女性の社会進出に伴う家族と社会の変化

社会的ひきこもりの起源 5-2

女性の社会進出に関する様子を石井寛治・編『近代日本流通史』(東京堂出版,2005)にみましょう。
働く女性が結婚し、家庭を築くにつれて家族の変化、社会の変化が生まれてきました。
『近代日本流通史』ではこれらの事情を次のように描いています。

「80年代後半は女性配偶者収入の増加が家計収入の増加に寄与した時期でもあった。
女性の社会進出はそれまでシャドウワークとして内部化されていた家事労働を外部化させる傾向を有する」(P200)。

「団塊(だんかい)ジュニアと言われる世代の低年齢化した激しい受験戦争やその反面での校内暴力や不登校などがその背景にあった。
外食費の増大は女性の社会進出が進む一方で、家事労働が依然として女性のみに押し付けられている現状を反映したものと思われる。
これは外食や「中食」と呼ばれる調理済み食品による家事労働の代替費用と考えることができる。
こうした支出の拡大はファストフードやファミリーレストランなどの業態を飛躍的に拡大させることとなった」(P203)

「こうした中流意識の拡大は、人々のライフスタイルを変化させ、その消費スタイルを変化させた。
そのなかでも、この時期に現れた注目すべき変化は家計の個別化現象であると思われる。
それまで家計は、世帯主収入に基本的に依存して営まれていた。
しかし、女性のフルタイムやパートタイムでの就労の拡大は彼女らに固有の所得を発生させ、これが女性の購買行動に変化を与えた。
就職により所得を得た子供も個別の家計を形成し、固有の生活スタイルを形成した。
さらに、核家族化が進展した結果として高齢者世帯の比率も高まっている。
このような家計の個別化・分散化は、消費行動の分散化現象を拡大するものであった。
女子就労率の上昇は、まとめ買いや調理済み・半調理済み食品の需要を高める。
モータリゼーションが進展した一方で、まとめ買いが拡大すれば多少遠距離でも低価格で品揃えの豊富な大規模店舗が集客力を高めることは当然であった。
駐車場のある郊外立地の大規模スーパーがこの時期に急拡大した理由である。
この時期に様々な業態の外食産業が発展したのも同じ理由からであった」(P204-205)

女性の社会進出(就業化)が家計に変化を与え、生活スタイルも変えたというのです。
それは家族関係を変えましたし、国民全体の生活スタイルも変えたのです。
家計はこれまでも一元管理とは言えなかったのですが、様子はかなり変わりました。
親子とも以前の家計に比べるなら個別の家計と固有の生活文化を広げました。
著者はこれを「家計の個別化・分散化」としています。
これらが1980年代後半以降の変化と考えられます。
しかし、核家族において主婦が働き始めるわけですから、さらに多くの役割が主婦に覆いかぶさりました。
それは家族内における子育ての面での対応力の低下につながり、著者が指摘する子どもの校内暴力や不登校にもつながります。
それだけではなく、全体では小部分と信じますが、家庭内暴力(DV)と子ども・高齢者への虐待の増大につながってきたと説明できます。
家庭内のこうした変化に伴うトラブルも生まれます。
離婚の増大はそれを解決する一つの方法でありますが、女性の人間的な対等関係の意識が向上している事情にもよります。
いろいろな生まれている変化の全部を女性の社会進出、働く女性が結婚し家庭を築いたことで説明しているのではありません。
女性が強くなった1つは、女性が就業により収入を得ることが関係すると考えられるのです。
しかし、社会全体の平等意識、憲法の保障する個人の権利が深く国民に定着してきている背景も見逃せません。
社会的な条件には、非正規雇用が増大し、雇用条件のセーフティネットが弱まり、国民のなかでの経済格差が大きくなっています。
離婚したシングルマザーに困窮が強まっている事態はそれを象徴するものでしょう。
現在の核家族を中心とする家族制度はこれらの問題を含んでいるわけです。
その他の事情を含めて新しい家族関係が求められ模索しながら徐々に進んでいると推測できます。

