不登校問題はいつまで続くのか

「不登校はいつまで続くのですか」という検索で不登校情報センターにアクセスして人がいるようです。
学校に長期間行かない子どもはこれからも生まれるでしょう。学校の役割は学習と生身の人間を学ぶところ、それを通して人格の成長を期待するところとしましょう。教育、体育、徳育という言い方もあるようです。それにより社会人になるための準備施設が学校です。
このうち現在の学校の役割は学力に偏重しました。その結果、学習についていけない子どもを大量に生み出す場所になりました。生身の人間を学び友人ができる場から離れていじめの温床になりました。学校制度としていじめは「あってはならない」故にいじめは隠蔽されるところになりました。制度のゆがみはこのように起きることを教えてくれます。

学校がじょじょにこうなったのですから、学校に行かない子どもが出てきて当然です。必要なことは学校以外に子どもを成長させる社会的な環境をどうつくるのかにかかります。学校以外の子どもの居場所が真剣に求められ、つくられつつあるのが現在ではないかと思います。
学習塾のフリースクール化、学習塾のサポート校化はその一つの傾向です。適応指導教室や特別支援学校・学級というこれまでの学校とは様子の違うものがかなりつくられ広がってきました。子どものための居場所づくりは他にもいろいろと模索中です。それらの全体が何と呼ばれるようになるのかはこれからの成り行きです。
それでも学校がなくなるとは想定できません。しかし、そういう社会的な受け皿が広範にできれば不登校は社会問題ではなくなるでしょう。学校に行かなくても、社会の一員として生活できる条件をその人なりに身につける場所があれば問題は縮小から消滅に向かうからです。可能性としては自宅がその場所になることもありえます。
「不登校問題がなくなる」というのは、私の予測ではこのようなものです。決して全ての子どもが学校に通学できることによって問題が解消するのではありません。

中卒で就職を選ぶ人がいます

中学校卒業の後、そのまま就職に向かう人の例を続けて知りました。
1人は18歳の女性です。中学校の不登校経験はありそのまま卒業しています。
現在は週2日ほど働き、本人は就職希望で適当な職を求めています。
それに向かう表情がきっぱりとしていて、そういう道もあると納得してしまいます。
もう一人は中学3年生で秋から不登校になり、学校への求職票が10件ほどあるのでそれを見て就職活動に向かう予定と、これは父親からの話です。
父親の様子からして、本人はそれが最良の道とでも考えているようで健全な感じがします。
中学校の就職は、求職票をみてその後は職業安定所(ハローワーク)経由になります。
中学校に求職票をもらいに行くのが2学期になってからの最初の登校になるということでした。

2人のこれからの人生を本人に代わって心配することはいらぬおせっかいでしょう。
むしろそういう道を選択できる条件づくりが私たちの役割ではないかと考えました。何をどうすべきかよくわかりませんが、そういう人がいることをお知らせします。確かに知る範囲でも20代後半で中卒のまま働いている人はいます。

子若法を生かせる条件づくり

かつしか子ども若者応援ネットワークの全体会が開かれました(12月12日)。
出席者は10名あまりでやや少ない感じです。16日の第5回「かつしか区民大学」の講座「親から見た苦しさと焦り、その伝え方」の準備と打ち合わせが中心です。
1月27日の第6回講座は「子ども・若者ビジョンについて」です。子ども・若者育成支援推進法(子若法)を策定した広田照幸先生(日本大学文理学部)講演であり。その準備も話し合いました。2009年7月に制定されたこの法律は残念ながらあまり生かされていません。それが実行されるにはいろんな分野の関係者が協力しなくてはなりませんが、法律の主旨がよく理解されていません。
葛飾区からそこを動かして行きたいので、教育関係者ばかりではなく民生委員、児童委員、保護司など福祉の関係者、また保健師や商工会も視野に入れた働きかけや講座への参加呼びかけを考えました。
この講座に取り組むなかで地域の状況にあったつながりをつくり、来年度以降の活動につなげていきたいところです。

