公共交通もエッセンシャルワーク

人間が生活するのに欠かせないエッセンシャルワークには、直接に人に関与する対人ケアが重要な位置をしめます。この部分は家庭内ケアの部分が大きな割合を占め、社会の発展とともに家族・家庭の外側にそれを支える仕組みができ上がってきました。保育・医療・介護がそういう分野です。

対人ケアワーク以外のエッセンシャルワークとして明確なのが交通、とくに公共交通です。人間の歴史のなかでそれが明確になったのは近代に入ってからです。機械的交通手段、現代では電車、自動車と鉄道、道路によるネットワークでしょう。それ以前には、馬車や人力車がありましたが、公共性はそれほど高くはなかったでしょう。

猪木武徳さんの『戦後世界経済史』のなかに、公共交通について日本の例が紹介されています。ヨーロッパ諸国の鉄道事業が苦闘しているなかで、日本では2つの事業がそれをつき抜ける成果を挙げたからです。

1つは新幹線です。東京—大阪間に新幹線が開通したのは東京オリンピックの開催された1964年10月です。新幹線の開通により日本国内の輸送サービスへの需要の高さがさらに明らかになっただけでなく、諸外国(フランス、英国、西ドイツ、イタリア、米国など)が高速鉄道の開発を企画する契機にもなりました。日本の新幹線は、高速、フェールセーフという特色以外に、広軌(標準軌道)、変電の集中制御、雪対策、信号装置の作動を先行列車との車間距離によってコントロールするなど、多くの新技術を集大成したものでした。

しかし、日本の国鉄の経営も70年代末には壊滅的状況に陥っていた。25兆円を超える負債、年々の収入の4割近くがその負債利子の支払いに向けられ、42万の職員の人件費が収入の7割弱を占めていた。それでも毎年1兆円の設備投資が行われ、民間企業では考えられない非合理的な経営が行われていたからです(p292)。

ここで1987年の国鉄民営化です。「日本政府の臨時行政調査会は、1982年に国鉄の分割民営の方針を打ち出し、1987年4月に民営化が実現した。分割の境界の決定、組織と人事制度の改変、財産の再配分、規程の変更など、多くの困難な作業を伴ったこの民営化事業は、結局23万人の人員削減という苦痛とともに、ようやく11年間で1兆5000億円の負債を減らし、黒字経営に転換できるところにこぎつけた」(p293)。

この結果を1988年9月フランスの国鉄国際局長の談話が引用されています。「日本の鉄道は世界の鉄道に2つの大変大きな貢献をしてくれた。それは新幹線と国鉄の民営化だ。日本の新幹線の成功は世界の鉄道の旅客列車を滅亡から救った。日本国鉄の民営化は大変な試みだ。フランス国鉄はいまのところ同じ道を歩むつもりはない。しかし、少なくとも鉄道事業が採算のとれる事業になり得ることを実例として示してくれた」(p293)。

私が18歳のとき新幹線が開通し、大学夜間経済学部の同級生Yさんが国鉄労働組合の下部役員を務めていることもあり、民営化に反対する労働組合の応援に行ったこともあります。今では公平に見て、新幹線事業は肯定的に評価できます。民営化については不明の部分はありますが、必ずしも否定的とはいえない気持ちです。

さて問題として考えているのは公共交通です。全体としてはどうでしょうか。北海道をはじめ“地方”といわれる各地で、JR(旧国鉄)の鉄道支線などは廃線が続いています。それを部分的に防ぐために自治体のいくつかが第三セクターを作って、地方線の維持を図っています。小規模な私鉄では鉄道事業以外の多角経営で鉄道の存続を続けています。バス路線への転換で住民の生活への打撃を少なくしようとする努力もあります。

この公共交通の衰退は、地方の人口減の直接の影響でもありますから、公共交通の面だけでは全体像を語ることはできないでしょう。公共交通は人口の多い都市域でも課題が生まれています。人口の高齢化と身近な商店街の縮小によるものです。ここでも自治体の動きとそれをバックアップすべき中央政府の役割があります。

