに、エッセイや体験を文章化する人がいることを知りました。またマンガやイラストを描き続ける人も少なからずいるとわかりました。
1つのきっかけがあり、それらを“作品集”として小さな本にする方法を思いつきました。私自身が地図好きでいろいろなデータなどを小さな冊子にまとめていたことを応用したものです。最初はカット集・イラスト集です。やがてそれに見て自分で文章入りの作品集をつくる人も表われました。
私は以前に出版社で本・雑誌の編集をしていたこともあり、これらはなじみのものでした。それを重ねるうちに、手作り本として製作・発行する形ができました。
「文学フリマ」企画という展示即売会があり、これにブース出展することにしました。以前作っていた作品を再点検し、作り直し、また新作を加えました。合計13点に達しました。
これを改めてふり返ると日本人のなかに特長的に伝わる、日記、戯画(漫画)、手芸、工芸の流れに続く動きと考えるようになりました。民俗学者の宮本常一さんは、「日本の民衆の家庭は軟質文化の工場でもあり、家庭はそういうものを制作することによって成り立っていたともいえる」といっています。
私の家ではパソコンとコピー機があってこれらを作成していますが中心は手作業です。町中のコンビニには精度の高いコピー機があり、これらを利用すれば、家庭で新しくできる軟質文化、手工芸作業、クラフトとして普及できると思っています。

文学フリマ・東京40の結果

ひきこもり的な生活の中で、日記を書く、マンガ・イラストを描く、エッセイを書く、投稿する、格言を考える…という人が多くいます。それらは整理されないうちに散乱し、失くしてしまうことも多いものです。それらを1冊の作品集にする、そういう目標をもってまとめてはどうでしょうか。                       文学フリマ・東京40に出展即売しながら、これは表現・創作視点からの新しいひきこもり対応策になる、と確信しました。作品を展示しながら参加者と話すうちに展示作品のほとんどがそういう性格のものであると話すと、足を止め、作品を手にして考えているからです。ブースから「家族や知り合いにひきこもっている人はいませんか?」と呼びかけると「中学時代の友達がひきこもっています」とか「僕がそうです」という返事もありました。呼びかけにより足を止めた人は多いかもしれません。それが続くうちにたどり着いたのが作品集づくりという次の目標です。この詳しい話は次の6月1日付会報で伝えます。                                              法外な目標をもって出展・即売会に参加しました。三木康さんとAさんがスタッフとして参加し、“店番”をしながら交代で他のブースを見て回りました。                    売り上げは「どうでしたか?」という問い合わせが数人からきています。速報結果だけを報告します。即売の結果は10点・29冊、12000円です。Aさんの感想は「こんなに売れるとは思わなかった」ということですが、私には不燃焼感があります。ただ次に向かう目標が確信できた点がそれを補うほどの重さを与えてくれたと思います。                    ブースで配った「出展作品の総目録」(A5版8ページ)は294通。内容に作品作りの案内もあり、問い合わせが期待できそうな人もいます。

5月11日、文学フリマ・東京40

5月11日、文学フリマ・東京40の当日になりました。
天気予報は「晴れのち曇り」、不登校情報センターのスタッフは3名(昨日1名から体調不調で参加できない連絡あり)。
出展作品は手作り本13点、出版社発行5点の合計158冊は段ボール2箱を宅急便で送っています(配達確認済み)。
昨日は当日の参加者向けのリーフレット(A5版8ページ)を合計400通作成しました。
販売目標は「すべての作品を1冊以上、合計100冊、金額で5万円」です。
会場は東京ビッグサイト、ブースの場所は南3・4棟の「そ 75・76」番です。
関心のある方はぜひ来てください。入場料は1000円です。
今日だけの開催で一般参加は12時から17時までです。
リーフレット『出展作品の総目録』には出版社発行の本、直販の方法(郵送等)および手作り本(手工芸で作品集づくり)も手短に説明しています。
希望者には郵送します。サイト内の「あゆみ書店で発行の本」ページにも掲載しています。
この数日間に、数人から手紙等の連絡がありました。
返事を書けないままですが、この中に次の作品作りの参考になる人がいます。手作り本の作成は継続します。
この対象には男性が少ないと思います。女性も歓迎ですが男性にも作品作りへの挑戦を呼びかけます。
出来上がった13点もいろいろな傾向があり、その作品の中に見本にありそうです。