こぼれ話=「社会的ひきこもりの起源」

「社会的ひきこもりの起源」を書くために、経済社会に関係する本をいくつか読み進めています。『食の歴史と日本人』(川島博之、東洋経済新報社、2010)のノートをとるうちに本筋とは離れますが、私とわが家に関するエピソード(?)を盛り込んだ雑文を書きました。「社会的ひきこもりの起源」のこぼれ話として紹介します。

眷族(けんぞく)とはより平たく言えば一族郎党でしょう。こうきくといくぶん不穏な集団に響きますが、原生林の開拓団の多くはそうでした。明治になって北海道の原生林や荒地を開拓した集団はそういう人たちではなかったですか? 江差にニシン御殿を建てるまでに漁業開拓した人たちもそういう集団ではなかったでしょうか。
さらに北上して、ロシアとの和親条約により日本人が住めるようになったカラフト(樺太=サハリン)に出かけた集団もいます。私の祖先はそのような一団でした。信憑性に自信はないですが、サハリン島南部の地域、樺太県真岡郡姉内地区(ユジノサハリンスク)でアニワ湾から東側のオホーツク海まで他人の土地を通らずに行けた、という話を聞いたことがあるような(?)。私の子ども時代、田舎に開いた商店の屋号は樺太屋でした。

これは日本に限ったことでも、近代に限ったことではありません。古代中国の屯田制度なども未開拓地に武装して入った農耕民でしょう。
日本では古代からありました。平安末期から鎌倉時代には武士集団による東国(関東)の開拓を行ったのはこのような開拓民であったと思われます。その集団が開いた関東を地盤に、鎌倉幕府=武家政治の時代が開かれたのです。

アメリカに関することで思い出すのは映画です。南北戦争後の19世紀末のアメリカの開拓民の争いを描いた映画「Shane」は1963年に上映され、私が高校生のころ田舎の映画館で見たものです。最も苛烈であった原住民インディオ(ネイティブアメリカン)との闘いではありませんが、開拓農耕民と放牧型の畜産業者の争いでした。アメリカ合衆国政府が開拓農民の土地所有を保証する法律を制定する中で、土地所有が不明確な畜産業者が反撃に出ました。いささか以上に暴力的なやり方でしたが、この時代は裁判制度が十分に整わず、一方では従来の個人対決型の決闘が合法手段でした。集団暴力は禁止されていたのですが、決闘は認められていたのです。
畜産業者は決闘用に専門のガンマンを雇いました。そこに登場したのが銃の名手Shaneです。特に農耕民に頼まれたわけではないのですが、成り行き上このガンマンとの決闘に臨み、そして勝利し、この場から去っていく物語です。農耕民はこうしてこの地での生活を保証された(はず)です。
映画を見た高校時代にはこのような時代的社会的背景は知りません。先月YouTubeにあるのを見つけて、あの物語が理解できたのです。

さてここに挙げた開拓民集団、それに類する小家族集団は、江戸時代に進んだ小家族制を基とする眷族(けんぞく)とは同一のものとは言えないでしょう。川島博之『食の歴史と日本人』には出てきません。江戸時代につくられた小家族が「比較的近隣地域に居住し、本家を中心につながる利益協力的な血縁家族体」と理解し、それが開拓民になったときの状態を表わしたものです。いろいろな色合いがあるのは、歴史的条件、地理的条件の違いによるものと理解できます。
そしてこれらの全体が、地球を人間にとって住みやすくしていった時代、地質学上の新しい時代区分に「人新世」(ひとしんせい)を設けることになりました。人間の働きが地球に大きな影響を与える時代です。一 方では人間には住みやすく、他方では環境問題をひきおこし、地球を滅亡に向かわせていると心配させる事態になったわけです。人間はそのつどそこで直面した問題に取り組んできた。それが歴史であり、その末端の一粒が自分です。

