●文通番号6-32  誰が誰を「許す」のか

ミズキ 〔東京都八王子市 男 37歳 無職〕

 今引きこもっている人が現状に至った過程には、個人によりさまざまな事情があることでしょう。何らかの挫折やトラブルという経験をきっかけに、誰かを「許せない」気持ちをつのらせて引きこもった人よりは、誰かに「許されない」苦しみから逃れるために、引きこもった人の方が多いのではないかと私は想像しています。

 イジメのようなケースはともかく、親や教師など社会の権威を帯びた立場から責められた場合、多くは「許されていない」ことに不当感よりは絶望感を抱いてしまうのではないでしょうか。

 しかし実際は親や教師による「勉強を、仕事を、努力をしないから」という理由による非難、懲罰もフィクションのルールに基づくものである以上、やはりイジメとなんら変わるものではありません。

 もし「自分は不当な理由で傷つけられている」という自覚や抵抗に必要な気力が備わっていれば、たいていの人は引きこもらずにすむのではないでしょうか。

 イジメっ子にせよ親、教師にせよ、あなたを過去に傷つけた「誰か」を許せればそれに越したことはありません。

 しかし別の問題についても同時に考えてみましょう。その「誰か(あるいはそれを操る誰か)」は今ではあなたを許しているのか、そもそも誰が誰を許せばあなたは引きこもらずにすんだのか。

 このようなことを言えば「過去にこだわるな、自分が楽になるために他を責めるな」という声が挙がりそうですが、「引きこもり」の解決を急ぐべき社会問題としてとらえるなら、これはやはり避けて通れぬ問いであると私は思うのです。

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