私の住む隣接の墨田区では区営の区内巡回バスが運営されています。買い物“難民”、医療機関巡り、高年齢者増大…への対応策と言えるでしょう。公共交通はこれらの全体をみて考えたいのです。

低開発国でのGDP優先の工業化は国内を不安定にする

私が子ども時代をすごしたのは漁業集落でした。小学生のとき数人と浜辺に一緒にいたところ、近所のおばさんから呼ばれて一軒の家に入りました。「カマボコが出来たから食べてみて」ということです。魚肉の質が残る舌ざわりがするものです。現在の町中のスーパーマーケットで売られている肉質が均一で、品物の外側が薄いピンクで化粧されているカマボコとは全然違います。素朴で商品としては完成度の低いカマボコです。味は表現できませんが、うまかったことは確かです。

漁獲物(魚)という第一次産業の生産物を、加工業(第二次産業)に移すその現場、まさに家内工業です。ここがその後どうなったのかはわかりません。ただその田舎の漁業集落には現在1つの海産物生産・販売店があります。これが典型的な工業化移行とするには無理があるのは十分に承知しています。〔後で簡単な補足説明をするつもりです〕。

第一次産業(農村漁業、狩猟・畜産業)は食料と衣料・住居の原材料の生産現場です。それを維持(再生可能)にしながら、製造業にすすめる——いわば土台(下)から製造(上)に進めるという構造——のが正当な発展の道ではないか。その過程には、市場という販売(ときには輸出)状況とのバランス計算が入ります。こういうバランスのとれた発展が形づくられていないなかでの工業化計画が、とくに発展途上国で、いや業種によっては先進工業国でも遂行され、失敗を重ねている例を目にします。

発展途上国では経済産業を発展させるために、工業化を上から(すなわち政府主導)で実行します。うまくいく場合もありますが必ずしもそうとはなりません。私の思うところでは(1)当事者である生産者の状態や意見を取り入れる仕組みに欠けること、(2)上からの指示過程が上下(支配従属)関係になり、収賄の条件をつくり、構造を腐敗させること=ときにはこの不正常な過程が実務的・合法的なシステムとして機能しています。ここに私はGDP優先の経済開発計画の弱点を見る思いです。

猪木武徳『戦後世界経済史』(中公新書,2009)では、GDPにふれることなく、次のように論じています。制度優先論(権力を制限した政府により、人と資本を育てて経済成長に進む)と開発優先論(市場を重視する強力政府で経済発展が進むと政治制度の改良が進む)の2つの仮説(平たくいえば民主制と独裁制の対比)を示した上での暫定的結論といいます。

「現在のところ、人的資本、すなわち人間の知的・道徳的質が、成長にも民主化にも一番重要な要因と考えられること。政治制度は経済のパフォーマンスにとって二次的な効果しか持たないこと、第一次効果は人的・物的資本であること、人的資本の乏しい国(教育や道徳水準の低い国)でのデモクラシーの実行可能性はあやしく、人的・物的資本への投資から経済成長へ、そしてデモクラシーなどの政治制度の整備・確立という方向への展開の方が因果関係として重要だということになる。言い換えれば、貧しい国は独裁のもとで、人的・物的資本を蓄積し、ある程度豊かになった段階で、政治制度を改善する可能性も現実的な政策として考えられるということになる。この暫定的結論は、慎重に取り扱われねばならない。その独裁が誰の、いかなる体制か、によって結果は決定的に異なってくるからだ。さらに「ある程度豊かになった段階で、政治制度を改善する」と言っても、そうした権力の移行が平和裡に行われるとは考えにくい」(p371~372)。

私の感想はこうなります。農業集団化、工業化推進の失敗とその失敗を率直に認める政府・政治指導者は「制度優先論」に属する。猪木さんのいう暫定的結論ではなく、私には決定的結論になります。政治的民主制の社会では即断実行はできませんが、安定的にことを進めるのです。

