「人のために動く」

引きこもり事典=通知5」=「引きこもり生活事典」に登録することばを紹介します。

人のために動く(ひとのためにうごく):歩いているときに体調が悪いのか、道路にうずくまっている老人がいました。声をかけその場から救急車を呼び、救急車が到着するまでそばにいました。自分のことではこんなに一生懸命に動けないのに、困っている人がいるときには自分でも驚くぐらいです。
ゼンマイ仕掛け(ぜんまいしかけ):動き方がゼンマイを仕掛けた人形のようです。
実際のからだの動きだけではありません。生活パターンや思考方法もそうらしいです。
あるとき急に、ある方向に動き、急にパタッと止まる。ネジが切れたようになります。
痴漢被害妄想(ちかんひがいもうそう):*電車に乗るとチカンをしたと捕まるのではという被害妄想、被害予想感がでます。電車内では両手とも吊り革に手をやるようにしています。デッキに立っていることも多いです。電車に乗らないのがいちばんいいのです。

編集部から〕引きこもりを経験した人の感性・感覚等を辞書にしています。個人差がありますし、一般人にも共通することもあります。引きこもり理解に役立つはずです。ここで紹介する辞書ことば(意味の説明を含む)を募集します。表記は編集部の責任で行います。
open@futoko.info」事典 までお寄せください。

不登校情報センターのサイト案内=「山村留学」ページ。高等学校も含めて「全寮制高校・寄宿舎のある学校」としてまとめています。寄宿型フリースクールの情報も含まれています。不登校・中退者を受け入れている山村留学施設の情報を募集しています。

『狂詩曲―中崎シホ詩集』を紹介


『狂詩曲―中崎シホ詩集』を紹介します。
2010年4月に、あゆみ書店(不登校情報センターの活動の一部です)発行の詩集です。
第4回創作展を開くのに先立ち、それまでの25編をまとめました。
その後も作品を書き続け、それは彼女のブログ「狂詩曲・続編」として紹介しています。続編が32作になり本詩集より多くなりました。『狂詩曲・続編』としてまとめるかどうかを考えているところです。
詩集は売れないということです。ま、そうかもしれませんが、それでも購入希望があるのがこの作品です。
詩作や小説などを書いている人がいましたら、本の形にできます。
別の方ですが大学の卒業論文を冊子にしようと準備をしているところです。
印刷所や出版社に頼むと制作費はそれなりにかかります。自主制作本なので、手作り感は残りますが、1万円以下でつくっています。ご検討ください。
対象者は、一般の人ではなく、引きこもりや不登校の経験者にさせていただきます。

