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そして素人目による医療分野のこと

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そして素人目による医療分野のこと

*会報『ひきこもり周辺たより』6月に少し加筆。

川崎市でスクールバスを待つ小学生などへの殺傷事件が発生しました。
詳しくはわかりませんが、容疑者は「ひきこもり的な50代男性」とのこと。
こういう形で8050問題が社会の表面に出てきたことは驚きですが、同時に「そうなったか」とどこかうなづけるところもあります。
不幸な形で事態が表面化したのです。
ひきこもり問題、8050問題を軽視ないしは知らんぷりで通り過ぎようとしている社会への強烈な警告ではないでしょうか。
表面的な対処で進めようとしても、ひきこもり問題の「ほんの表面をなでる程度の対処にしかならない」のです。それを印象付けました。
このような事件の続出を危ぶみます。
私が『スクールガイド』の編集で始めた方法をやり直すハメになったのと重なってみえました。
基本に戻り、根底からとらえ直す、正面から直視する、そういうスタンスが必要なのです。
少なくとも私には2006年に『ひきこもりー当事者と家族の出口』を書いたときにはこの深刻さは予想できたことです。
いや不登校問題を取り組み始めたもっと前の30年前にすでに「不登校のなかでもひきこもりの問題は、社会構造全体を揺るがす」と予感していたように思えるのです。
ひきこもりは本人の資質や問題、心理療法が有効、就労の形で解決する、福祉として取り組む…いろいろな取り組みがされ広がってきました。
それぞれ有効な面があり、貴重な知見の蓄積がされてきました。
それらの取り組みをそれぞれ評価もしますが、困難な面を後回しにしてきたことに変わりはありません。
そのぶん本人の抱える苦悩や家族の困難はどこかに置かれたままだったのです。
当事者の意見や気持ちを横に置いて、あからさまな言い方をすれば費用をかけず人も場所も用意せず、当事者と家族に任せっきりにされてきたのです。
とりわけ政治と行政部門の失政と無責任が招いたのではないかとさえ思えるのです。
手軽にできることで進められたというよりも、何か違うものが対応策に持ち込まれてきたとさえ思えます。
私は何かわかっていたかのように話していますが、実際は私も同罪です。
そうならないようにしたいと思いつつ時間は過ぎてきました。
本人の資質問題や心理療法の役割を認めつつそれに限定しないでおこう。
就労は解決策になることもあるけれども誰にでも該当するわけではない。
起業型は人によってはいいけれども困難は多く成功率はきわめて低い。
制度としてひきこもりを判断する公式の担当部門がないのが対応を消去させている(不登校は学校長が判断するのに!)。
福祉として取り組むのは視界を広げられましたが個人の可能性を奪うこともありうる。
医療的な対応以上に社会的な対応が重要ではないか。
詳しくたどればさらにいろいろなことを考えてきたことは確かです。
川崎市での小学生への殺傷事件はこの状況へのチャブダイ返し事件です。
何とかしなくてはならない。それだけではなく根底的なところに目を向けて対応しなくてはいけない。
当事者のところに目線をおいて対応策を考えなくてはいけない。改めてそう気づかされた気分です。
「ひきこもりの問題は、社会構造全体を揺るがしている」のです。

偉そうなことを言いましたが、わが身を振り返るとほとんど無力で、何の力もありません。
ただ自分にできることをしよう。改めてこれからも自分にできることを考えて取り組もうと思い直しました。
昨年から「社会的な条件として何が必要か」を具体的に考えてきました。
一人ひとりの条件に合った前進を期待しつつも、社会全体との関係、社会の歴史的な変化の状況を合わせてみなくてはならないと思えたのです。
具体的にはいくつかを文書にまとめました。
先月の会報にも書いたことと重なりますがもういちど要点を書き直してみます。
(1)事業者(企業など)が、ひきこもりの居場所を開設し、運営する提案を考えました。
ひきこもり問題は社会全体で取り組まなくてはならないと叫んでも、受け取る直接の手掛かりを持つ人は限られています。
しかし、求人難・後継者難の事業所を働けるようにできるならそこを対象に呼びかける手があると考えたのです。
このアピールはハードルが高すぎて本当の意味で応えてくれたところはありません。
しかし、将来的には何らかの形で実を結ぶはずなので、取り下げる気にもなりません。
社会全体に呼びかけても素通りするでしょうが、個別の事業者なら気にかけてくれるかもしれないと思うからです。
行政部門が介在できる可能性があるはずです。
(2)ひきこもりの経験者が相談窓口や居場所に行くときの交通費を公的に援助する方法を考えました。
ひきこもりの経験者が動きやすくなれば、相談窓口やNPOなどの支援団体への協力と公私両部門の関係を強める役割をすると考えています。
公共交通機関の役割を評価し直すのは、大きく変容している社会構造から見て、ひきこもり問題に限らず国と自治体にも求められることでしょう。
(3)就業するときの社会的な条件に「高校卒業」が事実上の前提になっています。
ところが「高校卒業」でない人は少なからずいます。
年齢を問わず高校卒業になっていない人が学習に手をつけるところから「高校卒業認定試験」が取れるように援助する方法です。
シングルマザーなどが働ける条件をつくるためにいくつかの自治体で始まっています。
これを高卒資格のないひきこもりの経験者に広げる意味があります。
高卒資格試験を持つことは大学を卒業している支援者などには想像できないくらいの社会的・心理的な意味があります。
(4)他にもひきこもりの当事者の状態に即したこと、例えば「週5日、9時―5時の就業は不可能である」高年齢化したひきこもり経験者の現状に基づいて社会的な役割をする環境条件をつくることも考えたいです。
衣食住にかかわる基準的な生活条件をこの形なら可能性があると提起したいと思います。
食品ロスや空き家対策にもなるはずです。とくに創作活動の分野でも何かできないかを探っています。
(5)私個人としては、当事者や家族の個別の相談を受けながら、状態に沿ったできそうなことを探して進んでいくつもりでいます。
時間の許すかぎり相談と訪問と同行を続けるつもりです。