農業集団化策はGDP優先策の失敗例

私の唯一の外国の知人はモザンビク人です。1975年同国が独立後に外務副大臣を務めた人なので、友人というにはおそれおおいです。
そのモザンビクで数年前にプロサバンナ計画という集団農業化が進められました。これには日本もJICA(日本国際協力機構)を通して協力していました。それに現地の農民団体が「小農は地球を救う」と反対し、集団化を達成することなく「目標は達成された」と宣言され終わりました。JICAの関与に反対していた日本国際ボランティアセンターがこれに関わり、この団体の一員がモザンビク入国禁止にされました。
私がアフリカ(このばあいはタンザニアとモザンビク)に関心をもったのは1960年代末から1970年代のことです。タンザニアではアフリカ社会主義という理想の下に農業の近代化、集団化が進められました。統計(数字)上では、農民家族の80%がその農業集団、ウジャマー村に属するとされているのを読んだ記憶があります。しかし内実は多くの問題を抱えており、自分所有の耕地の農作業が重点になり、集団農地は放置され、農業危機の恐れが生まれました。結局1980年ごろにはウジャマー村政策は公式に廃止されました。「廃止」という潔い決定をしたことはむしろ称えられます。
こういう結果は、タンザニアやモザンビクに始まったのではありません。ソ連のコルホーズ、ソホーズ(国営農場)でも、中国の人民公社も失敗しました。農業を近代化するには集団化し、機械化や化学肥料により生産高を高め、輸出農作物を大量に生産する——政府・政治指導部はそのように考えたのでしょう。
農業に従事する農民や農業労働者が毎日の生活に必要とするものは何か、生産意欲の視点の欠如です。GDP(国内総生産)を優先し、国民の生活に求められた農業・産業発展計画ではなかった——それが全部の理由とは言いませんが——のです。
日本では戦後(1945年以降)の農地改革で、地主的所有関係は自作農育成が行われました。地主的所有関係は集団的農業には進まなかったのはよかったと思います。もっともそれで十分満足とは行きません。1960年代中ごろ以降(すなわち高度経済成長期以降)の動きです。農業・農村軽視がいま日本の農業の衰退につながっています。
日本の経済発展計画はある程度発達した状態において高度経済成長という工業化、重化学工業化が進められました。それに伴うエネルギー政策、交通ネットワーク(鉄道・道路、運輸・通信など)づくりが考えられました。なかなか難しい計画策定と実施ですが、1980年代までは世界的には大成功の部類に入ります。しかし、その動きの中心には現場の生産従事者(当事者ともいえる)、国民の中心部分はいなかったことが、1990年代以降に表面化したのです。
経済政策は、多くの国民の利害が関係する難しい問題です。政治(とくに政府)指導者の指令で決める方策では現実離れしてしまうのです。