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学校制度の限界とフリースクールの広がり

不登校の小学・中学生がこの10年間で14万人から24万人に10万人増えました。2016年に教育機会確保法が制定され、フリースクール等も公式の義務教育と認められました。
そういうなかで、自治体や教育委員会はこの条件にどのような対応をしているのか。 フリースクール等を生かそうと動いているのか? 大きな動きは見られませんが、注目すべき動きがあります。その動きを紹介しましょう。
1つは校内フリースクールの創設です。主に中学校及び高校でみられることです。文科省が指定する学習指導要領を意識するけれどもそれを外した子どもの状態に即した教育方法を採り入れ始めたように見えます。これは不登校特例校として先行する例もあります。通常の中学校や高校の一部に採用したのが校内フリースクールではないでしょうか。どの程度広がっているのかは明確ではないですが、全国には数十校はあると考えています。当面は適応指導教室と並立していくのでしょう。
これは民間に広がったフリースクールの利用を回避しているように見えます。
もう1つは、フリースクールに属する生徒への学習費等の支給をしている自治体もあります。どの程度広がっているかは明確でありませんが、以前から学習塾に通う子どもへの学習費の支援をしている自治体はありますので、校内フリースクールよりは広がっていると考えられます。これは民間のフリースクール等を生かそうとする取り組みに思えます。

私は7月11日のブログ「フリースクールの出番です」のところで、教育委員会にフリースクールを紹介するように働きかける意味があると説きました。それはより多くのフリースクールを活性化させることにつながると思うからです。同時に各フリースクールの一層の工夫と責任を促すものになると考えます。
ある地方の町議会での質疑を見ましたのでここで紹介しておきましょう。
《議員の質問:現在、民間等のフリースクールがあるが本町の不登校児童生徒は通所しているのか。通所しているのであれば支援はできないか。
教育委員会事務局長の答弁:本町にはフリースクールは無く、町外のフリースクールへの通所の確認はない。不登校児童生徒に対しては学校としてできる限り通学に向けた支援をした上でなお、フリースクールへの通所を希望する児童生徒がいる場合は文部科学省「不登校児童生徒への支援のあり方について(通知)」令和元年10月25日をもとに適切に対応していく。》

このような動きを省みるに、明治期に確立した学校教育は大きな変化の途上を迎えたと感じます。権威主義的な文科省の教育方針に代わる、子ども主体の教育が社会の基礎から徐々につくられ始めたのです。それがどのような形になるのかはまだはっきりしません。
子ども個人の特性を重視したものになること、インターネットの普及した社会にあること、それに加えてコミュニケーションの機会を工夫していくものになると予想するのです。

高校への進路相談会「かつしか進路フェア」

8月5日、4年ぶりに「かつしか進路フェア2023」が開かれました。
一応実行委員の資格のある一員として、遅れて相談コーナーに参加しました。約100校近くの高校が参加。中学生と保護者の参加は4年前より減少したようですが、それでも1000人は超えていたでしょう。
実際の相談の多くは他の人に任せて、私は、合い間に参加した高校側の相談メンバ-と話す機会をもちました。
私立の通信制高校、都立のチャレンジスクール(昼間定時制)および都立夜間定時制の先生です。以下は精密さを欠く内容ですので、ここでは話した相手校名は伏せておきます。
私立通信制高校——設立20年弱です。2000年前後に多数の私立通信制高校ができました。大検(高卒認定)予備校、通信制サポート校、技能連携校から高校を設立した学校が多く、大部分は通信制高校でした。
今回話したのはそういう背景のない私立通信制高校です。設立時の教師の多くは引退しています。相談席の入試相談担当者は当時の生徒募集の苦心を聞いています。現在はクラス定員35人の4クラスあります。通信制高校で不登校経験者も多く、週5日コースはほとんど全日制高校と変わりません。出席日数の縛りがないので、生徒の状態に柔軟に対応できます。いまでは大学・専門学校への進学率も高くなった。これからもがんばりたい…と率直に語ってくれました。
都立のチャレンジスクール——今春の入学試験も応募が多く、結局100人ぐらいが入学できませんでした。もともと不登校の生徒の受け入れ先としてできたのがチャレンジスクールです。入学できない生徒が出ないように、都教委ではクラス数を増やせないかと考えているといいます。今春はいくつかの高校で、居場所的様相のクラス(?)を設けて実質受入枠を増やし、高校に入学できる条件を広げているとのことです。これはごく大雑把な話なので、実質的内容は心配な面もあります。中学を卒業した生徒が、高校に入学できない事態は避けようとしているスタンスは一応もっているということでしょう。
都立夜間定時制——かなり熱く語ってくれました。生徒数は多くないが、学業成績が低いなどの生徒一人ひとりの状況に即した活動をしている。外国籍で日本語をうまく話せない人も入っている——これは夜間中学校に見られることの延長を思わせる——夜間の定時制高校もあるようです。

