乳幼児の母子の愛着行為

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 引きこもりのテーマは深くて重いと考え、一つの可能性として乳幼児の事情を調べています。人がこの世に存在として生まれたとき、すなわち乳児のとき人生に必要な何を獲得するのかを考えたことになります。
手にしたのは小此木啓吾『父と母と子、その愛憎の精神分析』(講談社+α文庫、1997年)です。その初版は1991年青土社の『エディプスと阿闍世』なので、20年以上前の本です。参考になりそうなことはいろいろありますが、中心点を紹介しましょう。
「…大人は、赤ん坊をあやしたり、だっこしたりすることによって、自分たち自身大きな満足を得る。つまり、赤ん坊は、つねにその存在そのものが、大人たちにある種の心理的な満足、つまり報酬を与えるようなものを持っている。
このような赤ん坊の特性は、さらに発達して、生後三ヶ月ぐらいから七、八ヵ月の間に、もっと積極的な活動性を発揮するようになる。例えば、大人に向かってほほえみかけたり、大人の応答に対して、キャッキャッと笑ったり、あるいは、目と目を合わせて、じっと見つめたり、あるいは、抱かれたときにさまざまな満足を表現したり、あるいは、いろいろな発声によって呼びかけたりする。
これらの子供側の発するさまざまなソーシャルな信号に対して、大人たち、特に母親の心に情緒応答性が高まる。情緒応答性を発揮して、抱いたり、あやしたり、あるいは視線を合わせたりすることで、母親のほうもまた満足を得る。
さらに子供が発達すると、…乳幼児側の愛着、つまりインファンタイル・アタッチメントとよんだ、赤ん坊からのアタッチメントが、母親なり養育者なり、一定の対象に向く形に形成されていく。
これらの愛着を向けられた母親や養育者は、当然それに応えたいという気持ちを刺激され、それに応えようとする自然な要求が生まれる。その欲求を満たすとするときに、さまざまな情緒的な応答性が生まれる。このような情緒応答性は、マターナル・アタッチメントという言葉がふさわしいような、子供に対するさまざまなアタッチメントを、今度は母親の側につくり上げていく」(196~197ページ)。
*インファンタイル・アタッチメント=乳幼児側からの愛着。
*マターナル・アタッチメント=母性的な愛着。

赤ちゃんが母親からのマターナル・アタッチメントが阻害されるのは、「母親の個人的責任に委ねられ、女性はますます、男女同権の名において、自由競争の社会の中で孤独にやっていかなければならない」ためです(202ページ)。しかし、赤ちゃんの先天的な気質によってはその影響があるかもしれません。相互関係にあるのです。そのなかで社会的な影響を考えることが必要でしょう。
この情緒的な愛着関係により、乳幼児期の感情基盤がつくられるのでしょう。
以上は、小此木先生によるものです。他にもこれに関して書いたものがあります。
参考①=「被虐待児症候群」(2005年12月)。
参考②=「乳児期ー存在不安の遠因が生じるとき」(2006年4月)。

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