ソーシャルワークを学ぶ

先日、ある大学病院から3名のソーシャルワーカーが見えました。
トカネットの訪問サポート活動に関心があり様子を聞きたいという主旨でした。
私は医療機関のソーシャルワークはどのようのことをしているのかに関心があります。
そこで同席して逆に様子を聞かせていただくことにしました。
その医療機関においてはDVによる被害の割合が多く、ケースワークの対象は子どもよりも主婦や社会人が多いようでした。総合病院として各診療科と協力し、心理士のメンタルケア、グループワーク、他にリハビリメイク、ケミカルヒーリングなどもしています。ケースワーカーはつなぎ役になります。ソーシャルワークには固定的なスタイルはなく、施設や対象やワーカー個人により活動内容が違うという理解がいいようです。
ソーシャルケースワークの視点からもみると、不登校情報センターも訪問サポートもソーシャルアクションの1種になるようです。不登校情報センターの当事者によるホームページ制作は広義の作業療法になりそうです。
これからも協力関係ができればいいと思いますが、具体的な方法はこれからになります。

女性の引きこもりの親交流会

12月9日の「大人の引きこもりを考え教室」は、第2部を行いました。30代の女性の親が4名いましたので、会の終了後1時間半ほど意見を聞かせてもらいました。引きこもり女性の前進のステップや対応のしかたを考えたいからです。
私がその基礎条件の考えをまとめたものは「女性の謎は女性にも謎(未完成メモ)」として記録してあります。そこからさらに一歩進みたいという気持ちから4名の方に第2部を持ちかけたのです。

①仕事に代わる将来像の形成について、②家事を中心とする主婦(夫)業について、③男性に表われる引きこもりと女性に表われやすい摂食障害や自傷行為の対比について、④外出の準備にとても時間がかかることについて、など。
この中で外出に時間がかかるのは自分がどう見られるのかに関係します。ファッションセンスというレベルの問題だけとは考えられませんし、4人のなかでもあまり時間をかけずに外出できるタイプもいて個人差があります。
目立つような外出着にしないのも一種の自己主張と考えれば、外出着に関しては自己主張があります。言葉以外の自己表現です。ここは女性のほうが男性よりも高度化しています。引きこもり経験者において外出着の自己主張で期待することは、際立つことよりも見劣りしないことのように思います。目立たないこと、溶け込むことを重視している人もいるのではないでしょうか。
男性との対比で、女性は周囲の人から認められることにより行動化する面があります。認められたいことは優位になるよりも、自分の認めてほしいポイントがありその点を見てほしいことではないかと思います。日常的には髪形を変えたとか着ているものへの関心があるはずですが、根本的なものはまた違っているかもしれません。それは自分の性格や生活能力・生活面の工夫ではないかと思うことがあります。
このような点を意識してみていくと引きこもっている女性のその人なりの行動化が期待できるのかもしれません。仮説の中の仮説というべきものでしょう。

教室の出席者から「家族による周辺履歴書」は書き加えを中心に5名分受け取りました。
次回は1月13日(日)です。

DJ講座をしています

DJ講座を「センター便り」でお知らせした最初は昨年1月21日、その次のお知らせが昨年11月7日の2回です。
ずいぶん時間がすぎましたが初めてのDJ講座を昨日12月9日に行いました。
受講者は1人でしたが、3人ぐらいまでできます。以下は昨年11月のときに書いたDJ講座の案内コピーから。

DJ機材を使って音楽で遊んでみませんか。
レコードに針をのせるところから簡単な曲のつなげ方まで教えます。
日時:次回は12月23日(日)14:00~16:00、先着予約3名。
場所:不登校情報センター 東京都葛飾区新小岩2-3-11-503(JR総武線「新小岩」南口7分)。
参加費:1回500円。
持ち物:特になし。お家に古いレコードがあったら持ってきてもかまいません。
お申し込み・お問い合わせ: 03-3654-0181、open@futoko.info まで。

無造作に振る舞う意味の発見

引きこもりの「人に会いたくない」理由は、わがままとか差別感とか意図性というものとは別に考えなくてはなりません。人が自然に発する雰囲気、本人さえも意識しない程度の感情表出をキャッチする感覚・感度の鋭さによるからです。少し例を挙げます。
スーパーマーケットのレジの人が私のことを見下していた。
食堂に入ったときウェイトレスは私が来たことをイヤに思っていた。
こういうことを私はいろいろな人から聞きます。多くは自分に対する否定的な言動です。
それを口にすると「考えすぎだよ」、「そんなことは思っていないよ」と言われます。場合によっては「人をそんな気持ちで見ているのですか」と責められる経験もしています。
ですからこれらのことはあまり口にしないでいることが多いはずです。こういう受けとめ方をするから、対人関係がうまくいかないと指摘されます。
第8回の「大人の引きこもりを考える会」を終えて、ここを紹介しましょう。