医学・医療に関することを「素人目ながら」まとめてみようと、5月号で予告しました。
2006年に『ひきこもりー当事者と家族の出口』(子どもの未来社)を書いた当時には知らなかったことがわかり始めました。
ひきこもりになる背景理由は多種多様であるとされます。しかしそれでは何もわからないとほぼ同じです。
もっと具体的な例から見なくてはなりません。先天的な要素が作用する場合があります。
発達障害とか性的マイノリティーなどの場合です。私の知る限りではそのタイプのひきこもりの当事者はエネルギーがあり、行動的でもあります。
もちろんそういう人ばかりではないでしょうが…。
他方では動きの少ない、感情抑制的な凹型と思えるタイプの人が多数を占めます。
ひきこもりになる人には、虐待やいじめを受けた人が多いことはよく知られていました。
多くはこの凹型タイプの人です。
『当事者と家族の出口』のなかでは、虐待とは言えないけれども「虐待の周縁にある躾」≒「無意識の、善意の、執拗な愛の嵐のなかで呻吟する子ども・若者」と著わしました。
これらの人は後天的な経験による結果のひきこもりです。
脳科学者の友田明美さんは、虐待や暴言などを受けた人が脳への悪影響を及ぼしていることを証明しました。
前頭前野が縮小する⇒感情や思考を抑制し、行動の抑制ができ難くなる。
聴覚野が変形する⇒コミュニケーションのカギを握る聴く力を抑制する。
視覚野が縮小する⇒見たくない情景を見ないですむように適応する。
これらをMRI(磁気共鳴断層撮影)画像によって示したのです。
脳は自分を守るために変形(縮小して抑制)したのですが、それがその後の人生に重要な影響を及ぼしているのです。
友田さんはこれらをマルトリートメント(不適切な養育)と提唱しています。
友田さんは小児科医ですが成人対象ならば(不適切なかかわり)の訳語がいいでしょう。
症状はマルトリートメント症候群になりますが、医学の世界ではまだ公式な診断名とはされていないはずです。
別の医療現場からは虐待などを受けた子どもの胸腺が極端に縮小していると立証してきました。
これも攻撃から自分を守るための作用と思います。
しかしそれは体内の免疫システムを弱め、アレルギーや自己免疫症の原因につながると指摘されています。
私がこれらを知ったのも昨年のことです。
虐待やいじめやマルトリートメントは、その場だけではなく長い人生に悪い影響をすることを明らかにしました。
そして後天的な背景理由ならば、回復の可能性も期待できそうです。
そうはいっても子ども時代ならばともかく、高年齢化している人には同じように医療によって回復を期待できるとはいかないでしょう。
それに加えて、医学・医療にひきこもり問題に対応する全体をお任せする気持ちにはなりません。
研究が進めば、状態に適した医薬品も出てくるでしょう。
臓器医療の進歩により想像を超えた治療法や新技術も登場するかもしれません。
しかし私には医学・医療の対応以上に、対人関係と社会関係のなかでの回復力により多くを期待しています。
友田さんの言葉です。
「虐待やマルトリートメントは関係性の病理ですから、子どもと親あるいは養親との愛着関係を再構築しなければなりません。いまは核家族化し、「孤育て」になっています。社会が子育てを支援することが必要です」。
これは社会的な治療を呼びかける言葉です。
子どもが成長した後の状態に当てはめるとどうなるでしょうか。
根本的なのは回復を遂げられなくても、その状態のままでも安心して生活できる社会にすることです。
社会的な治癒力はそこに向かうでしょうし、求める社会像はそこから生れます。
上に示した社会的な方法は、未完成ですがその過程を考える役に立つものだとも考えるのです。
ひきこもり当事者に限らず誰もが安心して生活できる社会をつくることが目標になります。
◎参考⇒友田明美

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