GDP基準の開発計画の歪み

私は中学時代に社会科で2つの珍しい経験をしました。1つは教師から質問をされる前に答えたこと、もう1つはテスト問題配点10点のところ20点をもらったことです。1960年のころであり、この中学校の教師たちの雰囲気が表われていると思います。このエピソードは自作エッセイ集『アスペルガー気質の少年時代』(2025年4月,500円・送料210円)に所収。
宮脇先生は理科担当ですが、近くにきたとき「きみは社会科が得意というので聞くけどね…」と話しかけてきました。私は瞬間にフッと感じるものがあり、質問される前に「コルホーズですか」と返していました。当時は農業の集団化が話題になり、ソ連の集団農業コルホーズが教師の中でも話されていたと考えられるのです。理科の教師であることも1つのヒントで、社会科に関してはそう細かなことは尋ねられないと思ったのです。
コルホーズ、農業の集団化はその後失敗しました。ソ連邦崩壊の遠因の1つでしょう。しかしそれはソ連(ロシア)だけのことではなく、中国の人民公社、タンザニアのウジャマー村なども失敗しています。この点は改めて述べます。
もう1つの「テスト配点10点のところ20点」は社会科の期末テストで担任は山崎先生でした。設問は「加工貿易国日本の未来」。テスト用紙の下方に10㎝幅の空白があり、そこに文章で答える形でした。私の回答はテストの裏面にまで及び、たぶん20行近くになったと思います。どのように書いたかはうろ覚えです。「後進諸国で工業が発展しても日本はさらに先に進むので、加工貿易国はしばらく続く。遠い先はわからないがその時には別の条件が出てくるので解決策は出てくるだろう」。回答内容は今になって推測です。山崎先生はこの部分に20点をつけました。別の個所でミスがあり満点ではありませんでしたが、テスト合計は100点を超えました。
工業化や重工業化は、とくに発展途上国の経済開発政策として多くの国が採用しました。しかしその結果は必ずしもうまくいったとはいえません。それは各国の経済生活の基本である第一次産業、とりわけ農業の発展とのバランスが大事であり、工業化もまずは軽工業である繊維産業や食品加工業を大事にしなくてはならなかったのです。現実にその部門で働いている人々の状態、現実や意見を取り入れないで理想を語る政治指導者の指令によって進めたことに関係する——これが私の得た感触です。
この2点は猪木武徳『戦後世界経済史』(中公新書,2009,940円)を読みながら浮かんできたことで、GDP(国内総生産)の増大を優先した経済開発によります。私はGDP偏重の経済開発策の限界を見る思いがします。

社会的経済活動は定量的、家族内の活動は定性的

子どもが生まれてから成人するまでの過程がすべて親の子育て期間です。子どもの生育・成長とともに、子育てもその程度や内容は少しずつ変わり、子どもは相対的に自立していきます。

生後すぐの時期は〈乳児〉であり、ほぼ完全に親またはその代理者が世話(ケア)をします。だいたい2~3歳ころから〈幼児〉の時期になり、多くは小学校入学前の6歳ぐらいまでが相当します。この乳児から幼児にかけて家庭の外側(社会)にできたのが、保育所や幼児園などの援助施設です。

就学以降は学校(およびそれに準ずる場)が対応施設で、教職員が重要な役割をします。教育は教員中心ですが、中学校、高校に進むにつれて個人差の大きくなり、養護教諭、教育相談員(カウンセラー)などと関わる人も出ます。学校以外の生活場面も広がります。保育の延長としての学童保育は学童保育指導員がいます。個人によっては各種のスポーツ・運動クラブ(コーチ・指導員)、文化活動的な習い事(ピアノ教室、英会話教室、絵画教室など)、それに学習塾は多くの子どもたちが通います。この就学時期(小学校・中学・高校)になっても親(家庭)の子育ての役割は続きます。

かつて中学校卒業時点(15歳)で仕事に就くのか、進学に進むのかの分岐点でした。私は山陰の田舎育ちで1960年ごろの高校進学率は60%程度でした。全国平均的にはもう少し高かったと思います。高度経済成長期(~1970年初めまで)を通してこの分岐点は、高校卒業時まで移動しました。私は1964年に高校卒業とともに就職し、同時に夜間大学に入学しました。2000年以降はこの分岐点の中心が大学卒業時まで移動していると思います。

分岐後は生活の中心が仕事か学業かに分かれます。仕事に就いた人は、親の子育ての半分はなくなります。なお進学し学業を続ける人に対しては基本的には親の生活費負担は続きますが、奨学金(当人にとっては就職後の負債返済)を受けたり、アルバイトによってある程度の収入を得ます。

子育てと子どもの教育期間を通して、親(家庭)は、生活費と家族内ケアを求められ実行します。この家庭内ケアの部分は、家庭外に支出される学費、生活費、文化活動費…などと違って、経済的な評価の対象から外されています。すなわちGDP(国内総生産)に計算されません。家庭の外の活動は基本的には金額により定量的に計算されます。家族内のことは全部金額計算されません。その活動を私は定性的(質や状態)に評価してもいいと思います。金額評価できるかもしれませんが、判断材料は〈時間〉はどうでしょうか。自信はありませんが、家庭内ケア、子育て活動を時間単位で表示できるとすれば……どうなるでしょうか。

