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Center:(5)親の会の設立と支えてくれる協力者

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(5)親の会の設立と支えてくれる協力者

2001年の秋のもう一つの成果は、引きこもり等の親の会の発足である。
5月の「引きこもりから社会参加へ」の講演会の場で、親同士の交流会がもてた。
その交流会は毎月続けられ、参加者も少しずつ増えていた。
そして11月になって「IINA会」(いいな会)という名称で正式に設立された。
親の動きと子どもの当事者の会の関係をここでみておこう。
親の会の参加者の子どもの当事者の会への参加は少ない。
当事者の会のメンバーの親の会への参加も少ない。
親子の両方が、親の会と当事者の会にそれぞれ加わっている割合は10%程度である。
一般的に、当事者の会に参加する人(できる人)は、引きこもりといっても、その真ん中にいる人というよりそれを抜け出し、引きこもり経験者というべき人が多い。
引きこもっていた状態から外に出、友人づくりやコミュニケーションを求めるレベルの人たちである。
親の会に参加する人の子どもたちは、多くはまだそこまで達していない。
引きこもりの最中か、親子のコミュニケーションがとれていない、人が集まる場に入っていけない・・・・・・などであり平均的な当事者の会の平和的な状態をみれば引きこもり途上の人たちである。
それでもこれははっきりしている。
親が親の会に参加する。親が不登校情報センターに足を向けてくる。
そういう動きが引きこもり状態の子どもを不登校情報センターに目を向けさせ、そのうち何人かは実際に不登校情報センターに、当事者の会に参加している。
私は、引きこもりの人をこの方法で、引きこもりの状態から抜け出す方法としてはむしろすすめない。
親がもしその方法にだけ頼るのなら、それは引きこもり状態の子どもをさらに嘆かせ、いやな気持ちにさせることになるかもしれないからだ。
引きこもり状態になっている人が何かを感じ、あるときは親に反発し、あるときは親に頼って、自分の行き先を探そうとするときに、この方法が役立つことを願うだけだ。
この説明は、親のなかにはわかりづらい人がいるかもしれないが、おそらく引きこもりに人には、少しは理解されるものだと思う。

2001年秋から2002年の初めにかけた動きのなかで、もう一人の特筆すべき人がいる。
ボランティアで参加した理代子さんだ。
まず彼女は鍋会というのを始めた。
人生模索の会が終わりに近づいた夕刻、希望者が一緒に食事できる準備をする。
1人300円ほど集め、鍋料理を作り、それを囲んで食べるのだ。
古くから「同じ釜の飯を食う」といわれるように、食事を一緒にすることは、人と人の間をつなぐ役割をする。
言葉とは別のコミュニケーションの手段になる。
理代子さんはもう一つの試みをした。
新聞部だ。
数人によびかけ「もさくだより」という新聞をつくった。
その創刊号は1月末に発行され「『人生模索の会』3月まで活動休止に」というのがトップ見出しである。
この事情は後で話そう。
この「もさくだより」は、2月にも発行され、2回だけで中断になった。
理代子さんが職場を変え、来れなくなったからだ。
だんだん暖かくなって鍋があわなくなったことも少しは関係している。
理代子さんは、当事者の会にとってのボランティアの役割や行動様式を考える一つの実例を示してくれた。
彼女はあたかも自身が引きこもり体験者の一人であるかのようにそこに溶け込んでいた。
だれかに働きかけるのだが、「させる」のではなく、自らそれに取り組んでいくことで、共感者や賛同者をつくり、「できそうだ」という気持ちにさせ、一緒にやるのだ。
この姿勢は受け入れられ、好評だった。
彼女が美人であることもこの好評の一員だったが、女性のなかからもファンがいた点を忘れてはならないだろう。

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