Category: 13:東京都

●文通番号6-32  誰が誰を「許す」のか

ミズキ 〔東京都八王子市 男 37歳 無職〕

 今引きこもっている人が現状に至った過程には、個人によりさまざまな事情があることでしょう。何らかの挫折やトラブルという経験をきっかけに、誰かを「許せない」気持ちをつのらせて引きこもった人よりは、誰かに「許されない」苦しみから逃れるために、引きこもった人の方が多いのではないかと私は想像しています。

 イジメのようなケースはともかく、親や教師など社会の権威を帯びた立場から責められた場合、多くは「許されていない」ことに不当感よりは絶望感を抱いてしまうのではないでしょうか。

 しかし実際は親や教師による「勉強を、仕事を、努力をしないから」という理由による非難、懲罰もフィクションのルールに基づくものである以上、やはりイジメとなんら変わるものではありません。

 もし「自分は不当な理由で傷つけられている」という自覚や抵抗に必要な気力が備わっていれば、たいていの人は引きこもらずにすむのではないでしょうか。

 イジメっ子にせよ親、教師にせよ、あなたを過去に傷つけた「誰か」を許せればそれに越したことはありません。

 しかし別の問題についても同時に考えてみましょう。その「誰か(あるいはそれを操る誰か)」は今ではあなたを許しているのか、そもそも誰が誰を許せばあなたは引きこもらずにすんだのか。

 このようなことを言えば「過去にこだわるな、自分が楽になるために他を責めるな」という声が挙がりそうですが、「引きこもり」の解決を急ぐべき社会問題としてとらえるなら、これはやはり避けて通れぬ問いであると私は思うのです。

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●文通番号6-26  徒然草

AT君 〔東京都世田谷区 男 26歳 学生〕

 『つれずれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく 書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ』

 『いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、めさむる心地すれ。そのわたり、ここかしこ見ありき、田舎びたる所、山里などは、いと目なれぬことのみぞ多かる。都下手より求めて文やる。(そのことかのこと、便宜に忘るな。)など言ひやるこそをかしけれ』

 この文章が、現在における自分の生活でよく考えることなのです。なんて、文学者のように気取って投稿してみました。

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●文通番号4-48  われ「敗者」にあらず

ミズキ 〔東京都八王子市 男 37歳〕

 今の社会はまさに「人間は~でなくてはならない」というルールに則って、他人と幸せを奪い合うゲームの場です。私のような引きこもり者のみならず、このような社会に違和感を感じている人は多いのではないか、と私は思っています。

 例えば「人間は勉強をしなければいけない、われわれは勉強をしない人間を幸せにしてはいけない」に始まるさまざまなルールに基づくゲームの場であるところの「学校という社会」に、今や多くの子どもたちが不適応を起こしているのもその現れではないでしょうか。

 問題はこのルールが一つの主義に基づく規範、すなわちフィクションに過ぎないという事実が全く省みられない、あるいは無意識のうちに隠蔽されているという点にあります。

 他人から勝ち取らねば手に入らぬしあわせを追求せずに、人生を送る自体が本来すべての人にあり、これを侵害することは誰にも許されないはずです。

 しかし、無自覚かつ無責任にこのゲームに引きずり込まれている人に限って、自分たちのルールを唯一の正しい道として他人に押しつけたがります。

 そして残念ながらこの社会に適応している人の多くは無自覚、無責任です。これも仕方のないことでしょう。なぜなら自分の生き方を考える機会も与えられなければ、責任など持てるはずもなく、他の生き方を考える機会も与えられなければ、ゲームの自覚など湧こうはずもないからです。

 実際、落ちこぼれでもしない限り、子どもの頃から他の生き方を許されぬわれわれには、本当に何者にも縛られずに自分の生き方について省みたり選択したりする機会など、まず訪れはしないのではないかとも思われます。

 また健気にも落ちこぼれてもなお「唯一の正しい道」に復帰しようと努力する人もいるでしょうが、仮にこのような人が望み通り「勝者」となったとしても、社会全体のストレス総量は減るわけでもなく、個別のケースについてはともかく社会問題としての引きこもりが解決に向かうとは思えません。

 ただしこれがゲームであることを理解した上で、自分の意志で参加(復帰)している人はそれで結構。彼らに対して私がいうことは何もありません。「敗者」は結果を受け入れ反省するなり再起に賭けるなりすればよいのです。勝てば自分を幸せにしたであろうルールに負けてから異議を唱えるのは卑怯というものですから。