家族内ケアの評価は私の知る範囲では同種労働の市場価格を参考にする方法が試みられています(「 家事労働を金額評価する基準作成の動き 」を参照)。また子育て手当などの支援制度もあり、これは定性的評価につながるかもしれません。

12月20日はセシオネット親の会

11月の会は親の参加が3人、ひきこもり経験者2名に松村さんと松田の7名でした。世のいろんな事情とともに親の会らしい内容でした。その感想を「人材派遣会社と清掃作業」と「家族介護援助サービスという視点」として書きました。

ひきこもり経験者が参加する親の会にするには「なお自然な流れに従う」のが必要だと思います。しかし、11月の会合はちょっとした糸口になったと思います。基本的には親側とひきこもり経験者に共通するテーマが求められています。予定してはいませんでしたが、11月から取り組み始めた「アンケート」がその材料になりそうな気配がします。

回答のなかに《ひきこもり支援というよりも、どのような社会(国)にしたいか、という課題になる》という言葉があります。私の考えと重なります。これが全体の姿を表しているとすれば、個別の要望も書かれていました。《ACT(重度精神障害者に対して、24時間・365日体制で訪問医療)を普及してほしい》とか《公的な家賃補助の制度があれば助かる》です。これからもアンケートの中にいろいろな状態とそれに即した要望が書かれてくると推測できます。

今の時点でその全体像を描くのはいささか無謀とも言えますが、ある程度は推測できます。エッセンシャルワーク(人間の日常生活を維持するために不可欠な仕事)に関係することが優先。個人・家族が関係する衣食住(家族ケアや水光熱)、その次に公共交通など地域の要件も公益的なエッセンシャルワークを構成しています。これは地域環境に関係することで自治体や国の課題になります。

順番としては「ひきこもり」に関係する場を考えた要望がまずあります。それを「社会(自治体と国)」の場に進めていきます。そういうことを期待して次項に紹介するアンケートを多くの方から送られるのを待っています。あわせてこのまとめを一緒に考える人がいれば嬉しいのですがどうでしょうか。少なくともセシオネット親の会で親とひきこもり経験者が一緒に話し合うテーマにして行けたら…。急ぎませんがそういうテーマを意識のどこかに置いた親の会になればいいのですが。

☆12月のセシオネット親の会

セシオネット親の会の定例会は毎月第3土曜日、午後2時~4時です。12月20日(土)14:00~16:00 ★曜日・時間に注意場所は助走の場・雲:新宿区下落合2-2-2 高田馬場住宅220号室参加等の連絡は、松田(open@futoko.info/03-5875-3730)までお願いします。

アンケート募集中ですが〔改訂〕しました

「長期ひきこもり経験者へのアンケート」をお願い中ですが、内容を少し追加しました。既に数人から返事をいただいているのですが、再度〔改訂〕を送ります。
初めてアンケートを送る人には返信用封筒を同封しますが、2度目の方には返信用封筒はありません。通常の郵便封筒に送信者無記名で送ってください。
*返信用封筒は期限を過ぎていますが、送信者の所在地がない場合は不登校情報センターに送られてきます。全部で500人近くにアンケートを送りましたので、返信用封筒の手持ちはなくなりました。

内容面で追加したのは〔4〕の(2)に「家事・家族ケア」の項目を作りました。また〔4〕の(1)に「技術・資格取得準備」「習い事」「創作活動」を追加しました。
40代・50代の人を想定していますが、20代の人も60代の人からの返事も貴重で、期待しています。全体が分かれば対比の中で特徴が鮮明になると思うからです。
対象当事者が複数いましたら、申し訳ありませんがコピーをとって一人ずつの回答にしてください。
本人ではなく家族(父母・親戚・きょうだい等)からの回答も歓迎します。
ネット上にもアンケートを載せましたが、ネットを通しての返事は多くを期待できないと想定しています。

