あるシンポジウムの案内チラシを見せながらH・ Iさんが言いました。
「引きこもっていた人が就職してもしばらくすると辞めてしまうことが多いみたいですね」。
シンポジウムにはそういう内容もあるようです。
「そういうことは十年前からわかっていたことですけどね」と私は答えてしまいました。
先見の明があったわけではありません。
いろいろなことをそれまでに見聞きしていたからです。
とはいえ全員が就職しても継続できないと考えたわけではないのです。
90年代末に「人材養成バンク」という取り組みをして、就職以前の問題が中心になると思いました。
大塚時代にI ・Oさんが突然、事務所に飛び込んできて、「もうダメだ。あんなところでは働けない!」といったのが、就職ではないかもしれないと感じた最初です。
I ・Oさんの場合は「人材養成バンク」ではなく、自分で探した就職先のことです。
2001年から2003年にかけて「将来生活の姿」というアンケートをとりました。
引きこもりの経験者はどう意識しているのかを調べたのです。
回答した当事者には“楽観気分”(?)はありました。
それでも自由業型やSOHO型の割合が多く見られ、就職型が中心とはいえないものです。
その間にも不登校情報センターに関わっていた人が、それぞれの仕方で仕事に就いていきました。
正社員は少なくて(これは雇用政策が影響しています)、アルバイト、登録・派遣社員、パート労働、請負型などです。
数か月後には多くの人が辞めました。数年働いている人もいますが(今も継続している人もいますが)、むしろ例外的です。
多くが短時間労働、私がハーフタイム就労といっているもののどれかに該当します。
事態をこのようにとらえなおしたのは昨年のことですから、10年間は最終的な評価を私は保留していたともいえます。
最終評価をしなくても、そのときどきにやるべきことは明確になっていました。
行政機関の就業支援方法は、訓練をして就業に向かうことになっています。
また他の支援団体が、「職親」などの名称で取り組んでいるのも聞きました。
私が「人材養成バンク」といったことと内容は似ています。
やがてそれに関する動向も聞こえなくなり、事実上消滅したのです。
それは新しい形での「人材養成バンク」の可能性をなくすもので、私にも残念なことです。
引きこもり経験者の事実にあった対応方法でないとうまくいかないことを教えているのです。
たとえば地域若者サポートステーションの一部では「訓練をして就業に向かう」方式だけではないと聞きます。
なかばフリースペース状態のところもあるようです。現実が反映しているのです。
こういうことをわかった上で「十年前からわかっていたことです」というのは不遜に聞こえるかもしれません。
そんな気持ちはありません。
支援者と支援団体が引きこもり経験者をより深く理解しないことには、事態は好転しないです。
それが少しは理解されてきたという思いがこのことばになったのです。
(つづく)