 純粋に自分のためにゲームを行う人は決して「人間は~でなくてはならない」などと、他人を引きずり込んだりはしませんから、イジメやお節介で他人を苦しませたりはしないはずなのです。

 友達がいないこと、仕事をしていないことを理由に肩身の狭い思いをし、あるいはイジメをうけている人たちにしても真っ先に気づくべきなのは「友達がいないこと、仕事しないこと=よくないこと」というのが単なるゲームのルールに過ぎないということ、それに気づかぬ限り人は常に他人か自分、あるいはその両方を傷つけ続けるだろう、ということではないでしょうか。

 ゲームをやめればあなたはもう「勝者」でも「敗者」でもありません。「別に友達が欲しいと思わない人」や「仕事がしたいと思わない人」も孤独や貧乏に耐える強さ(あるいは鈍感さ)さえあれば、自然界では幸せを感じながら生きることができます。

 しかしその自由を真っ向から否定するような社会においては、多くの若者がかえって引きこもり状態に陥ってしまうのも当然の結果と思わざるをえません。

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●文通番号3-18  わが道に迷いなし

ミズキ  [東京都八王子市 男 37歳]

 私は大学二年の時落ちこぼれて以来、現在に至るまで十数年間にわたり引きこもり生活をおくる37歳の男性です。

学生時代のアルバイト以外に就労経験はなく、現在も無職。同居中の親ともほぼ絶交状態にあり、医師やカウンセラー以外の人と話す機会もほとんどありません。

 しかし少なくとも現在の私は、自分を特に不幸な人間だとは思いません。私は私なりに目まぐるしく、慌ただしい社会に適応している人にはわからない幸せを実感しながら、1日1日を生きています。生きる欲望、理由、目的を見失って途方に暮れていた当時は、言葉にうまく表現できませんでしたが、私の場合この社会に対する違和感が、このような生活に入った動機というか原因の一つであったことは確かです。

 ある価値観に基づいた生き方を個人に強制する今日の社会は、常にそこから切り捨てられ、踏みつけられるべきスケープゴートの存在抜きには、そもそも成立しえないシステムなのではないかと私は考えています。

 例えば子どものころわれわれは周りの大人たちに教えられました。「頭のよい人間になれば社会が幸せにしてくれる」。だから「人はみな社会のために頭のよい人間にならなければならない」と。

 しかし「頭がよい」というプライドと引き換えに社会がわれわれに与えると約束した幸せとはいったい何だったのでしょうか。「社会のために苦労して」頭のよい人間になった人が幸せを実感するためには、頭の悪い人の不幸を確認し、協調しなくてはなりません。そればかりか時には彼ら自身の手で、頭の悪い人を不幸にしようとすることさえあります。

 そのほか能力、容姿、ライフスタイルに関わるさまざまな「社会的プライド」が、学校、職場、家庭といった場で常に「他人と分かち合えない幸せ」に人びとを駆り立てているのです。

 あなたの周りにある「人はみな……でなくてはならない」という命題について考えてみてください。それは誰が決めたものですか? あなたを含めた誰かですか? あなたは本当にそれに従わねばならないのですか?

 すべては「チャンスがあれば他人を出し抜いて自分が幸せになろう」というゲームに自覚もないまま引きずりこまれている人たちが、勝手に決めたことではないでしょうか。

 学校教育というマインドコントロールから解けた今、私は確信しています。そのようなゲームに参加するかしないかは個人の自由意志と自己責任の下に決定されるべきことです。望まぬ者をゲームに引きずり込む自由など誰にもありはしない、と。

 このような意見は社会の側からみれば「自分の不幸の責任を社会に転嫁している」だけにしか聞こえないかもしれません。しかし「引きこもり」が頻繁にマスコミを賑わすほどの社会問題にまでなった原因の少なくとも一部は「人はみな引きこもってはいけない」という命題を垂れ流し、結果としてさらに深い孤独へと多くの若者を今なお追い詰めている、当の社会の側にあるのは明らかでしょう。

 自分以外の誰かに変わろうとしてあせっている人、いませんか。あなたが変われなくても世の中が先に変わるかもしれません。こんな社会やその手先であるマトモな大人に、救いなんか求められないと感じるあなた、「引きこもって何が悪い! 」ときどきそう叫びたくなるあなた、私は間違いなくあなたたちの味方です。