回答の結果は会報にも特徴などを適時、掲載していきます。
回答者の中に面会できる人もいます。その人への問い合わせには4方式を答えました。
《ぜひ会って話を聞かせてもらいたいです。(1)あなたとは連絡が途絶えている人で、私から連絡できそうな人(1人でも2人以上でも)がいれば一緒に会う方法を考えたいです。(2)あなたの友人・知人と呼べる人と一緒に会う方法もあります。(3)2人だけで会うのもいいです。(4)親の会にひきこもり経験者が来て話すのでそれもあります。親の会では話しづらいこともありますが、終了後の時間が取れればうまくいくかもしれません。》
結果としてこの方とは「(3)2人だけで会う」ことになりました。回答にはいろんな事情が書かれていましたので、詳しく聞けるでしょう。
アンケート回答するときに面会を希望する方からの問い合わせも歓迎します。返信用封筒に入れるのではなく、FAX・メールによる別の連絡も可能です。

家族介護援助サービスという視点

「働くに働けない状態の人/ニート」の人に対しては、1つの制度として訪問介護の際に家族が協力する場合を想定して「家族介護援助サービス」が考えられます。これは松村淳子さんがある事実に基づき発言したことで、私なりに文章化してみました。

高齢者の介護は家族内ケア(エッセンシャルワーク)の1つであり、ますます重要な役割をもっています。それなのに介護サービスの提供事業者は経営面だけではなく、ケアワークのスキル向上も大変です。

これまで私がよく聞いていたなかには、ひきこもり体験者は家族内の高齢者や障害者に「丁寧で優しく対応している」と聞くことがよくありました。数人がいましたがそのうちの1人に「介護職に就いては?」と勧めてみました。完璧にやり遂げる気持ちでいる本人は「とても出来ません」と返してきました。

私は介護事業においては介護施設や医療機関からの自宅への訪問サービス、送迎型サービスが有意になるのがいいと思います。そういう訪問や送迎の介護を含めて、介護を受ける側の家族の協力がいい役割をしているのを見聞きしています。しかしこれらは介護職員によるサービス業務とは違い、公の制度として認められていません。家族の立場での援助は介護職員の仕事と違って介護保険の対象外なのです。私はこの話を聞いて「介護保健」とは別枠の福祉サービスとして「家族介護援助サービス」を公的な制度として設けてもいいと思いました。

11月26日の新聞記事です。《衆議院議員が国会を欠席できる理由について、育児・介護などを明記する衆議院規則の改正案が25日、衆議院本会議で全会一致で可決された。欠席理由の例として、これまで「本人の出産」と「事故」のみ記載されていたが、実態に合わせて「配偶者の出産」「育児」「看護」「介護」「不妊治療の係る通院」も列挙した。》

「実態に合わせて」としているが、こういう実態は遠い昔からあったわけではなく最近になって定着してきたものでしょう。家族介護援助サービスは相当昔からあると思えます。それを公の制度に認めていく取り組みが生まれても不思議ではないでしょう。

家族介護援助サービスという公的な福祉制度が整えば、ヤング・ケアラーとして社会問題になっている(子どものばあいは広義の虐待になるらしい)ことにも、1つの視点が、改善の手がかりが得られるように思います。家族ケアや家事労働には、他にもこういう視点からとらえ直せるものがあるかもしれません。

人材派遣会社と清掃作業

就労支援A型作業所/B型作業所、就労移行支援事業所などが、「働くに働けない人」たちの福祉制度につくられています。また若者サポートステーション(サポステ)が就労支援として制定されています。「ひきこもり支援としてこれらは役に立たない」とも言われ、おおかたは当たっていると思いますが、長期的には別の評価も必要になっていそうです。

これらは職に就けない「失業者」とは異なるカテゴリーで、福祉的視点、就業支援の視点から設置された中間的な制度です。11月の親の会で話されたなかに、人材派遣会社が職業安定所(ハローワーク)を補充する役割をした話がありました。これまでは一部のハロワに障害者枠という特別の窓口があると聞いていました。しかし、それとはまた別の動きかもしれません。おおよそ就業移行支援に似た役割かもしれません。

