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勤労の義務

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勤労の義務

働かなくてもいいよ~就労や自己責任の呪縛から解き放たれよう
■50年はプラブラ
人生は長くて90年で、そのうちフルに働いたとしてもせいぜい40年ほど、あと50年は「学生」したり「子ども」したり「高齢者」したりと、人はブラブラして過ごす。
我々の社会というかこの近代社会は、なぜか「労働」ということに過剰な意味付けをしているようだ。
よくわからないが「国民の義務」にもそれは入っている。
国民というか、市井の人々を管理する権力サイドからすると、働いてもらわないと困る、ということらしい。
だがさまざまな事情(高齢ひきこもりとか精神障害とか発達障害とか)があって働けない、あるいは働くことが持続できない人々はたくさんいる。
また、家庭が裕福で働く必要のない人々も前者よりは少ないもののいることはいる。
後者の方はラッキーだとして、前者の方(働けないあるいは働くことが持続しない)は、そんな無理して働くなくてもいい、というアタリマエのことを僕はあらためて言いたい。

というのも、少し前に当欄で親亡きあと、生活保護で何が悪い?~高齢ひきこもりという記事を書いたところ、何人もの方から、
「それでもやはり就労にチャレンジすべきでは?」というご感想をいただいており、それらの方々はすべて「支援者」の方だという事実がある。
社会規範とは、人々のそんな「アタリマエ」から形成され、強固なものとなる。
それは根深く社会に定着し、働けない者の心を直撃する。現実としては働けない、あるいは働くことが長続きしない。
それは当人の弱さも原因の一つではあるが、それよりもどちらかというと昨今の「企業のブラック化」のほうが大きな原因だと僕は思う。
■ブラックとトラウマ
ひきこもりの原因が不登校から就労の挫折に移った今、意を決して働いたもののその職場がたまたまブラックであり、
そこでトラウマを刻印され退職し再びひきこもるというパターンが珍しくなくなっている。
そう、働くことは危険になっている。
非正規雇用4割、正社員でも長時間労働が当たり前の今(働き方改革などはまだまだ少数派だと思う)、下手して働くと再び傷ついてしまう。
ひきこもりの原因が就労現場での挫折が中心を締め、そのトラウマを抱えつつ再び長期のひきこもりに突入した人に対して、
「それでも働け」とは僕にはとても言えない。
むしろそうした人々の存在が、この社会にしつこくはびこっている就労規範を打ち砕く契機になるかも、と期待もしている。
が、そうした人々に対して、世の青少年支援者たちは「働くことはできる」と言ってしまう。
もう、いいんじゃないでしょうか、その「働くことが第一」の価値から降りてしまっても。
政府は40代になっても就労支援し続ける的な政策提案をしたが(「氷河期世代」を集中支援=安定就労へ3年計画策定-諮問会議)、
こんな状況になってもまだ国は人々を働かせるのか、と僕はいやになった。
■「自己責任」はコミュニケーションの根源を知らない者がいう愚かな価値
働けない人は現実として働けないし続かない。非正規とブラック社会の我が国は、弱い者をそれでも「働け」と追い込んでいく。
そもそも、働くことがそんなに価値があるか?
高齢化した母を手助けして、布団を干したり買い物に行ったりカボチャを切ったり(いずれも体力仕事)することも大事ではないか?
あるいは、親がささやかに行なう家庭菜園を手伝うことも、その家族的には大いに助かることではないか?
あるいは、なんらかのかたちで関わり始めた「居場所」的な施設(たとえば子ども食堂)で、
ボランティア的にその施設を応援することも立派な社会貢献ではないか?
あるいは、地元の福祉系団体が行なうバザーを手伝ったりするのも、その人ならではの温かみを醸し出す作業になるかもしれない。
そう、働けない人は働かなくてもいいんだよ。
「働くこと=善」はここ200年程度で形成された価値に過ぎないと僕は思うし(それ以前は規範ではなく生存のための手段だった)、
働かないかわりに何かできることがあればそれを行ない(無理して行なわなくてもいい)、生活保護や親のカネで生活してもなんら問題ではない。
我々は「他者」なしでは生きていけない。
というより、自我の形成は他者によって行なわれる。
また、自己は常に他者に取り囲まれ、他者の力によって生かされている。
それが「コミュニケーション」の根源にある。
「自己責任」なんて、コミュニケーションの根源を知らない者がいう愚かな価値だ。
そろそろ就労なんていう近視眼的な価値から解き放たれ、人間同士が助け合い、社会の中で個が生かされる「ヒトの根源」に戻っても僕はいいと思う。
人は長生きして90年程度。働くのも悪ではないが、喜びのなか、自由に生きることこそが最善の価値だと思う。
頼るところは他者に頼り、頼られる者は頼られることを誇りとする。
そして、その頼られる者(税を払う人々)も、いずれは誰かを頼ることになる。
これからの少子社会は、このような「誰かを頼ってもよい社会」になったらいいと思う。
今の、新自由主義的な殺伐とした社会は最低だ。
それで90年気持ちよく生きることができればいいのではないでしょうか?
田中俊英
〔2019年7/4(木) 田中俊英 一般社団法人officeドーナツトーク代表〕

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