宇佐美由香さんの手記「妄想と自傷行為と希望と」を読みました。リストカットをしていた気持ちを書いたもので、会報『ポラリス通信』4月号に掲載したものです。体験手記ページに載せました。
読みながら、ふっと大昔の高校時代のことが浮かんできました。
高校生の私は小説を書いていました。数点の短編を書いたのですが、その中に『富める人たち』という題があったと覚えています。
それは当時の私の超貧乏生活を書いたもので、題名だけは逆に“富める”にしたものです。軽い自虐感が出ています。
宇佐美さんの手記にこうあります。
「何もできないゴミのような自分が存在してしまっていることの罪滅ぼしとしてリストカットをし、それで少しは報われた気分になっていたのでしょう。気分が落ち着きました。」
『富める人たち』を書いた高校生の私も似ていると思いました。「罪滅ぼしとして」貧乏生活を皮肉っぽく、道化役みたいに書いたのです。その時点では社会への批判的な気分もあったつもりです。そういう形で自分を“救済していた”と見直すことができました。なにか一件落着した気分になったのはこのように理解するのがよさそうです。