ある人が材派遣会社を通して1つの会社に紹介派遣されました。人材難を何とか解消し、継続的に働く人を補充したい会社=清掃会社です。清掃作業を続けてきた人が、この人材派遣会社から紹介されてきた会社で働けるかもしれない感触をつかんだ話です。働こうとする側と安定的に雇用を増やそうとする会社側双方の意向があって、雇用に結びつきそうな話です。

この傾向は、企業社会の雰囲気が徐々に働きやすい状況をつくり出そうとしている一端を示しつつある例になるのです。特別に「人材難」が生まれる今の時期だから企業側は特別の対応を示しているだけといえるのかもしれません。しかし、時期が過ぎれば元通りになるかといえば必ずしもそうではないとも感じるのです。

こうした動きのなかで、私は「清掃業」を改めて見直しました。それは「軽作業」のサービス業といいながら社会的には欠かせない労働です。それはきわめて多様です。掃除の場所、室内(集合住宅、企業、商業施設、公共機関)、室外(公園、道路、スポーツ施設…)、人員(一人作業、チーム作業、交代制…)、時間(早朝、夜間、短時間、時間帯の不定…)、身分(常勤雇用、パート・アルバイト、ボランティア…)などきわめて多様です。さらに家事労働とその中の掃除作業にも及ぶものだと思います。

思うに小学校時代の教室掃除に始まり、高年齢者による地域社会の公共掃除まで、その間にプロの専門職的な清掃員(この場合、軽作業とはいえません)まであります。その多様多彩の状態のどこかにやりやすい場としてマッチングの可能性が生まれているのではないでしょうか。

男女ジェンダー平等のもう1つの基盤

Nくんの甥(姉の子ども)が20歳を過ぎて数年、結婚するらしい話が出されました。二人は同棲状態ですが彼女が妊娠したので「そのうち籍を入れる」とはNくんの予測です。これは今の時代の特徴的な結婚状況を表わしていると思います。すなわち従来からの結婚との違いです。同棲を始めて(ときには事実婚を意図して)、ある時期に正式に結婚(入籍する方法)です。

従来の結婚の説明は省きます。同棲から始まる結婚は必ずしも結婚に結びつくわけではありません。両者の同意を、一定期間の生活経験によって確かめているわけです。これは世の離婚率が高くなっていることと関係すると思います。「生活を共にする」というのは十分に予測できるわけではなく、「やってみなければわからない」面があるからです。これは特に女性側の意識の向上と関係すると思います。

さてフランスでは、全く日本と同じとは言えないでしょうが、この二つの婚姻関係を制度として確立しています。一方は結婚であり、もう一つは「PACS=パートナー契約」と呼ばれます。自治体(市町村)に両者合意の署名書類を提出する点は同じです。この婚姻関係を解消する方法が違います。パートナー契約は一方の側の通告により法律的な離婚が確定します。日本で広がりつつある結婚前同棲はPACSとは違いがありますが、女性の社会的進出を反映した新しい婚姻制度が実際的には進行中である点で共通しています。

フランスでは数十年前に子どもの出生数は減少し、人口減が大きな問題になりました。それが最近ではさほどではない状態になっているのはPACSの広がりによるといわれています。しかし日本でどうなるかを同じようになるとは言えません。日本もフランスも、深い社会の動きとして、女性の社会的地位が向上し、男女差が(不十分とはいえ)縮小しているとうかがわせます。日本では同性婚が自治体の「パートナー宣言」により承認されてきましたが、夫婦別姓は認められず、この婚姻関係の不利益を主に女性側が負っている事実が続いています。

私がこの1年間をふり返って考えてきたのは男女ジェンダーの平等の基盤には、「家事・家庭内ケア」という女性が中心に担う役割を評価する点でした。婚姻関係の新しい姿の広がりもそれに次いで男女ジェンダーの制度という視点が重要であると考えます。