夏の甲子園、全国高校野球大会の南北海道代表に通信制のクラーク記念国際高校が進出しました。何年か前の春選抜に長野県の通信制高校が選ばれた記憶があります。
通信制高校の出場は珍しいことなので、これはニュースになります。通信制高校の社会的な認知を高めることにもなるでしょう。悪くはありませんが、それは通信制高校のもつ一面です。高校野球が高校教育の一面であるのと同じです。
「高校野球が高校教育の一面」と聞いて、どう受けとめられるでしょうか。どれだけ肯定的に受けとめられるでしょうか。“野球の練習と遠征試合が事実上の高校生活の全部”になっている生徒がいることはよく知られています。そこまでの状態は少ないのですが、きわめて珍しいレベルではありません。そういう生徒がプロ野球界で活躍しています。
もっと多くの人が社会人になっていろいろな分野で活躍もしています。ですから野球・スポーツが生徒の人格形成に働く教育的な役割を肯定的に見てほしいと思います。私が日頃思っているのはこの点です。高校だけではなく小学校や中学校でも体育・スポーツがどれだけ教育として認められているのか。もう少し直接的に言えば、教科中心の受験勉強に偏る学校教育はおかしいのです。教育の目標が“人格の形成”であることを見失っていると感じます。
その点では体育・スポーツに限りません。音楽(歌・演奏)や美術(絵・デザイン・映像)などの表現、英会話(英語ではありません)やパソコン技術もそうかもしれません。学校の教育内容(科目構成=カリキュラム編成)として考えなくてはならないのです。
この教育内容のバランスという点では、高校野球もまた同じです。生徒個人の特徴を伸ばすには、その優れた面にウェイトを置くのは当然です。それを認めても一部の高校野球部はバランスを欠いています。通信制高校はそういう面で使いやすさがあります。できることなら自重してほしいのですが、はたして自重で目的が達成できるかどうか。
クラーク記念国際高校の選手には、甲子園でも活躍を期待しています。甲子園といえば、2007年夏の甲子園、広陵高校と佐賀北高校の決勝戦を思い出さずにはおれません。この試合で逆転優勝した佐賀北の野球部員には特別支援学校で働くようになった人がいると聞きます。