《追加》ビッグサイトの会場は南棟1・2号と南棟3・4号に分かれ、合計3000ブース以上が参加します。不登校情報センターのブースはその1つで 南棟3・4号の「 そ 75・76 」番になります。待っています!

5月のセシオネット親の会/助走の場・雲

セシオネット親の会の今後をどう考えるのか。参加者は減少しており、現実の不登校やひきこもりの人の状態で相談し合う機会が減りました。
5月は「助走の場・雲」の紹介をかねて、スタッフの学生2人に協力してもらうことになりました。新しい年度になり、学生も<見学>に来るようなので、居場所を紹介する場にしようとするのです。
居場所とは不登校・ひきこもり等の人が集まれる場です。スタッフがいますので学生の居場所になります。不登校・ひきこもりへの訪問サポート役になる役割をする人も生まれます。関心のある方は足を運んでください。
松田武己は5月11日に出展した手作り本を持っていきます。これまでにない動きが生まれれば、と期待しています。
セシオネット親の会の定例会は毎月第3土曜日、午後2時~4時です。参加をお待ちしています。
⇒5月17日(土)14:00~16:00
場所は助走の場・雲:新宿区下落合2-2-2 高田馬場住宅220号室
参加等の連絡は、松村淳子さん(090-9802-9328)までお願いします。

体験手記と文学作品

今回の不登校情報センターが文学フリマに出展する作品の中心は体験手記です。体験手記とは実話です。実話とはいえ、記憶違い、感覚のとり違い、解釈の間違いにより“実話”からふみ外すこともあります。また自分の肯定面の過大表現や否定面の過小表現により、“つくり話”レベルにまでふみ外すこともあります。そういう部分を含むことを認めたうえで、全体として体験手記とは実話です。すなわち自分はこのような体験をした、と自覚しているのです。自伝というのもそういうものでしょう。
私は体験手記を読むのを大事にしています。すべてがよい作品とは言えないでしょうが、時に感動することもあります。少なくとも「不登校情報センター」を表に出して何かをしている私への投稿などは、どうしようもないほどのものはありません。
何がしかのモノはありますし、それぞれが子ども時代や、青年期に経験したことを描いています。そして時にはすごいと思うものに出会うのです。その確率は私の中では高い確率です。ただ私は文学的なことや芸術的な内容を判断は出来ませんから、すごいとは言え主観的なモノです。
高校3年のとき、数Ⅲの積分関数の問題で解を初めて得たとき、少し感動したのを覚えています。しかし以来、数学の方程式や物理の方程式を見て、感動をしたことはありません。また法令を見て感動したというのもありません。日本国憲法の前文はそれなりのものですが、感動とまではいきません。そこに表現される数式や法令文によって得られるイメージが鮮やかではないからでしょう。
文学作品はどうか。これはピンからキリまでさまざまではあるが、優れた文学というものは感動を与えてくれます。それは確かな真実を示すものです。それを超えて自分の内側にある気づかないものに気づかせてくれるためかもしれません。
しかしこのレベルの文学作品であっても、必ずしも事実ではありません。例えば山本周五郎の『赤ひげ診療譚』の最終作品「氷の下の芽」は、そのような事実があったわけではないでしょう。誰かの体験を元にしているのかもしれません。人間の心情と周囲の状況に“ありうる”可能性が整っているなかでストーリーは展開・構成されています。これを虚構性というらしいですが、その詳しい説明はできません。
文学作品は、その高いレベルでは「つくり話」であっても、人はそういう場面、そういう状況におかれたとき、そういう動きをする可能性が納得できる形で描かれているのが条件になります。そして、勇気とか愛情とか、苦しみの実相をみせ、愉快な気分をひき出してくるものが、優れた作品と言えるのではないか?
体験手記は、それが事実である限り、文学作品のこの前半の条件を満たしています。それだけで文学の条件を少なくとも満たしています。それを超えて「優れた」文学作品になるには、省略と合理的な追加設定が求められるのでしょう。私にはそれを語るだけの能力はありません。
今回、改めて数人の体験手記を読むことになりました。私には「優れた文学」を感じるレベルのものもありました。そこには基本的には虚構性はありません。細部の比喩にそれはあるのかもしれませんが、それは虚構性が導入されているとはいえないと思います。今回の体験手記を読み返して、これらは「優れた文学作品」の素材になっている、と確信できました。
蛇足めいていますが、通信制高校、定時制高校、あるいは高校中退の経験者が混ざっていて、具体的なことを自分の言葉で語っています。貴重なものだと思います。

