不登校・引きこもりのカウンセラーになりたい人から助言を求められました。私は助言者として不適任ですが、それを伝えたうえで回答しました。相談者としての私のスタンスの説明です。
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質問のポイントは「不登校・引きこもり対象カウンセラーの現状について、小中高校生や保護者からの要望、把握している評価カウンセラーの高評価と低評価について情報」を得たいところでしょう。この部分に答えたつもりですが、的外れかもしれません。
この質問の回答者としては、私は適任ではありません。私はカウンセラーではなく相談員として相談を受け、理論ではなく対面経験により語るからです。
質問を見て感じるのは、質問者はカウンセラーになる勉強はしたけれども、生身の人間の様子をあまり見聞きしていないのではないかという印象を受けます。カウンセリングや心理学が成り立つには、カウンセラーとクライエントの両者がお互いに(意識するしないにかかわらず)人として認められることが前提です。質問者のスタンスはここまで意識が回らず、相手を操作対象にしやすいのではないかと感じます。これが質問を見たときの第一印象です。
こういう印象になった背景を、理屈ではなく私の体験に基づいて話すのがいいと思います。私の体験がよかったとか悪かったというのとは違います。私の経験したことは、偏りもありますし、一般基準にはなりません。経験から見た第一印象です。
回答者としては「私は適任ではありません」と自覚しています。それでも答えようと考えるのは私にとっても意味があるし、質問者にも参考になると思えるからです。
私は非常に多くの不登校や引きこもりの相談を受けました。親からの相談が多いですが、当事者からも多くの経験談を聞いています。当事者は不登校や引きこもりの途中の人もいますが、10年前の中学・高校時代を振り返って、その時点では話せなかったこと、気づかなかったこと、今になってそうだったのかとわかった話を聞くことができます。
親と当事者の意見や評価はしばしば違います。ズレがあるのは当然かもしれません。親の話を聞きながら不登校や引きこもりの子どもの状態や思いを推測する姿勢でいるというのが当たっているでしょう。親の話は子どもの状態を乱反射する鏡です。乱反射しているけれども親の価値観で整理されているのでわかりやすいです。しかし、わかりやすいことと子どもにとっての真実は同じではありません。
子ども側の話はしばしば混乱し、しかも断片的でとらえどころがないこともあります。ですが子ども・当事者の方に真実がある点を見逃さないことです。言葉だけではなく、当事者の行動も嘘爲的な言行さえも真実の一部です。
カウンセリングとは対人サービスの一種です。対人関係に専門性を働かせたのが対人サービスであると考えます。心理学やカウンセリングの知識により全体的な状態把握と特定個人の相対的な位置がわかります。それが役に立ち必要なこともあります。それにもかかわらずカウンセリング対象の個人をよく見ることが決定的に重要です。
その個人が体系的な分類のどこにいるのか。医療ではこれを診断といいます。相談ではそこから入るのはベストとは言えません。診断や一般的な判断基準を参考にしてもそれにとらわれないことが大事です。一般の友人関係を思い出してください。診断みたいに相手を1つのイメージに当てはめて対人関係づくりを始めてもいい結果にはなりません。
しかし、判断が一般基準と相反する方向のときは要注意です。わかりやすい極端な例をあげますと、人格攻撃的な方法がいいと思ってもそれは採用しないことです。もし自分の結論にそうした方がいいとなったとしても自制を勧めます。普通はそこまで極端に自分の感覚と一般基準が相反する方向はありません。その場合は自分の感覚を信じることです。
自分の経験によるものは、関与するクライエントの特質に左右されます。特に対応方法は自分にできる範囲ですから個性的・独特な方法になります。それでいいと思います。
そういう自分の独特性を意識し、それを一般化しないことです。独特であっても他のことに波及しなければ問題はありません。私のこの回答自体もそういう独特性を持ちます。そういうもの以外の、多数事例に基づく偏りが少ない基本的なものは、カウンセリングの現場では直接の役に立たないと思います。
逆に言いますと、カウンセリングも個性的であっていいのです。個性的でなくてはならないほどです。私は長年そういうスタンスでやってきました。そのときどきで最善を尽くすだけです。そうすると「高評価と低評価」というのは意識にのぼりません。経験の薄さは不手際や未熟なものを生み出す可能性があります。それは避けられません。
一般の対人関係のばあいを考えてください。どのような人でも自分の対人関係には失敗もあり、成功もあるでしょう。ですがそれらはあまり意識せずに過ぎていきます。しかし経験として身体には蓄積されます。大筋での合格状態をベースにして、自分自身の方法で効果をめざすものです。相談でもカウンセリングでも同じではないでしょうか。
成功・失敗よりも肝心なことは信頼関係です。失敗しても信頼関係は強まることもありますし、成功してもダメなこともあります。相手を尊重しながら自分にできることを最大限努力すれば、信頼は重ねることができます。対人関係と対人サービスの違いは、対人関係が普通状態とすれば対人サービスはそれに専門性を働かせていることです。
どこかで学んだ正当な方法を実施しても相手との間にこの信頼関係の積み重ねがなければ、対人サービスとしてのカウンセリングはナンセンスではないでしょうか。
もちろん私の経験には失敗もあります。信頼関係を損ねたこともあります。だから完全ではありません。しかし、失敗しない方法だけを求めるのは間違いだと思います。失敗しない方法の行きつく先は何もしないことだからです。それは無策につながります。
あなたが求める回答とは大きく離れていることを承知していますが、これが私の実感に基づくお返事になります。 〔わかりにくい文章になりました〕
〔受け取った返事をいただきました=6月30日=わかりづらい回答でしたが少しは伝えられたのかもしれません〕
丁寧なご回答を頂戴し,恐縮です。
とても示唆に富んだ内容で,何度も読み返しています。安易に理解したと思いたくないほど,重要な内容であると認識します。反面,自分の読解力の無さを熟知しているからこそ,理解できたと判断するには早いと思っております。また最近では,己の認知に早とちりと誤りがあることを痛感する出来事が多発しており,頂いた回答もさらに読み返す必要があると考えております。
この中で,人とお付き合いするときに真っ直ぐでない,人として認めていない,診断や判断ありきの類型化された見方,受け取り方や捉え方のようなご指摘がありました。感情的には否定したい,違うと思いたい気持ちがあります。しかし,他の方がそう言うのは理由や原因が少なからずあると思うので,改めて自分を見つめ直し,振り返ってみようと思います。
これから,カウンセラーとして出発していきますが,個別の事例でまたご相談することも出てくるかと思いますが,その節は改めて宜しくお願い致します。
今回は本当に感謝しております。ありがとうございました。