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Center:162-源氏物語と蜻蛉日記

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源氏物語と蜻蛉日記

最近読んだのが『日本文学の古典』(第二版、西郷信綱・永積安明・広末保、岩波新書、1966年)です。
正直なところ紫式部の『源氏物語』も、『今昔物語』などの説話文学も、吉田兼好『徒然草』などの隠者の文学も、芭蕉の俳諧も、近松門左衛門の悲劇もその意味するところに初めて触れた気がします。
万葉集や平家物語はこれまでも少しは感じるところはあったのですが、この本によってかなり意味合いの違うものになりました。

『源氏物語』の文学性はどこにあるのか
「一夫多妻制の生みだす女の不幸は宿世としてうけとられ、どうにも解決の道のないものとされていた。われわれは昔の人たちを現代から見下してはなるまい。問題の解決ということになると、どんな時代であろうとその時代に生きているかぎりどうしても超えるわけにはゆかぬ歴史的限界というものがあるわけで、その限界を追体験することが過去を理解するには必要である。
紫式部といえども、政治的には貴族社会の権威を否定することはできなかったし、文学的には『竹取物語』いらいの浪漫的な伝統から脱しきることはできなかった。そして女の不幸も、男の主人公を理想化し、彼を多情仏心の持ち主とすることによって、つまり観念的に「生ける仏の御国」を作り出すことによってしか救われなかったわけである」(38ページ)。
「それは有閑貴族の情痴文学などではない。この作品の価値は、爛熟し崩壊しつつある貴族社会において経験された魂の危機を内がわから、つぶさに照らしだしたことにある。そしてこの悲劇感覚の深さにおいて、『源氏物語』はこれまでの文学史を更新下のみでなく、恐らくは日本という風土の枠をもはみ出て、真の意味で国際的な文学の次元にまで到達しているといえるであろう」(42ページ)。

道綱母『蜻蛉(かげろう)日記』の文学性とは何か
「十世紀から十一世紀の平安朝の貴族社会には、どうしてあのように女流文学者が輩出したのだろうか。『源氏物語』な作者紫式部をはじめ、『蜻蛉日記』の作者道綱母、『枕草子』の作者清少納言、『和泉式部日記』の作者和泉式部、歌人の赤染衛門等。少しおくれては、『更科日記』の作者孝標女がでている。これは世界の文学の歴史のなかでもあまり類のない出来事ではないかとおもう」(43ページ)。
「『蜻蛉日記』の作者は、夫・藤原兼家とのあいだに経験された結婚生活の悲劇を、しつっこい筆つきでこまごまと告白的に描き出したのである。これは方法の上からいっても、文章の上から言っても、かなり大きな出来事であった。
だが、この日記は、夫婦間の葛藤をたんに女の立場から描いているわけではない。一人の男と一人の女がどんなにたたかいあったところで、その内容が何ら社会的なものになっていないならば、それは泥じあいでしかない。この日記の価値は、当時の一夫多妻という悪条件下で苦闘した一家庭婦人の告白が、同時に社会的矛盾の描写になっている点にある」(52ページ)。

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