創作活動を勧める私の理由

創作活動を勧める意味を会報で「みか」さんが説明してくれました。私の思っていることを、私以上に行き届いた形で、わかりやすく説明しました。それで私は別の面での創作活動を勧める意味を書こうと思いました。
イラストをよく描く人がいました。そのお母さんが叱っている(?)ようなのです。「こんなことが上手くなっても何にもならない。経理学校にでも行った方がよっぽどいい…」という主旨でした。
その言葉の強さにイラスト好きのその人ばかりか、離れたところで見ていた私も何も言えません。今に思うと実に残念で情けない結果です。
人には向き不向きがあり好き嫌いがあります。不向きなどにより社会で生きていくのに差し障りがあるのであれば最低限の位置をめざすことになります。しかし多くは自分の好きなこと、自分に向いていることに取りくめば、スムーズに前進できますし、達成も多いのです。
私は、いつかわからない時期から表現活動を勧めるようになっていました(向いているかどうかは別です)。若い時代に本の編集者になったのは偶然でしたが、そこで思った以上のことを学び、身につけました。ひきこもり経験者と関わるなかでも、文章を書き絵に描くこと、創作を当然のように勧めてきました。
「ニート・ひきこもり支援」として社会生活、経済生活のできる力をめざすプログラムが大事にされるのを否定するつもりはありません。しかし、この方法で現実に生まれていることは次のように表われています。
(1) 当事者の心身状態でこの形に合う人が対象になり、全体への対応にはなりません。それ以前の課題がある人は少なくないのです。
(2)対応内容が就業支援中心にならざるを得ません。これが現状のひきこもり支援が就業支援に偏っているといわれる理由です。
(3)当事者の提起するものを受けとめられず、当事者を社会への適応・同化を促す対応になります。上記紹介のイラスト愛好者に経理学校を勧めた人がしていることがこれです。
私はそういう就業に固定した取り組みをするのは向いていないこともあって、別の道を進んだことになります。それが創作活動を勧める道です。
一般には、中心的方法以外の多様な道を肯定してよい、と思います。人は多様なわけで、好都合な道があればそこから目的に近づくことは可能です。