 今では誰よりも自信に満ちた足どりで、自分の人生を歩んでいるこの私の力を、みなさんにもぜひ分けてあげたい、そう思って私はこの文章を書いた次第です。

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●文通番号3-04  世間体や一般常識とは

AT君 [東京都世田谷区 男 20歳 学生]

 私はある学習塾に通っている一人の青年です。通信制の大学にも所属をしています。全くの引きこもり人間ではありません。しかし、社会生活における人間関係等がなかなか上手に営めないのです。

 「何が世間の常識であり、そして、なにが常識からはずれたことであるか」。10代の頃までは、なんの気なしに高校までは卒業した後、数々の学校を渡り歩いた揚げ句に、20代に入ってからの現在にいたるまで、なにげなく世間に対しての反発心を抱いてしまいました。

 何も、無理をしてまでも冷酷な現実の世の中へと目を向けなくてもよいと、そのような気持ちで胸がいっぱいなのです。

 そんな自分となってしまった理由は、以前にいろいろと人間関係に悩まされたことが数多くに積み重なったためでもあると思います。

 過去でのたくさんにあった嫌な思い出は文章にも書きたくありません。とにかく現在の自分の状況は、家庭環境も安定していて、数少ない友人との交わりもあるので、自分では完全な引きこもりではないと思っています。

 けれども人間関係においていくらかのシャットアウトをしています。例えば、飲食店や居酒屋などに入ることがとても人一倍に苦手なのです。友人から飲みに行こうと誘われても、気後れをして断ってしまうことがよくあります。

 それだけに、自分は世間との触れ合いを避けています。もう少し社交的になれと友人から忠告をされても、あまりよく伝わってきません。きっと、そのような自分が現在にいる自分なのであり、無理に変えようとは思えないのです。

 自分は現代の世の中や物事において、あまり肯定的には見れずに、つまらない感情が多く込み上がってきます。

 こんな自分ではありますが、もしも共感できる人がいたなら意見をきかせてほしいと思います。それも、なるべく同年代ぐらいの方にお願いいたします。

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●文通番号2-03  自分を受け入れられない

正美  〔東京都板橋区 女 18歳 大学生〕

 こんにちは。竹田正美と申します。大学1年生です。

 現在、自分を受け入れられず、精神的に不安定な状態でいます。これまで、なぜこのようになったのか、過去を振り返り、原因を追求してきましたが、今は、過去よりも現在を大切にしたいと思っています。なかなか思うようにはいかないのですが、自分なりに頑張っていこうという気持ちです。

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●文通番号1-04  私の半生

プックラ君 〔東京都葛飾区 男 37歳〕

○高校時代は、2年生の後半くらいから不登校。でも良い恩師がいてめでたく卒業。

○大学時代には、2年生のとき、薄毛を理由に不登校(皆にバカにされ)。だが単位だけは取り4年間で卒業。

○大学を卒業して専門学校へ行くが、1年目は1週間、2年目は3日で退学。その理由は体調不良と、学業の難しさだった。

○それから精神科は行き就労。スポーツクラブのトレーナーとしてスイミングコーチをするが、体調不良と仲間との不仲でまた退社。

○再びスポーツクラブに入社。そこでもトレーナーとして入る。1年以上就労するが、また体調不良で退社。

○その後、営業マンとして3社に勤めるが、体調不良でいずれも退社。

○この2年間、電車に乗って外へ出かけたことがない。

○幻聴が聴こえるようになったのは10年前からだが、さらに9年前からそれがひどい。それは2回目に就労したスポーツクラブを辞めてからだ。

○2年前までは、働いてはいないが人間として活気があった。今では家からウォーキング、サイクリングとドライブだけだ。

○あとは煙草を吸って寝ころがって、夜あまり眠れず、親や近所に迷惑ばかりかけている。

○早く減量し、体重を70kgまで減量し(現在、体重83.5→働いていたとき70kg)、早く母と父に迷惑(精神的、経済的)をなくし、アルバイトでもいいから仕事に就きたいし、趣味も多種多様にわたってしてみたい。

○そして、この手紙を通じて、友達がたくさん欲しい(本気で話せる親友)。今現在も心療内科に行っている。

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