私は引きこもり経験者のこの感覚を否定しません。相手は確かに意識レベルではそういう否定感覚は持っていないかもしれませんが、引きこもりの人がキャッチする感覚の鋭さはかなりの程度は当たっていると思えるからです。
これは前後2つの方向から説明できます。1つはその人の個体防衛力が低いために周囲の攻撃的な感情をいち早くとらえて防衛体制(ほとんどが回避気分と回避行為)をとります。そのために必要な予防能力です。もう1つは、人の成長とは周囲の攻撃的な感情に耐えられるのに比例して初歩的な防衛機能を忘れさせてしまうのです。この例は年少の子どもに見ることができます。
20代になり30代になっても、こういう状態が続くことは成長の停滞と考えられます。しかし、他方ではその人の感性の鋭さと見ることもできます。この状態を「神経質」と言われると否定的に感じを受けます。「繊細な感性」とか「感覚が鋭い」といわれるとニュートラルな表現になります。

私はこのような対人関係づくりにつながり、対人関係づくりに先行する事情を引きこもり経験者からいろいろな機会に聞いてきたわけです。それを親たちに話したところ「それは松田さんを信頼しているから話すんじゃないですか」という方がいました。
確かに私はこれまで引きこもり経験者が自分のことをどこまで話すのかは、話す相手との信頼関係に比例する、と言ってきました。その意味ではこの親の意見は当たっている面はあります。ですが今回はちょっと違う、少なくとも違う面もあると思ったのです。
引きこもりの経験者は相手を信頼する・信頼できないと自分で意識する以前に、すでに何かを感じているのです。ここを考える機会になりました。

私がカッコ付き支援者として引きこもり経験者に会います。そしてフリースペースという場で彼ら彼女らから状況を聞きます。あるお母さんから「親の私に話さないでなぜ松田さんに話すのですか(話せるのですか)」と聞かれたことがあります。お母さんは子どもと私の間に信頼関係ができる前の初対面でなぜ話せるのかを聞いたのです。
誤解しないで欲しいのですが、私は引きこもり経験者なら誰とでも話せるといっているのではありません。他の人には話せないけれども、私には話せる人が少しはいるのです。
私を知る人には説明不要かもしれませんが、私は特別に優しいとか、懇切丁寧な人間ではありません。そんな柄の人間ではありません。むしろブッキラボウであり、デキない、イヤだ、ということを躊躇なく言ってしまう人間なのです。丁寧な物言いを事とする引きこもりの人とは必ずしも一致しないと思うほどです。
自分のことはわからないものです。それが引きこもり経験者とはいきなり接触でき話しこむことがあるのですから、なぜかの説明が難しいのです。この日の教室でその点を考えているうちに「子どもは楽(らく)」といっている人がいるのを思い出しました。
小学校低学年以下の子どもとは楽に遊んだり接触したりできるという経験です。小さな子どもは好き嫌いをはっきり表します。気を遣ってイヤなのに「いいです」という芸当はしません。子どもが表したものをそのまま受け取ればいいのです。引きこもり経験者が「子どもは楽」というのはそこに関係するのではないかと思い至りました。そして私は態度の粗雑さにもかかわらず、言葉の表現通りに受けとめればいいという点では子どもと共通しそうです。
ただし初対面からそこまで私のことがわかるはずはありません。もっと違ったことがあると思います。教室が終わった後でそんなことを考えていたら「無造作(むぞうさ)」という言葉が浮かんできました。子どもの行為は無造作かもしれません。私の言行も無造作かもしれません。私は初対面でも無造作に対応しているのではないでしょうか。それが感度のいい引きこもり経験者に何らかの形で伝わることがある。そう考えればようやくおおよその結論にたどり着いたように思ったのです。無造作で全てを言い尽くしてはいないまでも、キイワードでしょう。