2023年に太田勝己作品の展示企画が提案されました。Tokyo-U・クラブというグループの提案で、企画が具体化し進んでいくなかで、そのテーマが「ひきこもりと表現」になりました。Tokyo-U・クラブ会長のKさんが提案したものです。企画の準備過程で十分に練られた結果とはいえませんが、私はかなり斬新さを感じるテーマに思えました。
考えるにひきこもりを続けるなかで失われる、むしろ育たないのは表現ではないでしょうか。自分の気持ちをどう表わすのか、思いや考えを周囲の人に伝えるにはどうするのか、それが表現です。ひきこもり生活では、ときには家族とさえも話すことはありません。表現力を失うのではなく育つ環境がないのです。ネットやSNSがそれを補充する面はありますが、生の社会的様子を知らないとうまくいかないのではないか。「表現」という提示はそれを考えさせてくれました。
表現と創作活動は同じではありません。表現が日常に求められるとすれば創作は自分の中の目的の意図性、構想や論理、感情の主体性が求められるという意味で、表現と創作には連続性と重複性があります。
結局私は、自分のできそうな分野で(必ずしも得意分野とはいえませんが)周囲に集まってきたひきこもり経験者たちに、創作活動を勧めることで、自分を表現することを勧めてきたことになりそうです。
ネットの普及によりあたり前に、ある情報、特定の事柄に関する知識を得られるようになっています。私はここに危険性を感じています。AIが活用されるようになって、さらにその感を強くします。自分の内側からのものを通さない多くの知識や情報を得られるようになり、それでわかった気になるのです。自分に受けとめる実感がなく、自分の感覚や経験を通さないで分かったつもりになるのです。それは何かを失われる感じがします。表現は、創作活動は自分の内側から出るものです。自分の感覚、自分の経験を通して、「正しい」とされるものとの整合性が確認される必要があると信じます。自分の感覚をもっとも大事にしたいのです。

絵文集『BONHEUR』(ボヌール)への道

Angelさんは20年以上前から『ひきコミ』にイラストを投稿してきました。それ以来ときどきイラストが届いていたのですが、昨年夏ごろ私から「いつか作品集にしませんか」と呼びかけました。その気になったようでイラスト送付の回数が増えました。
回数が多くなった他に、内容も徐々に変わってきました。「ねこちゃんとうさぎちゃん」という2匹が登場することが多くなり、全体に前以上にファンタジーの色彩が強まったと思います。それに比較的短い文章が添えられることが多くなりました。
Angelさんはこのイラスト送付のときに便箋1枚ほどの手紙を付けてきました。私は作品集をまとめるのに、これら手元に集まる作品をどう整理するのか考えました。それで今年(2025年)正月期間に、古くからのイラストや手紙を含め、時間順に並べて全体状況を表わす“素材集”をつくりました。
この“素材集”を基に年内に作品集をつくるつもりで作業を始めました。ところが3月に入ってから「文学フリマ・東京40」に出展する企画を知り、Angelさんの作品を準備していたのでこれに間に合わせようと考えたのです。
長い期間にわたり描きためた作品であり、その経過において作風や目的が変動してきたこと、仕上げともいえる時期に入って文章を加え、書き直す作業が加わったこと、しかも最後にはこの文章を手書きのものから活字にしようという事態が生まれました。
こういう事情で、掲載作品は50点ほどですが、編集製作作業は相当に複雑なものになりました。
細かなことは省きますが、こうしてAngelさんの作品集は、イラスト集やカット集とは違うものになりました。世に「絵手紙」という絵と短文を組み合わせたジャンルがあります。それと似ていますが文章は手紙ではなく、あるときは説明文でしたが、やがて見る側の人に絵の表現する様子を想像してもらおうとする意図さえ感じるものになりました。文章は説明というよりはファンタジーへの導入になってきたのです。ですが私はこれを「絵文集」と呼ぶことにします。
絵文集というのはAngelさんにとっては最終形ではないかもしれません。今現在は一定のテーマを感じさせ推測させる短文集というあたりです。このようなジャンルは私の勝手な推測の域を出ませんが新登場の可能性があるとしておきましょう。
作品集の名称をAngelさんは「BONHEUR」(ボヌール/よろこびの花)としたのは、こういう流れ見ると私なりには了解できます。確かにイラストやカット絵を超えた心の表現をめざしていると思います。
イラスト愛好者にとってはこのような変遷は参考になるのではないでしょうか。参考に見てほしいと思います。