●文通番号6-01 20歳代の10年がすぎていく
スピカ 〔埼玉県上尾市 女 29歳 家事手伝い、ニッタ―〕
引きこもり歴
私の引きこもり歴は成人式から始まる。それまでも絶好調ではなかったが、式が区切りになるということは20代の10年間を無駄にしてしまった、ということだ。
20代といえば余計な制約から解き放たれ、権利や経験、知識を得られる年代である。だから、人間の扱いは未だによくわからない。
成人式の衣装といえば女性の場合、振り袖が主流だが、大きな区切りの一つであるから、“無理をしてでも親は着せてくれるもの”と思い込んでいた
だが、かなり早い時期から「レンタルの洋装にしてくれ」(つまり安くすませてくれ)と言われ続けていた。
私は高校中退だから、かなり無駄金を使っていたのだ。「学校を辞めたら学費分浮くものではない」のだそうだ。
女児の多くは成人式と結婚式の衣装に幼い頃から憧れ、“いつか必ず着れる物”と信じて育っている。親の意向、しかも“自分に非のある金のこと”で打ち砕かれてしまったのだ(直接の理由は些細なことだが)。そのために気がそがれてしまった。
その後ときどき現れる親切ぶった人々にごまかされながら、病院だの住み込みのバイトだの大検だの、何かと理由をつくって外出を試みた。“親切ぶった”というのは、口にできた軽い悩みが解決すると、全てが解決した気になり去って行く人や、「悩んでるお前を見たくない。解決してから来てくれ」と逃げて行った人。専門家も、私が講演などに関心を示さなければ去って行ったので、私としては裏切られた気持ちになる。そういう人々との関わりですっかり人間不信になってしまった。
20代は“漠然とした不安”だった。これから30代を迎えるに当たり、“恐怖”を感じている。その先は未経験なのでわからない。“絶望”でなければいいが……。
不登校
学校へ行きたくなくなったのも似たような理由だ。
高校2年の学園祭準備中に仲間と小さなモメ事があった。それは本当に些細なことで、すぐに解決したのだが、その辺りから急に力が抜けてしまった。
実は入学3日目ぐらいから辞めたかったのだ。そこへきて急に学校がどうでもよい存在になってしまったのである。授業時間が無意味に思え、勉強や人生に関係のない会話が無駄に思えた。欲しい資格が取れるでもないし、教師は無気力だし、生徒との肉体関係にも大したオトガメもない。生徒は強制自主退学だし。
私が気力を失いかけた頃に、担任は子どもつくってるし。“あの学校へ行く意味がなくなった”(学校名をあげたら都内近郊の人はわかるかも)。
ちなみに中3の担任はすごく力強かった。家庭に問題があり粗暴で学力の乏しい生徒、前年の担任とのイサカイにより深刻な登校拒否の生徒、入試直前に家が全焼した生徒など「金八先生」並のクラスだったけど、“全員の”進路を決めたんだ!
それがあったから教師に対して“無駄な期待”を持ってしまったんだな。
退学後約3年ぐらいは高校の記憶がなかった。というか、瞬時に思い出せなかった。例えば高校3年の3月に退学したのだが、4月にはその3月に中学を卒業したつもりでいた。だからいろいろな年数計算が合わなかった。
夢もずいぶん見たな。実際にあったことなかったこと。あったことには、当初できなかった仕返しを試みていたり、なかったことも、夢のなかでは争っていた。“逃げる、闘う(戦う)”系の夢をよく見た。自分の叫び声で目覚めることも随分あった(マシンガン、ぶっ放してたこともあった)。
校内には敵ばかりではなかったと思うが、私には“偽善者”に思えた。私から働きかけた時(登校、電話など)には優しいことを言うが、それでいて向こうから連絡をくれることはまれであった「きれい事言うな」と何度言っただろう……。
親
私の両親は「モラル・ハラスメント」である。残念なことに私もその性質を受け継いでいるようだ。最近ある人から、「ガツンと叱られたことがないのか!」と言われてしまった。
まず親父だが。コイツがかなりのクセ者で、専門家に言われても「れっきとしたモラル・ハラスメントだ」だそうだ。
主な特徴は“自分は絶対正しい”というもの。もともと嫌みな奴ではあったが、誰に対しても横柄で、自分の思いに合わないことすべてを、即刻“悪”と決めつける、というものだ。それでいて権力にはへつらうのだからハタで見ていて笑える。
あるいは、誰かのやり方を頑なに守り、不都合が生じるとその人のせいにする。臨機応変という事をできないのではなく“しない”のだ。
そしてお袋は、私に対しては“過小評価”である。そのため私は、同世代のひとたちからは「博識」と言われる(事もある)が、お袋からは「無知」と言われ、自分ではどっちつかずである(どちらの要素もあるのだが)。
高校についても、せっかくナカナカの所に入ったのに、不登校・休学・退学、そして引きこもってしまったのは、ものすごく“恥”であるようだ。彼女も同じ学校の出身でかなり気に入ってたようだから、なおさらいけない。
私の住んでいる辺りは新興住宅地で、いい学校・いい仕事、立派な肩書きと大金を持っている。だから、一般世間で見れば私は大したことはしてないのだが、この辺りで見ると、かなりの落ちこぼれということになる。
まして私は幼い頃から大人に都合のいい子で大人びていたので、このような経過(結果)を受け入れることができないようである。以前、「ありのままの自分を受け入れてくれる人の中にいないと、自分が駄目になるよ」と言われたことがあるが、それは、決して親(家族)ではなかった……。
それが私にとって一番の障害である。
だから「親が支えてくれたから頑張れた」という語に納得ができない。「生きていてくれさえすれば、どんな状態でもいい」という言葉が信じられない。
脱出に向けて
「遅すぎることはない、何度失敗したっていい」とよく聞くが、私にとってはそれもきれいごとである……。時期・タイミング・限度というのはやはり“ある”と思ってる。
新しいことを覚える、実績を積む、信用を得る……。それなりの時間が必要である。とすれば「いつまでもグズグズこもってなんかいられない!」と、焦りが生じるわけである。
それが今の私である。
誰だってそうだと思う。いつまでもこもってるつもりはないんでしょ? これ読んでる引きこもり諸君。いつかは脱出したいんでしょ? だから集まってくるんでしょ? 何かを求めて。
私はそうなんだ!
だから、同じ境遇の仲間内で傷をなめ合い、慰め合うのは、本当はもうしたくない。確かにこもり始めた人にはそういう時間が必要だが、そこで止まってはいけないと思う。なんてったってウチら引きこもりは、“ただ飯食らいの役立たずの恥さらしの粗大ゴミ”なんだから! ……なんて言い方はきつすぎるが、言葉を飾ってる余裕はない。現実を見つめ最悪の事態を想定し、“ベストを尽くす”。
「夢」は、捨てずにいよう。「二兎を追う者だけがニ兎を得る。夢はかなえるためにある」と言った人もいた。少しずつでも準備はして行こう。いつか見返してやろうぜ!
そんなわけで、私は脱出につながる人を求めている。少しずつでもいい、引き出して欲しい! 一人じゃ出られないや。外から出口を開けて欲しい。「ここにも道がある」と示して欲しい。もしかしたら後ろにあるかもしれない、絡まってるかもしれない。トンネル工事のように両方から掘り進んで、いつか真ん中で手をつなごう……。
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