もう少し先を述べましょう。引きこもり経験者が言うことは原則として信用できます。このスタンスと根拠です。これには3つのレベルがあります。
①感覚は間違いません。五感(視聴嗅味覚、温寒接触などの皮膚感覚、平衡感覚)がおかしいのは感覚器官の障害によります。その範囲の人の多くは本人に自覚があります。
②感情・喜怒哀楽も間違いません。怒っているのに笑うのは精神障害の領域ですが、その場合はその人の言行の他の面からわかります。
③意識は間違うことがあります。理論、理解、解釈、意欲などがこ意識領域に入ります。何かを誤解して怒るのは、誤解していること(意識の範囲)が間違いであって、怒っていることに間違いはありません。
これらを言い換えるならば、繊細な感性で周囲の人の怒りの感情を捉えても、それを否定することはできません。ただ相手がそれを意識していないこともあるし、相手が怒りを意識していてもそれに対抗しなくてもいいだけです。とらえた感情が「思い込みや間違い」とする理由はありません。支援者や周囲の人にはそういう繊細な感度がないだけのことです。
間違っている可能性があるのは通常は意識・理解のところです。引きこもり経験者で意識や理解のしかたで間違いやすいのは、一面の事実を全体の事実に広げやすいこと、自分が確信したことを誰もが確信すべきことと考えやすいことではないかと思います。このあたりは私にはまだ証拠不十分です。
感覚・感情に関することはおおよそ信じていいのです。意識のことは全面否定ではなくそれが通用する範囲がわかればいいと思います。これが引きこもり経験者が言うことは原則として信用できるという意味です。それも教え諭すよりも気づいていく方法が取れればいいのですが、いつもそう都合よくはいきません。ですがそういうスタンスで引きこもり経験者の言い分を聞いていくことです。

セシオネット親の会例会報告

11月17日のセシオネット親の会の報告を兼ねたニューズレターが送られてきました。いつもアミータ教育福祉学院の上河辺先生のご苦労に負うものです。
この日は初めに参加者が少なくて珍しく不登校情報センターの近頃の様子を話すことになりました。ニューズレターにはそこがやや詳しく載せられています。私の話を聞いた人は不登校情報センターの特徴というか例外の多さ、そんなことをやってるの、そんなことが認められるの、「ここにやってくると気が緩む」という状況、それを上河辺先生は何とか文章にしたものです。
セシオネット親の会は高田馬場のカウンセリングルーム空Soraで毎月第3土曜日に開いている不登校の親の会です。次回の12月15日は忘年会の予定です。

Wiki有効化のミニ教室

パソコンのミニ教室、テーマは「Wiki有効化サイトの制作」を行いました。
操作マニュアルがあるので初めはやりやすいようです。
(1) 詳細ページにカテゴリをつけるのは問題なさそうです。たぶん慣れることが必要でしょう。
(2) その次のカテゴリページに上位カテゴリを設定するのが迷いやすいようです。上位カテゴリには地域カテゴリと種類カテゴリがありますが、特に種類カテゴリのつけ方が迷いやすいようです。
(3)この点で操作マニュアルに書き加えたい点が見つかりました。
(4)実際にやってみてわかった改善すべき点がもう一つあります。「ぱんくずリスト」のところです。作業を進めていくうちにここが無効になるところが出てきます。それを有効に直しながら進めたほうが作業を進めやすいようです。
(5)さらにわかったことは、全ての学校・団体を詳細ページにするのではなく、すでに詳細ページになっているところから、この作業を進めるのが現実的です。作業量が多いので、いったん県単位の全容を見られる状況をつくると何をめざしているのかわかりやすくなります。
参加者はまだ4名で全員ではないし、繰り返し習うのがいい人もいますので、ときどきWiki教室を行います。サイトの向上に向かう作業に入りつつあります。

忘年会は江戸東京博物館へ

不登校情報センターにかかわるみなさんに忘年会のおしらせです。
両国の江戸東京博物館と近辺に行く予定です。
日時は12月20日(木曜日)13時30分「JR総武線両国駅西口・国技館側の出口改札外」集合。
行き先予定は(1)江戸東京博物館見学(入場料600円)、(2)15:40「旧安田庭園散策」(無料)閉園時間が16:30、(3)居酒屋またはお好み焼き屋(各自で飲食代負担)で忘年会予定です。
参加できます方は、人数を把握するために、藤原までご連絡をいただけますでしょうか。
お待ちしております。(tokanet1998-lucky-chance@docomo.ne.jp

〔追加・12月11日〕
忘年会の食事会の場所・内容が決定しましたので、お知らせいたします。
行き先:12月20日木曜日17時半から平井のお好み焼き屋さん(つくし野)
お好み焼き・もんじゃ焼き・焼きそば 三種類2時間食べ放題。

男性1300円、女性1000円。飲み物代金別。
食事会だけ参加でも大丈夫です!

予約しなくてはいけない関係上、参加・不参加のご連絡がまだの方は、ご連絡をいただけますでしょうか。