他にも様子をききたい高校もありましたが、相談コーナーの席が中学生と保護者の相談中で、都合よく空かなかったので数校に限られました。出席した高校に、全寮制の高校や都内の通信制高校学習センターがみられなかったのはやや残念です。来年度に向けて各校と実行委員会に伝えておくつもりです。何しろこれらが不登校生や高校中退生を先行して受け入れ条件をつくり出してきた先駆者なのです。 

食うために働くから承認のために働く

―社会的ひきこもりの起源(2)
60年代に始まるとされる高度経済成長期以来、日本社会は構造的に変化をしました。経済社会の大きな変化が日本人の存在のしかたに影響し変えてきました。その一つの結果が社会的ひきこもりと考えられます。
経済社会の構造的変化を、この視点から組み合わせて説明するのは容易なことではありません。説明 を終えるのはまだ先のことです。
ところが、経済社会の変化を受けた日本人の存在のしかたの変化は、すでにある程度納得のできる説明がされています。ここではその部分を先に紹介します。
2015年7月4日に私も参加する葛飾区子ども若者ネットワークの主催で斎藤環さんの講演会が行なわれました。そこで斎藤さんはこう言いました。「旧世代は食うために働き、若者世代は承認のために働く」——―聞き書きのメモによるのでこの通りの表現ではないでしょうが…。
*ブログ「引きこもり居場所だより」(2015年7月 日)。
斎藤さんの話は、A.マズローの欲求段階説に基づくものです。マズローの説は広く承認されていますが、仮説の域は出ていないでしょう。明確なエビデンスを提出して説明するのは難しいものですが、いろんな現象をうまく説明できると認められています。
欲求段階説を簡単に説明すると人間の動機を次の5段階に分けました。
1.生理的欲求(睡眠、飲食…)
2.安全の欲求(経済的安定、健康維持)
3.社会的欲求(所属、友達)
4.承認欲求(尊敬されたい、認められたい)
5.自己実現欲求(自力の能力を最大限生かしたい)

斎藤さんは、この旧世代は1「生理的欲求」が働く動機になっている、若い世代は4「承認欲求」が働く動機になっていると、対比して説明したのです。この場合、私は旧世代を1960年以前に生まれた人、若い世代を1970年以降に生まれた人とします。60年代の10年間は移行期に生まれた人なります。
私が斎藤さん説に賛同できるのは、いくつかの状態を説明できるからです。校内暴力や非行の形で生徒が反抗していた時期に高校で先駆的な実践をしていた若林繁太さんの意見——「これまでの教育方法は日本が貧しい時代の教育方法だった。これからはゆたかな時代の教育方法が必要になる」とも一致します。
かつての生徒は不同意を反社会的な形(校内暴力や非行)で表わしたが、最近の生徒は非社会的な形(不登校やひきこもりなど)で表わす。前者は問題行動と言われ、後者は社会的病理と考えられています。
学校——とくに中学校や高校において生徒が明確に変化したのは1970年代の終わりから1980年代の初めにかけてです。この期間に思春期を迎えた生徒たちの——1970年以降に生まれた生徒たちと1960年以前に生まれた生徒たちの行動の違いが表われています。