この詩集『狂詩曲―中崎シホ詩集』の販売は、定価300円+税15円、送料80円です。

自己実現の時代と仕事づくり

高年齢引きこもりへの対応(その4)   「働くことが自己実現としての働くことにならざるをえない時代の変化を迎えている」という(その2)で「別に述べる」とした点にも触れておきます。
私たちは社会の大きな変化の時代に生きています。その変化に伴ういろいろな波を大きく受けるのは子ども・若者たちです。そして子どもたちはその変化をいち早く察知し、独特で極端な形で表現します。1980年代から顕著になった子どもの不登校をその視点かえらとらえなおすのが必要になったというのが、私の確信でもあります。
当初は登校拒否といわれたこの現象は、子どもの逸脱行為の一種とされ、また精神心理的な対応が主流とされたものです。やがていくぶんオーバーな反応でしたが「だれにでも起きうるもの」にされ徐々に変化しました。それを否定的な現象とする理解は今でも主流であるとは思いますが、それだけではないことがはっきりしました。
子どもの不登校のおかげで問題が析出され、改善されたものはいろいろにあります。たとえば家族関係の不自然さに気づいた人がいます。子どものいじめや人間関係のゆがみが表面化したこともあります。精神科医療もだんだんと問題点が浮かび上がっているように思います。何よりも学校と教育制度に与えた影響は大きなものです。従来の学校・教育制度と並行する形で、フリースクールとその官制版の適応指導教室が全国に普及しました。通信制高校とサポート校が広がり、学習塾を巻き込んでいまなお激変といえる状態です。これらの変化は、社会の土台が以前と同じなかで進んできたものでそのぶん不十分です。
しかし、子ども世界に生じた不登校が、社会全体の本物の変革の前ぶれであるとすれば、それに続いて本物の社会の変革はまもなくやってくると考えて当然ではないでしょうか。
社会全体の本物の変化がどこに進もうとしているのか。それは日常生活に徐々に広がり、いずれ政治的・制度的な変化として急に目の前に現われるのかもしれません。インターネットの普及と情報社会の到来は、日常生活に大きな変化をもたらしていますし、まだその変化は進行途上です。その変化は「パソコンの好きな子どもたちの熱中時代」をはるかに超えていますが、国民の半数が実感するところまでは届いていないようです。
ここで生まれる国民意識の変化は、人間の等質性に基づく平準な関係が、社会の情報伝達という技術的な基礎を条件にして達成されることです。法律その他の手段では抑制できなくなるのです。もう一つは若者世代には「自己実現」の願望が身体の一部として形成されるだろうと見込まれます。他にもいろいろな精神的、意識的な変化が表われると思いますが、少なくともこのあたりは想定できます。
引きこもりという若者と子どもに現われる現象(少し異なる意味では高齢者にも広がっているようですが)は、この社会の変動との関係を意識して評価し、対応していくことになるはずです。ごく端的な例で言えば、引きこもり経験者の就業は就職にウェイトを置いたものではなく、自由業的なもの、それに結びついた仕事づくり的なものが相当の役割を持つだろうと予測しないわけにはいきません。それは引きこもりの青年に限られたことではなく、若い世代全体に表われるものです。社会的企業(ソーシャルビジネス)の誕生が広がりつつあるのはそれに対応しています。一過性のブームとは思えないのです。
今回のテーマに関しては、3月21日の「若者の適応ではなく企業の変化が必要」、3月28日の「等質の人間関係になる情報社会」でその時代が推移する背景を書きました。直接的には2月21日「自己実現の病(?)を考える」のなかで、諸星ノアさんの実例を長く引用して述べたところです。それぞれを参照してください。

最初に出会った難敵引きこもり

6月29日のミニ体験発表会は、大変よかったし、いい勉強になりました。

参加予定の5名が開始の2時前にはそろっていましたので、5分前には開始。予定時間前に始められるなんてミニ発表会らしいじゃないですか。

主役は参加した2人のお母さん。発表はSさん、次期発表予定で「出前サービス」登録者の Iさん、それに司会役の松田の5名です。主役のお母さんの子どもはともに30歳以上ですから、想定どおりです。

初めのSさんの話は15分くらいで、働いたり辞めたりの生活の中でつくられていった引きこもり生活を具体的に話します。そこから出るようになった経過を意識して話したと思います。

この会に参加しただけで2人の引きこもり状態の解決ができるとは思っていませんでしたが、それにしても手ごわすぎました。

うち一人のお母さんには何らかの手ががりになるように特に知恵を絞ったつもりです。そして私がその息子さんに伝えてみてはどうかというのをメモに書きました。だいたいこんなところです。

「引きこもり世界をたくみに渡り歩く高度の知能犯です。私はお手上げです」。

ま、言い換えますと私の敗北宣言です。しかし、受け取った彼は必ずしも嬉しくはないし、優位感も持たないでしょう。実はそこがミソです。勝っているのに勝利感がない、この知恵者にそこを味わってほしいメッセージです。

もしかしたらこの人は、引きこもり生活をそれとよく意識しないままで続け、一生を全うするのではないかと思えるほどです。病的でもないし、親の心配はともかく他人様に迷惑をかけているわけでもない。そこそこの世渡りをこなしています。そういう人です。私たちがいきなり出会った柔軟な強敵でした。

いつかこのような方にも対応できる力量を持ちたいと思います。