小さな声でヤメテと言えたとき何かが違った AH(東京都在住)2025/10/1
2歳の時、妹が生まれ母の全部の愛情を奪われでしまいました。親のもとで寝かせてもらえず祖母の処で寝るように言われ密着した愛情が欲しい時でした。人(母)は誰も幼い心を理解してくれないものだと確信してしまう、心は見えないから。父、祖父母も理解してくれない。
母の愛情が欲しくて甘えたいとかこうして欲しいとか、自分の感情を抹殺してひたすら我慢強い、甘えない(母に褒められたい)よい子でいつづけた。
基本的に自分の感情で生きたことがない良く思われたい中毒で人といると疲れる。自分は変人に好かれようとして好かれない。自分は変な性格な人間だ。普通じゃない。酷い劣等感にさいなまれつづけていた。何やってもダメな人間だ。
加藤諦三さんの『自分にきづく心理学』の本を読んだとき初めて私の心を理解されたと思った。実際の自分の感情でいつづけよ。50年間自分の感情で生きてこなかったので自分を恐くてだせない。イヤだヤメテも言えない。
今までの人間関係を変える、今まで人が恐くて人を避けてきた。逆も真、逆こそ真、(実際の自分で居続けよ、自己実現した人は決して嫌わない 長所を見つけるのが好き)というのが信じられるか否かにかかっている。自分を出さないでひたすら母に接したように、相手に合わせる生き方が受け入れられる方法だと思い込んでいた。叔母さんから笑顔がないと言われた。50年間笑ったことがなかった。
人がみな笑っているからここで笑顔をつくらなければ変な人だと思われてしまうからひきつった笑顔をつくる。人と会うとどっと疲れがでる。早く家に帰って引きこもりたいと思ってしまう。
50歳のとき、恐怖を抱えて小さな声でイヤだヤメテと言えたとき、何かが違って感じられた。自分を出しても自己実現した人は嫌われないという体験。自己実現した人と付き合って行くなかで少しずつ自分が強くなっていく。いままでの人間関係をかえよ。そこにいては成長は望めない。人を避けない。自分を出す→認められる。この小さな体験を重ねていく。それが依存性から自律性に脱却する唯一の方法。自分を出さなければ好かれないと確信する。自信が湧いてくる。
私は今180度か変わった人生を歩んでいる。振り返るとよく生きてこられたものだと思う。何時自殺してもおかしくない人生だったと思う。朝、起きるとつらい。寂しくて寂しくてしょうがない。人と交流が出来ない。社会性がない。今では出来なかったことが出来るようになりスーパーに平気で買い物に行ける。
人に会うことを恐れポストも夜いってたのに電車にも乗れる。パートにも行ける。なんてありがたいことなんだろう。普通の人は思わないことがありがたく思える。私のような人を生き地獄から救えたらと思っている。
子どもを殺す親は数としては少ないけれど精神的に殺してしまう毒親は多い。
そして悪いことをしたと思っていない。幼児期に愛されない人、安心感を得られない人の 人生は悲劇で有ることを学校教育でも教えて欲しい。どんな重病にも勝るとも劣らない病であると認識して欲しい。