マズローの欲求段階説について私なりの理解を書いておきます。
私はマズロー自身が書いたものは読んでいません。2012年2月に広木克行さんが講演会で説明したときの感想——これも先のブログで書いています。斎藤さんは2「安全の欲求」と3「社会的欲求」を抜かして、4「承認欲求」を若者の働く動機に対比しました。2「安全欲求(経済的安定や健康維持)」、3「社会的欲求(社会的に必要とされる所属・友達)」が基本的には若い世代には確保されていることとして、4「承認欲求(尊重され、認められたい)」を挙げたと思えます。
*ブログ「引きこもり居場所だより」(2012年2月 日)。

私は長くひきこもり経験者に囲まれた生活を続けていたので、その感覚からこれを考えるといくぶんのズレを感じます。もっとも私の周囲にいたひきこもり経験者が、ひきこもり経験者のさまざまな状態を平均的に表わしている保障はないので、それだけの偏りはあると認めて話さなくてはなりません。
世の中がゆたかになり、若い世代は経済的に安定したなかで子ども時代をすごしました。生理欲求と安全欲求はだいたいがかなえられた状態です。ただ当時から経済的格差による貧困が一部に表われていましたし、やがてそれはひきこもり経験者である彼ら・彼女らに影響してきたのです。
ズレを感じるのは3「社会的欲求」です。社会的に必要とされる所属(学校や職場)、友人を得られていないのが、私が知る多くのひきこもり経験者の状態でした。なぜひきこもり経験者がそうなったのかを追及していくと、4「承認欲求(尊重されたい、認められたい)」が子ども時代に経験できなかったことに行きつきます。
その結果、欲求段階の1つ手前の「社会的欲求」のところでハンディを負う事態が生まれているのです。私は斎藤さんのこのあたりの考え方を読んでも聞いてもいないので、実際には意見は違わないのかもしれません。
それに加えて周囲にいるひきこもり経験者には5「自己実現欲求」は一般には高いと思えることでした。もちろん「何をしていいのかわからない人」もいます。だから特徴的な説明ができることとします。
実現欲求が高く、承認欲求を求めているのにそれが満たされないなかで、周囲あるいは社会への不同意をひきこもり(社会と距離をおく、社会から撤退する)と表わすことになります。
そして現在「8050問題」と言われる時期には、2「安全の欲求」に含まれる健康維持が、人によっては精神面から困難に直面しています。不眠、過食、うつ状態にある人が少なからずいるのです。それは2「安全の欲求」の中の経済的安定を不安なものにします。OSD(親が死んだらどうする)に続くのです。
これを生み出した社会はどういうことだったのか? この説明を社会経済の変化という面から試みていきます。

カテゴリ:社会的ひきこもりの起源

会報『ひきこもり周辺だより』8月号を発行

連日の猛暑でかろうじて生きて生活している気分です。電気代がどうなるのか心配です。そんな時期に親の会への参加案内も気が引けますが、途切れてしまうとそれっきりになりかねませんので、続けていきたいと思います。 
〔記事目次〕
お母さんは にこにこ笑っていてほしい 松村淳子(助走の場・雲)
友人との断絶と修復 松田武己
8月の相談・学習会
文通希望 人が怖くて街中に出にくい  ほしもり(匿名)
文通ボランティアの進め方
◎清水大樹(ひきこもりへの訪問者)は、今月休載です。
〔会合等の予定〕
☆8月のセシオネット親の会
8月19日(土)14:00~16:00 ★曜日・時間に注意
場所は助走の場・雲:新宿区下落合2-2-2 高田馬場住宅220号室
参加等の連絡は、松村淳子さん(090-9802-9328)までお願いします。
◎松田の個別の電話相談は続いていますし、自宅訪問や役所などへの同行もしています。相談がある人は松田に直接連絡をください。原則無料です。訪問など場所によっては交通費を頼むかもしれません。連絡は松田武己まで(03-5875-3730、メールopen@futoko,info)。
◎平井コミュニティ会館での相談・学習会は8月12日(土)13:00~15:00になります。平井駅南口から歩いて10分。江戸川区平井4-18-10