Center:164-近松門左衛門の悲劇
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'''『曽根崎心中』'''―(元禄16年・1703年)<br> | '''『曽根崎心中』'''―(元禄16年・1703年)<br> | ||
「醤油屋の手代・徳兵衛と天満屋のお初とは愛しあっていた。徳兵衛はお初を、金で買う遊女としてではなく、一人の女性として愛するようになっていたし、お初もまた、遊女としてではなく、一個の女性として徳兵衛を愛していた。このような愛は、廓という秩序の中で、太夫との恋を人工的に磨く粋の立場から見ると、野暮であるともいえる。そして、一途で野暮なその恋は、廓の秩序を無視し、その結果、不幸をもたらす。つまり、不幸が人間性のあかしとなる」(168ページ)。<br> | 「醤油屋の手代・徳兵衛と天満屋のお初とは愛しあっていた。徳兵衛はお初を、金で買う遊女としてではなく、一人の女性として愛するようになっていたし、お初もまた、遊女としてではなく、一個の女性として徳兵衛を愛していた。このような愛は、廓という秩序の中で、太夫との恋を人工的に磨く粋の立場から見ると、野暮であるともいえる。そして、一途で野暮なその恋は、廓の秩序を無視し、その結果、不幸をもたらす。つまり、不幸が人間性のあかしとなる」(168ページ)。<br> |
2018年2月21日 (水) 16:25時点における最新版
近松門左衛門の悲劇
『曽根崎心中』―(元禄16年・1703年)
「醤油屋の手代・徳兵衛と天満屋のお初とは愛しあっていた。徳兵衛はお初を、金で買う遊女としてではなく、一人の女性として愛するようになっていたし、お初もまた、遊女としてではなく、一個の女性として徳兵衛を愛していた。このような愛は、廓という秩序の中で、太夫との恋を人工的に磨く粋の立場から見ると、野暮であるともいえる。そして、一途で野暮なその恋は、廓の秩序を無視し、その結果、不幸をもたらす。つまり、不幸が人間性のあかしとなる」(168ページ)。
「近松は、徳兵衛はお初を主人公にし、彼らが、封建的な束縛や金の力と衝突しながら亡んでいく「悲劇」をかいた。徳兵衛・お初の心中事件は、竹本座上演の僅か一ヵ月ほど前に、大阪でおこった実際の事件であった。しかし、手代と端女郎の心中などというものは、浮いた話しとも、あるいはまた、みじめな、あさましい話しともとられなくはない。ところで、浮いた話しはむろんだが、みじめな話もそのままでは決して「悲劇」にはならない。近松は、主人公のなかにある、ひたむきな欲求と、封建的な束縛や特権的な金の力との対立を正しく設定することで、「悲劇」を創造したのである」(170ページ)。
「近松は、そういう「悲劇」を創造することによって、逆に民衆の人間らしさを顕在化し、そこに、人間信頼をかけようとしたともいえる。ただこの場合、その人間らしさは、封建制をうち破ってゆくような力に支えられていないため、善良さと同時に、一見脱落者に近い弱さをもっている。…封建制とたたかう階級的な力をもたなかった時代のなかで、このような弱さを、九平次(油屋の商人=商業資本)のような強さと対立させ、そこに人間らしさを主張しようとしたのは、むしろ、近松の手柄であったといえる」(171ページ)。
『心中天の網島』―(享保5年・1716年)
「『心中天の網島』になると、近松は、もっと複雑に、もっと鋭く追求している。(172ページ)…商業資本の力が、封建的な束縛をたちきってゆくのに役立つようにみえながら、決して、封建的なモラルをのりこえ、新しい人間的なモラルをつくりあげていく力ではないことを、とらえているのである。…
しかし、なんといっても一番劇的なのは、おさんと小春(おさんの夫の恋仲)の関係であろう。(173ページ)…ここでもっと大事なことは、我が義理、女同士の義理という言葉である。おさんは一度、自分の頼みを小春にきいて貰っていたが、もし相手を対等の女として考えずに、金で身を売る女郎だと考えたなら、別に女同士の義理を(174ページ)感じなくてもよかった。ところで、小春は遊女としてではなく、一人の人間、一人の女性として愛情に生きようとしている。そして、一人の人間として生きぬこうとすることは、廓という檻の中に入れられた女にとっては、死を意味する。小春は死のうとする。
この死をもって生きようとする小春の全人間を、おさんもいまや全身で受けとめざるを得なかったのである。女同士の義理という言葉は、こうしたところにでてきた言葉である。それは、封建的な廓という檻や、また、封建的な家族制度を破って、二人の女が、女として、人間として向いあったときの言葉である。…
人間らしさは、いつも悲劇をうみだしたが、それは、ほかのいい方をすると、悲劇のなかでしか、人間らしさを表すことができなかったということである。近松が、心中の道行を美しく、ロマンチックに歌いあげたのは、悲劇のなかに、人間の美しさをみたかったからだともいえよう」(175ページ)。
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