●文通番号15-11  「よい子」いまだ開放されず

ミズキ 〔東京都八王子市 男 38歳 無職〕

 子どもはよい子プレッシャーという大人の甘えから逃れることができません。私も絶えず「学校へ行きたいんでしょ、勉強したいんでしょ、どうなの? 」とYESと答えることしか許されぬ質問をつきつけられてきました。

 つまり形の上だけ自分の生き方を決める自由を認め、事実上はそれを剥奪しようという、いわば詐欺的カラクリに縛られてきたともいえるでしょう。

 現在引きこもりに限らず「生き疲れた」と感じている子どもや若者が増加しているといわれています。表現こそ紋切り型ですが「自分はよい子を演じていた」という実感は彼らの多くに共通してあるようです。

 彼らが「よくない子として生きる自由」と「よい子の疲労を癒す機会」をいかに奪われ続けてきたがを如実に示すものといえるでしょう。

 それでは大人になった今、二、三十代の引きこもり者はこのプレッシャーから開放されたのでしょうか。相変わらずよい子と思われるために社会のいう「しなくてはいけないこと」を自分が「したいこと」のように言い換えてはいないでしょうか。「できないことはしない」と意志的に主張する自由を放棄してはいないでしょうか。

 自分自身の経験と照らし合わせても私は、このような自分の嘘、あるいは嘘とも呼べない無意識のタテマエを見破る眼を勝ち獲るためには、十分な時間をかけて一人自分の心と向き合う体験が必要だと思います。

 しかしこのような体験の必要性は広く一般的に理解されているとはいえません。それどころか残念ながら引きこもりに対する偏見の側ではなく、「あくまでも善意の支援活動」によってわれわれはこのような体験を持つ機会をしばしば逃してしまいかねないのが現状です。

 たとえ善意によるものであれ「引きこもり=間違った生き方」という「切断操作」的発想に基づいた対応は、引きこもり問題に固定・濃密化しかもたらさないであろうことは第7号で指摘した通りです。

 去年の秋あるテレビ番組内で引きこもり支援活動に携わるあるカウンセラーによる「彼らはみな社会に復帰したいと望んでいる」という意味の発言がありました。引きこもりの当事者の多くはこの発言を好意的なコメントとして歓迎するかもしれません。

 しかしこれも前に述べた通り私は無条件に現社会に復帰するつもりはありませんし、この確かに悪意からではないにせよ、結果的には問題の核心をすり替えてしまいかねない発言には若干疑問を感じました。

 「引きこもる自由」がいまだ認められぬ現在、一部支援者は社会の批判におびえる引きこもり者に対してあまりに無自覚に「社会復帰かさもなくば反逆か」という踏み絵を迫ってはいないでしょうか。

 「大人の甘えに応える元気がまだ残っている者だけを是とし、救済しよう」という支援者の活動方針に置き去りにされ、あるいは追い詰められる「一番疲れた者たち」はどうなるのでしょうか。

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